第17話 人身売買(前)
何処かの盗掘者が手に入れた魔物を封じた腕輪。二百年前の物と思われるそれを前に、僕はペンを持っていた。もちろん、この魔具に使われている魔術式の解析のためだ。
あのあとリグたちにこれを見せて、この魔具に使われている魔術を検討してみようってなったのだ。で、彼らが忙しいのと僕が技師であることもあって、この魔具について僕らが調べることになった。
暇ができると、こうしてリグたちの研究室に行く。〈紫枝〉の研究室なのは、この腕輪が危険な物だからだ。実力者の多いここなら、万が一術が発動しても対処できる。……部屋の安全は保障できないけど。
まあ、でも僕だってプロなのでへまはしない。調査のほうはそれなりに順調で、仕組みがだんだんわかってきたところだ。リグたちの研究もいよいよ大詰めに差し掛かってきたようで、みんなそれぞれ忙しくしている。喋っている余裕もないらしく、部屋は静かだった。
そんな研究室のドアがノックされる。
「入れ」
相変わらず横柄なジョシュアの許可のもと、扉が開かれた。入ってきたのは、〈木の塔〉の事務スタッフだ。
「レン・ヴィスさんはいますか?」
他所の研究室で僕がご指名? 不思議に思いつつ腰を浮かせて返事をしようとすると、小さい影が飛び込んできた。腰のあたりに打撃を受けて、椅子にもう一度座る羽目になる。
「……ティナ?」
僕に飛びついた衝撃の所為で外れたキャスケット帽の下からぴくぴく動く狐耳が見える。その頭を撫でながら、もう一度入り口に目を向けた。
そこには、息切れしながらも申し訳なさそうなミンスが立っていた。今日はルビィが仕事で手が離せないからと、ティナをあいつの下に預けていたはずなんだけど。
「なにかあったの?」
ミンスは小さく頷いた。
ティナの耳に目を丸くしていたスタッフをリグが口止めして追い返し、ジョシュアがミンスに席を勧める。リズは椅子の一つを僕の椅子に接近させると、服が伸びるほど僕にしがみついたティナの傍にしゃがみこんだ。
「ティナ、こっちに座りな。お兄ちゃんの隣」
ぽんぽん、と片手で座面を叩く。ティナは一瞬僕を見上げる。頷いてやったら、服の裾から手を離して、椅子の上によじ上った。
リズは満足そうな顔で立ち上がり、戸棚の一つの前に立った。本ばかりあるその部屋の中で、唯一本や資料ではなく食器類が入った棚だ。
「ジュースでも飲む?」
戸棚からグラスを一つだしてテーブルの上に置くと、今度はその棚の一番下にある、金庫のような箱を開けた。ひんやりと冷たい空気が足元に流れてきたなと思うと、中から瓶に入ったオレンジ色の液体が出てきた。机に置いた瞬間表面が曇ったことからしても、冷やされていたことは間違いない。
「うわ、魔力の無駄遣いっ」
状況を忘れて身を乗り出す。
氷室だ、氷室。容器の壁に氷を張って、中を冷やして食料保存庫にするやつだ。もちろん状態を維持しているのは魔術。動力源は魔石だけれど、室温維持のために魔力消費が激しくて、蓄えていた分がすぐになくなる。それを補充するには魔石の中に魔力を流し込むか、魔石自体を交換するしかない。つまり、金か魔力がすごく掛かるので、便利な贅沢品の一つとして有名だった。
無駄、と言われたのが癪にさわったのだろう、リズが僕を睨み付けた。
「平和的利用と言いなさい」
違いない。戦いに用いられることに比べれば、有意義な使い方だ。
目の前にグラスに注いだジュースが置かれても、ティナはすぐには手を伸ばさなかった。遠慮、というよりも、まだ緊張状態にあるのかもしれない。それだけ怖い想いをしたのか。一体なにがあったんだ。
「それで?」
リズが席についたのを見計らって、リグが口を開いた。
「レンに頼まれて、ティナを預かってたんですけど」
ミンスのほうも口調が少し丁寧になっていた。
「引きこもっているのもなんだったから、ティナをつれて散歩に出てたんです」
そしたら、突然親子連れがミンスたちに――正確には、ティナに声をかけて来たのだそうだ。
「はじめは、本当にティナを心配していた保護者かとも思ったんですけど」
ティナの怯えように、その考えはすぐに捨てたという。
「でも、相手のほうもしつこくって……。はじめは子どものほうが騒いでいたんですけど、母親のほうも出張ってきたんで、ここまで逃げてきました」
周囲から注目されてたみたいで、大変だったとミンスは言う。誘拐犯に見られたんじゃないかと心配するほどだったらしい。
「〈塔〉に逃げ込んだのは賢明だったな」
リグが感心したように言う。ミンスはこれに疲れた顔で同意して、僕の方を見て言った。
「こいつのこと、使用人かもって言ってた」
魔族の子が使用人、だって?
