第15話 〈凍れる森〉(後)
鱗の隙間に刺さるように槍の穂先を突き出す。難しいには難しいけど、思ったよりは通る。
けれどこれにはこれで問題がある。角度が浅いのだ。肌と槍の角度が鋭角だから、どんなに深く突き刺しても臓器には届かない。せいぜい血管を傷つける程度――それはそれでいいんだろうけど――で、致命傷にはなりにくい。
それをどうにかしようと頑張っていたのが、リグだった。彼は槍を携えて前線に出ていた。そして僕たちと同じように槍を鱗の隙間から突き刺している訳なんだけど、他の人とは違って穂先に炎を纏わせているのだ。これぞ前線に出る魔術師の真価ってところか。お陰で肉が焦げる臭いが漂っている。
そんなこんなで戦えている僕たちだが、7人もいながらたった1体にまだまだ苦戦していた。というのも、
「蜥蜴なら蜥蜴らしく這いつくばってろっての!」
苛立たしくリズが叫ぶ。
そう、この蜥蜴……じゃなくて竜は、2足歩行しやがるのだ。それもただ立つだけじゃない。走る。結構な速さで走る。結晶化した木を削りながら勢いよく走る姿は圧巻で、血の気が引いた。一直線だから躱すのはまあ簡単だが、かすっただけで肉が抉れるので洒落にならない。
これを見てからリグが後衛に下がることになった。この中で回復系の魔術がある白魔術を使えるのはリグだけだから致命傷なんて受けられたら困るし、加えて彼は守りの術が得意だからアリサさんを守って貰わないといけない。
いわゆるチートって、使いどころに困るんだなって思う今日この頃。
めげずにちまちまと攻撃する僕ら。武器による攻撃は浅いし、リズの魔術は相性が悪いのか通りにくい。経験の少ないアリサさんは問題外。逃げることももちろん考えたけど、道を逸れて結晶の茂みの中に行くのは躊躇われるし、かといって道を行けば早い足で追い付かれるしで、それもできない。幸い、竜はグラムたちに翻弄されて1人に注意を向けられないから、集中攻撃を受けることはないんだけど……。
「なんでこんなところでどでかい図体ぶん回すかなっ!!」
身体を勢いよく1回転させた竜の尾がグラムの鼻先を掠る。動ける場所が狭くて、回避するのがぎりぎりで、見極めどころが難しい。長期戦で体力も神経も削られてしまい、機動性が売りのグラムも苛ついてきている。
「あぶねぇ……」
グラムと違ってリグは竜の回転に巻き込まれたようで、吹っ飛ばされて木に激突した。ただ、尾が当たる前に岩の殻を作り出して全身を包み込んだので、大したダメージはないみたいだ。
殻の中からアリサさんも出てくるから、ぞっとした。リグがいなかったら死体が1つできていた。
僕とリズとテッドは距離を取っていたから無事。魔術師と弓士はともかくとして、僕はグラムみたいな芸当はできないから、距離を詰められない。ただ1人、ウィルドはどんな目と反射神経をしているのか、うまく躱していた。
竜がまた後ろ足で立ち上がる。見てるのは正面に立つグラム。
「させるかっ!」
リズが描いた魔法陣から水流が迸る。走り出そうとしたところに側面から受けて、押し流された。そうか、氷は効かなくても水は効くのか。
ふと閃いた。
「溺死させます?」
水の球とかで頭を覆って。息ができなきゃ、さすがにそのうち死ぬよね?
「怖ぇこと言ってんな」
苦戦中でもグラムの突っ込みは健在……いや、突っ込みなのか? 彼は。
「そいつは難しいから……」
リズは杖を2本の剣に変えると、そのうち1本をウィルドに渡した。素早く間合いを詰めた彼は、短めの剣を竜に深く突き刺して飛び退いた。リズの剣が刺さったまま残される。
「これでどうだっ!」
リズが魔力の塊を飛ばす。それは剣に当たると魔法陣を描き出した。
リグの杖と同じように特別製であるリズの杖〈オプスキュリテ〉は、少しの間魔法陣を保持することができるのだ。わかりやすく言うならば、魔法陣を描いて術が発動する前の状態を、術者が離れていてもしばらく保っていられるということ。普通魔法陣は術者が傍を離れるとすぐに霧散してしまう。けれどあの剣――というか杖というか――は、霧散するまでの時間を遅らせることができるのだ。
因みに、リズの棒手裏剣もそれができる特別製。だから彼女は一度投げた棒手裏剣を戦闘後にいちいち回収してたりする。
今回もそんな風に使われたリズの剣は、青色の魔法陣を描き、竜の身体を濡らしていた水を凍らせながら棘を作り出す。水は鱗の下まで入り込んでいるはずだから、きっと大きな氷の棘が肉に直接突き刺さっているはずだ。
伏せた竜の身体の一部が赤く染まる。相当深くやったみたいだ。
「やるなぁ」
感心したようにグラム。のんきに遠くを見るように目の上に掌を翳している。
その竜が立ち上がるのに足に力を入れるのを見た。
「まだ生きてるか」
リズが悔しそうに舌打ちする。
