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契約交渉

 ――キリアン視点


 ――コンコン


 夕食を終え、執務室で書類仕事を片付けていた頃、部屋の外から控えめなノックの音が響いた。


「レジンか、入れ。」


 入室の許可を出すと、予想通り執事のレジンが静かに入ってくる。


「エリーではなくて申し訳ありません。」

「……別に何も言ってないだろう。」


 柄にもなく悪戯っぽく言われ、思わずムッとする。

 実際、エリーがいつも来るのは眠りにつく前だ。

 だから彼女ではないことくらい、最初から分かっていた。


「それで、何の用だ?」

「はい。先ほど、王都から最後の使用人たちが出発したと連絡が入りました。恐らく予定通り、明後日には到着するかと。」

「そうか……」


 レジンの報告に返事をすると、私は静かに目を閉じた。

 となると、エリーがこの屋敷へ来てから、もう十日が経つのか。

 いや、まだ十日しか経っていない、と言うべきかもしれない。

 それなのに、既にエリーが専属メイドとして傍にいる日常が、当たり前になりつつあった。


「使用人や騎士団が合流すれば、今後は仕事も増えていきます。どうでしょう、エリーを正式に専属メイドとして迎えては。」


 私の考えを見透かしたようなレジンの提案に、思わず黙り込む。

 その件については、私も既に何度となく考えている。


 エリー・トワイト。

 彼女と初めて会ったのは、妹のリリスと初めて顔を合わせた日のことだ。

 リリスの供としてやって来たエリーは、私について何も知らないリリスに、経歴から現在の状況まで丁寧に説明していた。

 当時は随分詳しく調べているのだな、と少し印象に残った程度だった。


 だが、その数日後、王都に帰る時に再び出会う事になった。  

 私の乗る馬車の前へ飛び出してきた彼女の腕の中には幼い少女がおり、その姿を見て庇うために身を投げ出したのだと悟った。


 彼女は自らの怪我など気にも留めず、ただ少女の無事だけを案じ、そんな彼女に少し興味を持った私は、成り行きで回復魔法の基礎を教えることになった。


 はっきり言って私は同年代の女性が苦手だった。

 魔術の才能や容姿も理由の一つだったのだろう。パーティーへ出れば女性たちに囲まれ、公爵家へ養子入りして学園へ通うようになってからは、その傾向がさらに強まった。

 だからこそ、私はそうした付き合いに辟易していた。


 だが、エリーは他の女性達とは違った。下心などまるでなく、ただ純粋に魔法へ興味を示し、真剣に学び、教えれば素直に感謝してくれた。

 だからだろうか。王都へ戻った後も、不思議と彼女のことだけは記憶に残っていた。


 そしてそれから二年が過ぎ、エリーは私の専属メイドとなって再び姿を現した。

 だが、彼女は二年前と何も変わっていなかった。

 主人であるリリスを侮辱され、手を上げたと聞いた時は少し驚いたが、それもまた彼女らしいと思った。


 そしてリリスの言っていた通り、彼女はメイドとしてとても優秀だった。

 メイドとしての仕事はもちろん、立場を弁えながらも自分の意見をしっかり口にする。

 その距離感が心地よく、気付けば共に過ごす時間が増えていた。


 もっとも、それは決して私情からではない。

 彼女のおかげで仕事の効率も格段に上がり、本来なら屋敷に籠もりきりになっていたはずだが、街へ足を運ぶ余裕すら生まれていたのだから。


 これから使用人たちが到着すれば、領地運営も本格化する。

 今まで手が回らなかった案件にも着手できるだろう。

 そうなれば、エリーの力はこれからも必要になるはずだ。

 だが――。


「……残念ながら、それは無理だ。エリーは妹の専属メイドだからな」


 レジンの提案に、私は首を横に振った。


「ですが、僭越ながら、リリスお嬢様に仕えるよりも、次期公爵であるキリアン様のお傍で働いた方が、彼女にとっても良いのではございませんか?」

「……たとえそうであっても、彼女は望まないだろう。」