「金持ちか」
「ええ。綺麗な服着てましたし」
もしかしたら、本当に善意で使用人として引き取ったのかもしれない。けど、だったら、こんなに怯えたりはしないだろう。
「その親子の特徴は? 触られたりしてると話は早いんだが」
「この子が腕を掴まれました。母親のほうです」
リグとリズが足元に向かって短く呼びかけると、ぬいぐるみみたいに小さな犬――いや、狼が現れた。白い狼と黒い狼。現れた、と思ったら、ティナの匂いを嗅いですぐに、影に溶けるように消えていった。
この世のものならざる生き物に、ミンスとティナは面食らった様子だった。
「……レーヴィン兄妹の狼、か」
「さすがに有名ですね」
魔術と関わりのないミンスが知っているなんて。
あの二頭の狼。白いほうはスコル、黒いほうはハティという。サーシャとダガーとはまた違った、リグとリズの使い魔だ。二頭は何故かは知らないけど身体の大きさの調整が利くらしく、本当はもっと大きいんだけど、今はティナに気を遣って小さめで出てきてくれたみたい。召喚主と狼、どっちの考えかは知らないけれど、ありがたい。
と、突然、今まで存在を忘れるほど無言だったジョシュアが立ち上がった。
「グラムとテッド……ステイスさんも呼ぶか?」
どうやらお使いに行ってくれるらしい。確かに、こういう殺伐とした話は研究者でしかないジョシュア向けじゃないし、展開によっては小隊が動くからグラムたちは必要かも。
「悪いね」
気にするな、と手を挙げて出掛けていったのを見送って、リズはティナに声を掛ける。
「一応訊くけど、元居たところには帰りたくないんだよね?」
頷いてから、ティナは不安げに僕を見上げた。引き渡されるとでも思っているんだろうか。
「大丈夫だ。嫌なところに帰れとは言わないから。それに、ルビィと養子縁組してる限りはこっちに部がある」
なにせ、正式に家族になっているのだ。向こうがティナの正当な保護者であると証明できない限り、書類もあるこっちのほうが強い。
そして、向こうにそれを覆すだけのものがないのもわかってる。残念なことに魔族の人権は確立されていないからまず書類はないし、ティナの怯えようからいって、世間を味方につけられるような人格者じゃなさそうだし。
と言っても、まだ八つの女の子にそんな手続き上の話はわかるはずもなく、
「万が一向こうに有利だった場合は、無理矢理にでも納得させるから」
結局こんな強引な言葉が出てきたりする。
「ほんと?」
双子の説得に、じっとリグとリズの顔を見比べた。嘘か本当かを見極めようとしているらしい。疑ってるわけじゃないんだろうけど、さすがに慎重だ。
「ほんとほんと」
安心させるために笑みを浮かべるリズが頷くのを見て、少しは安心したんだろうか。ティナの身体の力が少し抜けた。それでもまだ真剣な表情を作っている。
「わたし、おにいちゃんたちと離れたくない」
思わず頭を撫でてしまった。可愛い事言うじゃないか、この子は。
……こうなったら、なにがなんでもこの娘を手放すもんか。その元主人とかいう奴、来るなら来い。来ないんなら殴り込みに行ってやる。
て、意気込んでいたのに。
「今日は帰れ。ルビィにもこのことは話すべきだろ」
後のことはこっちでやっとくから、と言われる。他人任せにしておくのは気が済まない……というか、ティナに関わることなのに蚊帳の外にされるのは冗談じゃないのだが、この子を帰して安心させたいのもまた事実。
仕方ない、従おう。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
連絡……というか報告が来たのは明後日だった。匂いも分かっている相手を探し出すにしては遅いな、と思ったら、僕をハブってリグとウィルドの二人で行ってきたらしい。珍しい組み合わせだったがそれは置いといて。
「なんで僕を誘わないんですか」
黙って後始末に行っちゃうなんて、酷い。こういうのって僕が出張るべきだと思うんだけど。
そう主張したのに、リグは困ったなっていう表情しかしなかった。なんか僕が聞き分けのない子どもみたいだ。
