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#11 漂う疑念

 深夜二時。ICUフロアを照らす蛍光灯が一つ、ジッと脈打つように明滅していた。

 白石あかりは書類台に身を寄せ、ブルーのナースジャケットの袖をぎゅっと握り込む。


 霧島先生の逮捕から三時間。救急外来は警察の聞き取りで騒然とし、勤務明けのスタッフも帰宅を許されずロッカールームに缶詰め状態になった。

 (玲奈さん……どこにいるの?)


 カルテ改竄の疑いで霧島を連行した警察官たちは「内部協力者がいる」とだけ告げた。

 そのとき横に立っていた玲奈は淡い笑顔でうなずき、「私も協力します」とだけ答えたのに――気がつけば姿が見当たらない。


 あかりは無意識に胸ポケットを探った。白い造花の小さなブローチ。ついさっき廊下で拾ったばかりのそれは、針金の茎がわずかに曲がり、ペンライトに照らされて鈍く光る。


 同僚の三浦先輩が肩越しに声を落とした。

 「師長が呼んでる。御堂さん、ICUモニター室で緊急カンファ」


 「……はい、すぐ行きます!」

 返事はしたものの、足はステップを踏み損ねるほど震えている。ドアを押し開けた瞬間、ひんやりした空調の匂いと、人工呼吸器のリズムが重くのしかかった。


     ◇


 モニター室の中央で、御堂司師長が折りたたみ椅子に背筋を伸ばして座っていた。スクリーンには ICU 全ベッドの波形が並び、その左上、ベッド3の心電図だけが不自然に闇色の空白を映している。


 「ログが抜かれている。薬剤庫と同じ手口だ」

 御堂はクリックで波形を切り替え、緑の文字列を拡大した。

 02:14 Access ID: rena.k

 「黒瀬玲奈……ですか」

 あかりの喉が鳴った。御堂は静かにうなずく。

 「正規IDには間違いない。問題は何を消したか、だ」


 霧島は映像を改竄しただけ。だが心電図データを丸ごと消すには、彼のアクセス権では届かない。御堂は USBキーを掲げた。


 「残念だが、部外者が使える権限でないことは確かだ」

 あかりは造花を握りしめた。「玲奈さんが、そんな……」

 「判断は保留だ。しかし今夜中に動かねば被害が出る」


 御堂は立ち上がり、ICU裏口の非常階段を示した。

 「彼女が行き先を知っているとすれば——地下の旧手術室しかない」


     ◇


 地下フロアは震災以降閉鎖され、非常灯すら消えている。蝋燭のような薄い誘導灯の下、あかりは一歩ずつ階段を下りた。底に到達すると、コンクリ壁が汗ばんだ掌を吸い取る。

 「玲奈さん……?」

 声はマスクでこもり、返事はない。


 ロッカー室のドアが微かに開いていた。白く光る何かが床に落ちている。先端の尖った――注射器だった。

 「こちら地下ロッカー、医療器具の散乱を確認!」

 胸ポケットのインカムに囁く。同時に背後で金属が軋んだ。

 振り返った先、闇の奥に紫の瞳が浮いていた。

 「……見つけちゃいました」

 声は冷たく、それでいて嬉しそうに震えている。

 あかりは息を呑んだ。「玲奈、さん……?」

「危ないところでした。あの人たちは、あなたを“救えない”」


 紫の瞳が一歩近づく。足音はなく、白衣の裾が床を擦る微かな音だけが響く。

 「わたしが全部、整えます。だから——逃げないで」


 造花のブローチが手から滑り落ち、花びらが暗闇で転がった。その茎には細い針金のリングがあり、まるで手錠のミニチュア。あかりはその意味を理解するより先に、玲奈の懐中電灯が彼女の顔を真っ直ぐ射抜いた。


 続く足音が二つ。背後の階段から複数のライトが降りてくる。

 「黒瀬、動くな!」

 御堂の声が雷鳴のように地下に轟いた。

 だが玲奈は笑った。心底うれしそうに、氷が溶ける音のように――。

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