↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裏路地の隠れ家『BAR ZERO』。下戸の元情報屋が提供する極上の一杯は、追放された者たちを救い、悪党を密かに破滅へ導く  作者: tatsuya akaike


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/105

第13話「シロ」

 工事が始まって三日目の朝だった。

 地下への入口を開けた時、ルナが先に降りたがった。

 「あたしが見てくる」

 「一人は危ない」

 「大丈夫。すぐ戻る」

 止める間もなく、階段を降りていった。

 ヴァルドが俺の隣に来て、地下への入口を見た。

 「降りるか」

 「少し待ちましょう」

 三分も経たないうちに、足音がした。

 ルナが上がってくる音だ。

 でも、いつもより慎重な足音だった。

 階段の上に顔が出た。

 ルナは両腕で何かを抱えていた。

 白くて、小さい。

 「おにーさん」

 ルナが言った。

 「これ、どうしよう」


 白い生き物だった。

 手のひらよりひとまわり大きい程度の大きさだ。

 体は柔らかそうな白い毛で覆われている。

 耳が少し大きい。

 目が金色だった。

 丸くて、深くて、こちらをじっと見ている目だ。

 ルナの腕の中で、震えてもいない。

 逃げようともしていない。

 ただ、金色の目で、俺たちを一人ずつ見ていた。

 (SOMA)

 ――見た。

 (何だ、これは)

 ――絶滅したとされている種族に近い。詳細はまだ調べている。ただ一つだけ言える。

 (言え)

 ――害はない。絶対に。

 ヴァルドが腕を組んで、生き物を見た。

 「……危険ではないか」

 「害はないとのことです」

 「SOMAが言っているのか」

 「はい」

 ヴァルドはしばらく生き物を見てから、俺を見た。

 「どこから来た」

 「地下です。廃墟の地下に、ずっといたようです」

 「あの廃墟は二十年、放置されていた」

 「そうですね」

 ヴァルドはまた生き物を見た。

 「……二十年、一人でいたのか」

 その声が、少しだけ低くなった。

 俺は何も言わなかった。


 ノアが厨房から出てきた。

 腕を組んで、入口のところから生き物を見た。

 「何だそれは」

 「地下にいました」

 「種族は」

 「調べ中です」

 ノアは少し間を置いてから、また近づいてきた。

 生き物の前で立ち止まった。

 金色の目が、ノアを見た。

 ノアが目を細めた。

 「……怖がっていないな」

 「そうですね」

 「怖がらないということは」

 ノアは少し考えてから、言った。

 「……ここが安全だとわかっているのかもしれない」

 俺はノアを見た。

 「料理人みたいな言い方ですね」

 「どういう意味だ」

 「素材を見る時と同じ目をしていました」

 ノアは少し間を置いてから、厨房に戻った。

 「俺には関係ない」

 「そうですか」

 「ただ」

 扉の前で止まった。

 「……寒い場所に長くいたなら、温かいものを食べさせろ。小さい生き物は体温が下がりやすい」

 厨房に消えた。

 ルナが俺を見た。

 「ノアさん、関係あるじゃん」

 「そうですね」

 「……優しいね、ほんとは」

 「内緒にしておいてください」

 「もちろん」


 アリシアが素材の部屋から出てきた。

 生き物を見て、足が止まった。

 「……これは」

 「知っていますか」

 アリシアはゆっくりと近づいた。

 生き物の前でしゃがんだ。

 魔力を持った人間が近づいた時、生き物がどう反応するか見ていた。

 生き物はアリシアを見た。

 金色の目が、少し細くなった。

 警戒ではない。

 興味だ。

 アリシアが手を差し出した。

 生き物が、鼻先をアリシアの手に近づけた。

 くんくんと嗅いだ。

 それから、また元の位置に戻った。

 アリシアが立ち上がった。

 「……魔力を持つ存在に慣れています。この子自身も、魔力を持っている」

 「どのくらいですか」

 「計測できないくらい」

 「計測できないくらい、少ないということですか」

 アリシアは首を振った。

 「逆です。多すぎて計測できない」

 俺の手が、グラスを磨く動作を一瞬止めた。

 (SOMA)

 ――その通りだ。ただし今は話すタイミングではない。

 (わかった)