 話によれば、一度母に解雇を言い渡された彼女を、リリスが個人的に雇い入れたのだという。

 エリーは、自分の身を顧みず子供を助けるような人間だ。受けた恩を簡単に忘れるとも思えない。

 となれば、リリスがどれだけ酷い主であろうと、自らその傍を離れるような真似はしないはずだ。


 だから、もし彼女を引き入れるなら、リリスと直接交渉するしかないだろう。

 リリスは社交界でも噂になるほど高慢で我儘な性格をしており、私との相性も良くない。

 だが、それでも彼女を専属メイドとして迎えるなら、説得するしかない。

 そう考えた私は、翌日リリスのもとを訪れた。


「それで、わざわざ私の屋敷まで来て何の用かしら?」


 この領地へ来てから早くも二度目の訪問になるが、リリスは相変わらず不愛想な態度で出迎えた。


「昨日、使用人たちが明後日には到着すると連絡が入った。」

「そう、ならやっとエリーが帰ってくるのね。」


 そう言って上機嫌に紅茶を口にするリリスを見ながら、私は小さく息を吐いた。そして意を決して口を開く。


「それなんだが、エリーは非常に優秀だ。彼女が来てから仕事も随分捗るようになった。これからさらに仕事が増えることを考え、正式に私の専属メイドとして迎えたい。」

「駄目に決まっているでしょ? あの子は私の専属ですもの。それとも言ってみただけかしら?」


 リリスは取りつく島もないと言わんばかりに即答した。


「……移籍金ならいくらでも支払おう。」

「お金の問題じゃないわ。あの子はずっと私を支えて来てくれた特別な子なの。簡単に手放せるわけがないでしょう。そんなに人手が必要なら、エリーと同じくらい優秀な子がもう一人いるから、その子を派遣してあげるわ。」

「いや、今さら別のメイドを寄越されても困る。必要なのはエリーだ。」


 そう言うと、リリスは大きくため息を吐く。


「呆れた、人の物を取ろうとしておいて、選り好みをするなんて、随分厚かましいじゃない。」

「無茶なことを言っているのは重々承知している。それでも今は彼女が必要なのだ。」


 私は真っすぐ妹の目を見て訴えた。

 すると、リリスは呆れたように肩を落とした。


「はぁ……まあいいわ。ここで改めて恩を売るのも悪くないでしょうし。そこまで言うのなら、もうしばらく預けてあげる。」

「本当か?」

「ええ、ただし条件付きだけどね。」


 そう言うと、リリスは私に向かって指を一本立てた。


「まず一つ、レンタル費用として以前と同じくエリーの給料分を私にも払う事。」

「わかった、払おう。」


 以前はその金額に顔を顰めたものだが、エリーの有能さを知った今では、むしろ安いとすら思えるくらいだ。

 二人分ともなれば負担は増えるが、仕方あるまい。

 私が頷くと続けて、リリスは二本目の指を立てた。


「二つ目。最低でも月に一度は、完全な休日を設けること。」

「分かった。」


 それも当然のことだ。頼りきりになって負担をかけ、倒れられては元も子もない。


「そして三つ目。期限は二ヶ月まで。」

「……二ヶ月?」

「ええ。私も二か月後には学園へ入学するから、その時には連れて行くわ。」

「それは……いや、わかった。」


 その条件だけは素直に頷けなかったが、今は受け入れるしかない。

 今はこの条件を飲み、あとは時間をかけて交渉を続ければいいだろう。


「そして最後の条件。エリー本人が納得することよ。」

「ああ、わかった。」

「宜しい、ではもう少しだけ預けてあげる。」


 リリスは最後まで高慢な態度を崩さなかったが、どうにか期限の延長を認めさせることができた。

 問題は、この二ヶ月という期限をどう取り払うかだ。

 やはり、まずはエリー本人を説得するのが先決だろう。


 リリスの傍にいて、居心地が良いとは到底思えない。となれば、彼女を縛っている理由を取り除かなければならない。あるいは、彼女がこの屋敷を離れたくなくなるような環境を整えるか。

 何をするにしても、まずはエリーのことを知らなければ始まらない。


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