「もういっちょ!」
なんて嬉しそうにグラムが声を張り上げるけど、
「武器手放せって?」
リズは正気を問うかのようにグラムを白眼視した。確かに同じことをしたら、リズの手から防御にも使える武器がなくなる。
「じゃあどうしろってんだよ!!」
地団駄を踏んでから後ろに飛び退いた。竜がグラムに殴りかかるように腕を振ったのだ。氷の棘は深く刺さっていたと思うけど、それでもこんなに動けるなんてどんな化け物だ。
さすがにいつまでも傍観している訳にもいかなくて前に出る。間合いも詰められるようになったしね。顔の前に槍を突き出してグラムに向いた注意をこちらに向ける。
「泣き言言わない」
「もう一押しです」
「わかってるよ」
戦闘中だっていうのに、きれいに会話が流れている。まるで呼吸するかのように話しているみたいで、グラムたちの付き合いの長さが伺える。4年も一緒にいるってのはやっぱり大きいな。
宙を切って矢が飛ぶ。テッドの矢は何本か竜の身体に刺さっていた。僕の魔具を拒絶するだけのことはあるんだな。でも、使えばもっといいだろうに、意地っ張りめ。
「影は鎖。絡めとるは身の自由」
呪文。リズの黒魔術だ。リズが右手を竜に向けて突き出すと、ローブの袖の中から黒い鎖が伸びて巻き付いた。竜は束縛から逃れようともがくけど、千切れるはずもなく横倒しになった。影からできた魔法の鎖なのに、じゃらじゃらと音がするのが不思議。
好機とばかりに全員が武器を構えた。リグが穂先に炎を纏わせて突っ込み、肩口に思いきり突き刺した。かろうじて自由な、暴れる右手をグラムが剣で地面に縫い付ける。
「口だ!」
グラムが叫ぶ。僕は正面に回って、悲鳴が漏れる口の中に鉾槍を突っ込んだ。穂先は深く潜っていくのに突き刺さる感触がなかなか来ないから、ちょっと気味悪い。
喉の奥に穂先が刺さるのと、脊髄の辺りにウィルドが剣を刺すのはほぼ同時。さすがにこれだけやれば手強い伝説の生き物も絶命した。
竜が横倒しになると、影の鎖が消える。
「なんとかやったぁ……」
グラムは前足を縫い付けた剣を抜いて、だらりと背を曲げる。疲れた、んだろう。僕も疲れた。
死体から鉾槍を抜く。……うわ、唾液が付いてる。拭くものないかな。
リグとウィルドも死体から武器を抜いた。そうして一息吐いたところで、アリサさんがくいくいとリグの袖を引っ張った。
「なんだ?」
「これ欲しい」
リグの袖を引っ張った手で竜の死体を指差す。途端リグが固まった。
「……えっと」
どうしろと、と僕らの間を視線が彷徨う。
「鱗。剥がして」
ああ、そっか。あの竜の鱗が結晶化してるから、調べてみたいのか。
納得いったリグは1つ頷くと、グラムに向けて顎をしゃくった。
「グラム」
「おれ!?」
えー、と不服そうに唸ってグラムは竜の死体の方を向く。確かに鱗硬いから一苦労しそうだもんな。
押し付けられても面倒だから、こそこそと竜から離れる。ウィルドもリズの剣を返す振りをしてそそくさと死体から離れた。
「さっさと剥がして先に行きましょうよ」
焦れたテッドが前に出て、短剣を取り出して鱗の下に突き刺した。が、うまくいかない。それどころか剣も抜けなくなった。
「……」
テッドはだらりと両腕を下ろして、残った短剣の柄を睨み付けた。その顔はむっつりと不機嫌そうだ。自分の思い通りにいかなくて、気に入らないんだろうな。
「なにやってんだよ、お前」
仕方ないとばかりにグラムが代わると、程なく簡単に抜けてしまった。そして自分の剣を抜くと、上手に動かして鱗を周囲の肉ごと切り取った。嫌がってた割りには手際が良い。
その肉からテッドのナイフを使って、器用に鱗を剥がす。そしてアリサさんに渡した。
「ほら」
受け取ったアリサさんは、鱗を翳すように持ち上げて、いろいろと角度を変えながら眺めた。表情変化に乏しいくせに、その目の輝いていること。
「ありがとう」
ようやく満足した彼女の頬はこのうえなく上気していた。
やっぱり彼女も研究者か。
気を取り直して先を行く。こうして行軍してわかるのは、奥に行けば行くほど結晶が凄くなるということだ。入口のほうは木の表面を覆う程度だったけど、この辺のものは枝先から結晶だけが成長しているみたいで、中身がないものがよく見られるようになった。
たまにアリサさんは立ち止まって、その結晶の欠片を折る。もちろん氷とは比べ物にならないくらい硬いから、魔術を使う。地の魔術で局所的に脆くして、そこからポキッといくのだ。
そうして採った結晶をまじまじと見て、アリサさんは残念そうに溜め息を吐いた。
「それも駄目か」
リグが尋ねると頷いた。
この森の状態が魔術によって維持されているのはさっき言った通り。つまり、結晶自体も魔術でできたものだ。ということは、この結晶は魔力が溜まっているこの場限定での物だということで、魔力がなくなれば結晶も消えるということ。