 ルナが生き物を抱えたまま、カウンターの端に座った。

 生き物はルナの腕の中で、ようやく少し丸くなった。

 「……落ち着いてきた」

 「ルナの腕が、一番安心するんでしょう」

 「なんで?」

 「最初に抱えてきたのがルナだったから」

 ルナは少し考えてから、生き物を見た。

 「……名前、つけていい?」

 「本人に聞いてみてください」

 「え、聞けるの?」

 「反応を見れば、わかるかもしれません」

 ルナは生き物を見た。

 金色の目が、ルナを見た。

 「……シロ」

 ルナが言った。

 「シロって呼んでいい?」

 生き物は何も言わなかった。

 でも、耳が少し動いた。

 ルナがにやっとした。

 「……シロだ。この子、シロ」


 (SOMA)

 ――零。

 (なんだ)

 ――シロが今、何を感じているか、わかるか。

 (わからない。教えてくれ)

 ――安心だ。純粋な、安心。

 俺はシロを見た。

 ルナの腕の中で、小さな体が少しずつほぐれていく。

 二十年、誰もいない地下にいた。

 それがどういうことか、俺には想像しかできない。

 (SOMA、シロのことをもっと調べてくれ)

 ――すでに始めている。ただし零、時間がかかる。この種族の記録は、ほとんど残っていない。

 (わかった。急がない)

 ――一つだけ、今言える。

 (なんだ)

 ――この子は、この店が気に入っている。


 昼過ぎ、ノアが厨房から小さな皿を持って出てきた。

 温かい何かが乗っている。

 小さく切った肉と、柔らかく煮た根菜だ。

 ノアはルナの前に皿を置いた。

 「食べさせてみろ」

 「ありがとう、ノアさん」

 「俺じゃなくてシロに言え」

 ルナはシロに皿を近づけた。

 シロが鼻先を皿に近づけた。

 少し間を置いてから、食べ始めた。

 小さな口が、ゆっくりと動いた。

 ルナが俺を見た。

 「食べてる」

 「そうですね」

 「ノアさんの料理、シロも美味しいって思ってる気がする」

 「そうかもしれません」

 ノアは腕を組んで、シロが食べる様子を見ていた。

 何も言わなかった。

 でも、厨房に戻らなかった。


 夜になった。

 店を開けた。

 シロはルナの隣に座っていた。

 カウンターの内側、ルナの足元に。

 丸くなって、目を細めている。

 最初の客が来た時、シロが少し顔を上げた。

 金色の目で、入ってきた客を見た。

 それから、また丸くなった。

 (SOMA)

 ――今夜の最初の客について。名前はエド・クランツ。三十代の行商人。疲れている。体だけじゃなく、気持ちが。

 (何があった)

 ――三年前から一人で行商を続けている。もともとは二人でやっていた。相棒を病気で亡くして、それからずっと一人だ。誰かと話したくて来た。でも自分でそれに気づいていない。