「だって、まず間違いなく流血騒ぎになるだろう」
「僕をなんだと思ってるんですか」
「シャナイゼ一の問題児」
言葉に詰まったのは、否定できないからでなく、そこまで思われているとは想像していなかったからだ。まあ、決していい子の分類には入らないだろうことは自分でも自覚してたけど、問題児とまで言うかな。それも、シャナイゼ一とかどれだけ。
リグをぎっと睨みつけて無言の抗議をしているその横で、ウィルドが口を開く。
「それもありますが」
肯定された。普段無関心とまではいかなくても、基本的に不干渉な彼までもが言うってことは、割りと本気で問題児って思われているのか。ショックだ。
「当事者同士というのは、話が拗れやすいですから」
つまりあれか。保護者が出てくると、正当性のあることでも感情論ととらえられてしまうからか。それはまあ……わからなくもない。僕も逆の立場なら、自分の物が盗られて悔しいだけだろ、って思ってただろうし。
でもやっぱり、顔くらい拝んでおきたかったな。
悔しくはあるけどもう今更どうしようもないので、責めるのはこの辺にして大人しく話を聞く。
「使用人だと言い張っていたけどな」
「はっ。なにを馬鹿な」
しばらく心痛で声を出せなかった子が、ただの使用人? あんなに帰るのを嫌がっていたのに?
これだけで、哀れな魔族の子を使用人として雇った心優しい人という図式は成り立たない。そうでなくても、まだ八歳か九歳の子。仮に親切心で拾ったとしても、そのくらいの歳じゃ普通は働かせようとは思わないはず。善意なんてとても信じられるはずがない。
「俺たちもそう思って、少々強引に詳しく聞いてみたんだが」
買ったんだそうだ、と彼は言った。
「……買った?」
これは“ティナが使用人”発言よりも驚いた。
「売ってるんですか、魔族」
ペットショップよろしく魔物によく似た人を並べてるとでもいうのか。その想像をしてみて――どうしても想像してしまうのは、姉さんやティナに似た人たちになる――どん退いた。
「そんな物好きがたくさんいるなんて……」
動物と人間と、たまに植物とを掛け合わせた彼らに一体どんな需要があるんだろうか。そりゃあ、多少は人間より強かったりするんだろうから護衛とかには向いてるんだろうけど……やっぱりペットよろしく愛でるんだろうか。それはなんともぞっとしない話だ。気分が悪いっていうのもあるけど、魔族なんて並べ立てて喜んでいる奴の気が知れない。
「魔物もそもそもそういう物好きが切っ掛けで生まれたけどな」
そう言えばそうだった。
「それで?」
話を元に戻す。合成獣や魔物魔族で喜んでいる奴らの悪趣味さを談義している場合じゃない。
「彼らから非合法組織の話を聞き出して、グラムとリズが心当たりを聞きに行ってる」
シャナイゼの北部――〈木の塔〉の幹の陰が掛かるところを〈木陰〉と呼ぶんだけど、あの辺りはいわゆる暗黒街になっている。つまり、非合法な人たちや社会不適合な人たちの溜まり場だ。そこには汚れ仕事を受けてくれる組織があって、グラムたちはそこに行っているんだろう。蛇の道は蛇。非合法な人たちなら、非合法な事にも詳しい。
「というわけで、続報を待てだ。待っている間、仕事するぞ、仕事」
ポン、と出されたのは、この前ティナとミンスが飛び込んできたことで調べるのを中断してしまった腕輪とメモだ。そういえばこんなのあったっけ。
「ただいまー」
割と集中していたらしく、いつの間にかウィルドがいなくなっていた。何処に行ったんだろうなーって思っているときにお待ちかねの二人が帰ってきた。
……いや三人だった。そういや新入り君いたんだっけ。忘れてた。相変わらず僕を見て、なんでこいつがここに居るんだって顔してるから、なんていうか、哀れ。
どんな理由があっても、目の敵にされたら気に入らないから無視するけど。
「どうでした?」
「早速だね」
ちょうど集中力を切らしていたこともあって飛びついてみたら、苦笑された。お茶くらい淹れさせて、と言われ、じれったくそれを待つ。
