第103話「剣を持たない盾」
その依頼は、ギルドを通じて店に舞い込んだ。
「とある人物の護衛を、お願いしたい」使いの者は、そう言った。「ですが、少々、特殊な事情がありまして」
【SOMA】――零。護衛依頼か。だが、この店に来るのは妙だ。護衛なら、専門の傭兵ギルドに頼めばいい。……何か、通常でない条件があるな。
俺は、内心で頷いた。SOMAの言う通りだ。話を、詳しく聞いてみることにした。
「護衛対象は、ミア様という、まだ十歳のお嬢様です」使いの者は言った。「さる商家のご息女で、近く、遠方の親戚のもとへ旅をなさる。その道中の護衛を」
「それなら、腕の立つ傭兵を雇えばいいのでは」俺は尋ねた。
使いの者の顔が曇った。
「それが、……ミア様は、武器を極度に怖がられるのです」
「一年前、ミア様は、旅の途中で野盗に襲われましてね」使いの者は、声を落とした。「目の前で、護衛の者たちが剣で斬り結ぶのを、見てしまった。……幸い、お命は無事でしたが」
俺は、静かに聞いていた。
「それ以来、ミア様は、剣を……いえ、武器を持った人間を見るだけで、震えが止まらなくなる」使いの者は続けた。「ですが、どうしても、此度の旅は避けられない。……剣を持たず、それでいて確実にミア様を守れる、そんな護衛が必要なのです」
【SOMA】――零。なるほど。矛盾した条件だ。「武器を見せず、しかし確実に守る」。並の傭兵には不可能な依頼だな。だが……零。お前の店には、一人、適任がいる。
俺の脳裏にも、同じ人物が浮かんでいた。
その時、カウンターの隅で静かに本を読んでいた男が、ぱたんと本を閉じた。ヴァルド。元・王国第一騎士団、副団長。今は、この店の入口を守る、寡黙な用心棒だ。
「……その依頼」ヴァルドは、低い声で言った。「俺が、引き受けよう」
「ヴァルドさん」使いの者が、ぱっと顔を輝かせた。「引き受けてくださいますか!」
「ああ」ヴァルドは頷いた。だが、その顔には、かすかな迷いのようなものが滲んでいた。
使いの者が詳細を伝え、帰ったあとだった。俺は、ヴァルドに一杯を出した。
琥珀色の深いバーボンだ。地の文で、俺だけが知っている。ワイルドターキー。前の世界の、アメリカの酒だ。この酒は、無骨だ。余計な水で薄めない。だから、原酒の力強い風味とコクが、そのまま生きている。作り手は、六十年以上ただひたすらに、この一つの酒を守り続けた職人。流行に流されず、信念を曲げず、ただまっすぐに。……そういう酒だった。ヴァルドの実直さに、よく似合う一杯だった。
「珍しいですね」俺は微笑んだ。「あなたが、自分から依頼を引き受けるとは」
ヴァルドは、バーボンをひとくち含んだ。そして、しばらく沈黙したあとで、ぽつりと言った。
「……剣を持つな、という依頼だ」彼は言った。「俺には、皮肉な話だと思ってな」
【SOMA】――零。ヴァルドの声のトーン。単なる感慨じゃない。彼は今、自分自身の、何かに触れている。
俺は、SOMAの分析を受けて、静かにヴァルドの言葉を待った。
「俺は、ずっと信じてきた」ヴァルドは続けた。「守る、とは、剣を振るうことだと。強き剣で、悪を討ち、弱き者を守る。……それが、騎士の務めだと」
彼は、琥珀色の酒を見つめた。
「だが、俺は、冤罪で騎士団を追われた」ヴァルドの声が低くなった。「剣を振るう場を失った。……あの時、俺は思ったのだ。もう、俺には守るものが何もない、と」
俺は、息を呑んだ。この寡黙な男が、そんな思いを抱えていたとは。
「今回の依頼は」ヴァルドは言った。「剣を持たずに、人を守れ、という。……俺にできるのか、どうか。正直、わからん」彼は、拳を握った。「剣なき俺に、いったい何ができるというのか」
その言葉には、長年剣に生きてきた男の、深い迷いが滲んでいた。
俺は、しばらく考えた。そして、静かに口を開いた。
「ヴァルドさん。一つ、聞いてもいいですか」俺は言った。「あなたは今、この店の入口を守ってくれていますよね」
「……ああ」
「その時、あなたは四六時中、剣を抜いていますか」俺は微笑んだ。「客が来るたびに、剣を振るっていますか」
ヴァルドの目が、かすかに見開かれた。
「……いや」彼は答えた。「そんなことはしない。ただ、そこにいるだけだ」
「そうです」俺は頷いた。「あなたは、ただそこにいる。それだけで、この店に安心をもたらしている」俺は続けた。「客は、あなたの姿を見て、ああ、この店は大丈夫だ、と思う。……それも、立派に守るということでは?」
ヴァルドは、黙って俺の言葉を聞いていた。その、いかつい顔に、何か考え込むような色が浮かんでいた。
【SOMA】――零。ヴァルドの心拍が落ち着いてきた。……お前の言葉が、彼の中の凝り固まった"守る"の定義に、罅を入れたようだな。
だが、それはまだ、始まりにすぎなかった。ヴァルドが本当の答えを見つけるのは、剣を持たずにあの怯えた少女の前に立った、その時。……俺は、そんな予感がしていた。
「明日、ミア様に会いに行く」ヴァルドは、静かに立ち上がった。「剣は置いていく。……俺に何ができるか、試してみよう」
その背中は、いつもより少しだけ、迷いを抱えていた。剣を持たない騎士の、新しい戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
≪第103話・了≫
次話――剣を封じられた、元騎士ヴァルド。武器を怖がる少女ミアを、彼はどう守るのか。そして、剣なき自分に迷うヴァルドは、「守るということ」の本当の意味に、たどり着けるのか。