 俺はグラスを磨きながら、客を迎えた。

 「いらっしゃいませ」

 「……一人でいいか」

 「どうぞ」

 男がカウンターに座った。

 疲れた目をしていた。

 でも、悲しい目ではなかった。

 三年間、一人で走り続けてきた目だ。


 「何をお飲みになりますか」

 「何でもいい。温かいやつを」

 「かしこまりました」

 俺は素材を選んだ。

 三年間、一人で走り続けた男に必要なのは何か。

 休息ではない。

 この男はもう、十分に頑張れる人間だ。

 必要なのは、「一人じゃなかった」と思える一杯だ。

 アイテムボックスから取り出したのは三つ。

 深みのある紫色の「宵闇果」――夜に収穫される果物で、温かく、長く続く甘みを持つ。

 「共鳴草」――二種類以上の素材を合わせると、それぞれの香りが引き立て合う薬草だ。

 そして、少量のウイスキー。

 宵闇果を温めた。

 甘みが凝縮されていく。

 共鳴草のエキスを加えると、宵闇果の香りが一段と深くなった。

 ウイスキーを少量、後から加えた。

 温かい液体が、グラスの中で深い紫色に落ち着いた。

 湯気が細く上がる。

 「どうぞ」

 俺はグラスを男の前に置いた。

 「名前はありません。ただ、長い道のりを一人で歩いてきた方に飲んでもらいたい一杯です」

 男がグラスを見た。

 一口、飲んだ。

 目が、少しだけ止まった。

 もう一口、飲んだ。

 「……なんか、懐かしい味がする」

 「そうですか」

 「誰かと一緒に飲んだような気がして」

 俺は何も言わなかった。

 グラスを磨く手だけが、静かに動いていた。


 その時、シロが動いた。

 ルナの足元から立ち上がって、カウンターの上をゆっくりと歩いた。

 男の前で止まった。

 男がシロを見た。

 「……なんだ、これ」

 「シロといいます。今日から、この店にいます」

 シロは男をじっと見た。

 金色の目で。

 それから、男の腕のそばに、静かに座った。

 触れてはいない。

 ただ、そこにいた。

 男はシロを見た。

 しばらく、何も言わなかった。

 やがて、男の手がゆっくりとシロの頭に伸びた。

 シロは逃げなかった。

 男がシロの頭を、一度だけ、撫でた。

 「……温かいな」

 小さな声だった。

 「相棒が死んでから」

 男はグラスを見た。

 「誰かに触れたのは、久しぶりだ」

 俺は何も言わなかった。

 シロも動かなかった。

 ただ、男の隣で、静かにそこにいた。


 男が帰る前に、ゆっくりとグラスを飲み干した。

 財布を出した。

 「お代は」

 「一杯分です」

 「……また来ていいか」

 「いつでも」

 「シロも、いる?」

 「いると思います」

 男は立ち上がりながら、もう一度だけシロを見た。

 シロも男を見た。

 「……ありがとう」

 男がシロに言った。

 シロは耳を一度だけ動かした。

 男は扉を開けて、夜の裏路地へ消えた。


 扉が閉まった後、ルナがシロを抱き上げた。

 「シロ、すごかった」

 シロはルナの腕の中で、小さく息を吐いた。

 「おにーさん、シロって感情がわかるの?」

 「そうみたいですね」

 「あの人が寂しいって、わかったの?」

 「わかったんだと思います」

 ルナはシロを見た。

 「……そっか」

 少し間を置いてから、また言った。

 「じゃあシロって、あたしと同じだ」

 「同じ?」

 「あたしも、人の感情がなんとなくわかる。でもシロは魔力でわかるんだね」

 俺は手を止めた。

 この子は、自分とシロが似ていることを、もう見抜いている。

 「そうかもしれません」

 「だからシロ、あたしに懐いたのかな」

 「そうかもしれません」

 ルナはシロをもう少しだけ抱きしめた。

 シロは逃げなかった。


 深夜、閉店後にヴァルドが俺に言った。

 「シロの警備、どうする」

 「どういう意味ですか」

 「この店に珍しいものがいると知れれば、欲しがる人間が出てくる。特に、魔力が高いとなれば」

 俺はヴァルドを見た。

 「さすがですね。気づいていましたか」

 「アリシアが『計測できないくらい多い』と言っていた。聞こえていた」

 「そうですか」

 「守る必要があるか」

 俺は少し考えてから、答えた。

 「今は、シロ自身が選んでここにいます。それで十分です。ただし」

 「ただし」

 「何かあれば、頼みます」

 ヴァルドは短く頷いた。

 「わかった」

 それだけ言って、定位置に戻った。


 (SOMA)

 ――零。

 (なんだ)

 ――今夜、シロが行動した時のことだ。

 (エドの隣に座った時か)

 ――そうだ。あの時、シロの魔力が、ほんの少しだけ動いた。

 俺の手が止まった。

 (どういう意味だ)

 ――シロは感情を知覚するだけじゃない。感情に、作用できる。

 (安心させる、ということか)

 ――今夜は「ほんの少し」だけだ。意識してやったわけでもない。ただ。

 SOMAが一拍置いた。

 ――この子が本気を出した時に何ができるか、今はまだわからない。

 俺はカウンターを磨きながら、シロを見た。

 ルナの腕の中で、丸くなって眠っている。

 白い体が、静かに上下していた。

 小さな生き物だ。

 でも、この店に来た理由が、どこかにある気がした。

 (SOMA)

 ――わかってる。調べ続ける。

 「頼みます」

 シロが、眠りながら耳を一度だけ動かした。

 聞こえているのかもしれない。

 それとも、ただ眠っているだけかもしれない。

 どちらでも、今夜はそれでよかった。


≪第13話・了≫

次話――翌朝、シロが初めて「悲しい客」に反応した。その客の名前を聞いた瞬間、俺はSOMAに確認した。「この人物は、ここに来てはいけない人間ではないか」。SOMAが答えた。「逆だ。この人物こそ、ここに来なければいけない人間だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。