お茶が入ってグラムたちが一息吐いたところで、リズが口を開いた。
「結論から言うと、あるみたいだよ」
はじめは半信半疑だったそうだ。魔物や魔族の売買なんて聞いたこともないし、昔はそれなりにあった人身売買もここ百年はあまりなかったらしいから。けど、訊いてみたら実際にあったんだから、耳を疑ったっていう。
「魔物も魔族もどっちも売ってるみたい。まあ、魔族のほうは魔物扱いなんだけど」
基本的には同じものだしね。魔族たちが人間ベースで冷静だったってだけの話なんだから。
「そりゃもう、お金持ちさんたちは、大枚をはたいて珍しいペットを飼うのにご執心なんだそうで。結構いい商売になってるらしいよ」
「なにが商売」
人身売買って基本的にミルンデネスでは許されていないんだけどね。それともあれか、ちゃんとした人間じゃない魔族たちは人間に入らないってか。いや、実際そうなんだろう。魔族も魔物と一緒くたにされているってことなんだから。
今後そんな奴らが残っていたら厄介だな……。
「よし、今すぐ潰しに行きましょう」
ティナみたいな子がこれ以上増えても困る。それ以上に、そんな下らない事のために魔族が増えるようなことがあっても困る。狩れなくなったら作り出すのは間違いないだろうから。
「そうしたいんだけどな。困ったことに、その店があるの国外なんだよ。サリスバーグのティエナ」
「ティエナですって?」
シャナイゼとサリスバーグの国境付近にある町ティエナ。あそこならほんの一月ほど前に行ってきたばかりだったけど、そんな怪しい店があるなんて気が付かなかった。
あのとき気が付いてればなぁ……話は早かったんだけど。
「他の奴も気づかなかったんだから、気にするな。そんな簡単に見つかるんだったら、とっくに摘発してるよ」
励ますようにリグは言う。うん、まあ、僕らご飯食べてお土産漁りに行っただけだったし。調査に行ったわけじゃないからな。危なそうなところに好んでいく理由もないし。
「まあ、それはともかく、どうしたものかな……」
思ったよりも難儀だった話に、リグは頭を悩ましている。
「国外のことなんですから、どうしようもないじゃないですか」
ここでテッドが口を開く。一番難儀なところがそこだ。〈木の塔〉は基本的にはシャナイゼでしか働けない。西のほうに行くと戦い専門の〈黒枝〉から派生した傭兵ギルドもあるけれど、それだってせいぜい動けてシャナイゼが属するリヴィアデール国内だけ。怪しいものがあるからちょっと調べさせてもらいまーす、って気軽に行けるものじゃないのだ。
「放っとくしかないでしょ」
テッドの意見はもっともなのかもしれない。けど、まるで他人事ってみたいに言われるのはなんかムカつく。
かといって他に打つ手もないし。
「どうにかする方法、ないこともないけど」
だるそうに頬杖をついたリズが口を開く。その表情を見る限り、自分で提案しといて期待していないみたいだけど。
「ただ、どれだけうまくいくかがねぇ……」
自信がないらしい。それでも、と意見を聞いてみる。
「要は、国外のことでも、国内から――ひいてはシャナイゼ内から依頼があればいいわけだ」
まあ、きっかけを得るならそうなんだろうけど。でもそう都合よく行き先がティエナの仕事はない。断言できるのは、僕の所属している小隊がそう言った仕事を率先して引き受けているからだ。隊長のお呼びがないなら、ない。
かといって、依頼内容はきちんと管理されているから大嘘つくわけにもいかないし。
その言葉だけでは全く概要を理解できない僕とグラムとテッドは首を傾げる。でもさすがというか、リグのほうは気付いたみたいで、なるほど、という風に頷いていた。
いまいち理解していない風の僕たち3人を見回して、リズはある名前を口にした。
「アーヴェント」
魔族のまとめ役であるその人。魔族の話題が出てくるんだから、名前が出てきてもおかしくはないけど、この街にも周辺の村にも住んでいない、存在していないことになっている集落に住んでいる人物なんて、いったいどう使うつもりなんだか。