「もっと奥に行けば、魔力がなくても消えない結晶があるかも」
アリサさんはさっきから未練がましくその言葉を繰り返している。採った結晶は一応しまっていた。
「でも、だいぶ潜ったよなー」
道の先を見ながらグラム。同意するのはウィルドだった。
「そろそろ中心部ですね」
「じゃないと困る」
疲れた顔でリズが言った。竜以外にも魔物の襲撃を受けていて、そろそろ疲労もピークだ。ある程度鍛えてはいるけれど体力がないリズにはそろそろきつい。普段から鍛えてもいないアリサさんも、結晶への執念が身体を動かしているだけで、顔に疲労の色が出ている。
「〈凍れる森〉の中心部かぁ……」
さすがというべきか、まだまだ元気なグラムは、ふと視線を遠くに向けた。
「本当に妖精って居るのかな?」
「妖精?」
なにやら唐突……って、精霊が魔術で作られてるような世界だっていうのに、なに言ってるんだこの人。
「レンは知らないか。シャナイゼの北のほうじゃ有名な言い伝えなんだけど」
〈凍れる森〉の奥深くには湖があり、その湖に浮かぶ島には白い翼を持った妖精が氷の中で眠っていて、騎士が1人控えている。そんな言い伝えがシャナイゼの北部にあるのだそうだ。
「……白い羽根の妖精、ねぇ」
シャナイゼって、どうもそういうのが好きなんだな。同じようなものが出てくること。
その中でも、知っての通り、僕は羽根の生えた人型が嫌いな訳だが。
「〈セラフィム〉です、それは」
白い羽根を持つヒューマノイド、〈セラフィム〉。歌物語の題材になった娘の末路であり、僕の姉の末路。
ウィルドの言葉を聞いた瞬間、僕の事情を知っている人たちの動きが止まった。様子を伺うように僕を見てくる。
「…………へぇ」
まさかの大当たり。同じようなものじゃなくて、全く同じだったと。
しかし、思いがけないところで出てきたな。今回は結晶を採りに来ただけだから、戦闘以外で魔物に関わることなんてないだろうと思っていたのに。どうしても縁があるらしい。
「先行きましょうよ」
たぶん状況が読めてないテッドが促す。感じ悪いけど、今はありがたかった。
黙々と道を進む。奥に行けば行くほど結晶が成長しているのは相変わらず。
下らない会話がないのは、疲れの所為というより、僕の所為だろう。僕の前でその妖精の話なんてできないから、皆なんとなく喋りにくくなってしまったってところ。僕もあまりその話題は嫌だな。
結晶化は地面にまで及ぶ所為か足元は硬く平坦で、獣道なのに歩きやすい。そしてなんだかとっても静か。魔物の気配がない。
なにか、この先に凄い奴でもいるのか。
先頭を行くテッドが、立ち止まって声を漏らした。なんだなんだ、と全員が同じほうを向く。
「湖だ……」
本当にそこには結晶の森に囲まれて広がる青い湖があった。本当に中心部まで潜ってしまったんだ。泉とも言えそうな小さな湖。その真ん中に島があって、一際大きな結晶が座していた。
地面から真っ直ぐに生えた青い結晶。その中に人の形が確かに見えた。
お伽噺は本当だったのか。
その結晶の周りを徘徊する、人型の黒い影があった。
「あれは?」
「傀儡死体だね」
さすがというべきか、黒魔術師は一発で看破した。
本来は黒魔術で動く傀儡死体。魔力が溜まっているとたまに術なしでも動くという。ここはそういう場所だから、ああいうのがあってもおかしくない。
「まさか死体になっても守っているとは……」
驚き、呆れたとばかりにウィルドが言う。その横でリズが目を丸くした。
「てことは、あれが王子なのか」
王子、といえば〈セラフィム〉の恋人だ。……まさかとは思うけど、魔物になった恋人を受け入れただけじゃなく、死んだ後もその死体を大事に守ってた?
彷徨く死体の後ろにある結晶に閉じ込められた死体は、少女と呼べそうなほどに若い。そりゃそうだ。だって、今でも受け入れられていないっていうのに、2、300年前の人たちがあれを受け入れられたはずがない。間違いなく化け物として殺されたはずだ。それをずっと守ってたっていうのか。
「あれをどうにかすれば、〈凍れる森〉はなくなるかもしれませんね」
〈凍れる森〉の現状を作り出したのは、あいつがきっかけだ。きっかけを潰せば、森が元の状態になる可能性は大きい。幸いここには、黒魔術師がいる。斬っても叩いてもなかなか潰れない動く死体は比較的簡単に対処できるだろう。あいつを倒すことだってできる。
だけど、
「……馬鹿じゃないの」
僕は湖に背を向けた。
「レン?」
きっと殺しに行くと思ったのだろう、皆が意外そうに僕を見る。
「200年だろうが、300年だろうが、それこそ1000年だろうが、勝手に死体を守ってればいい」
大切な恋人だったんだろうけど、死んだ人にいつまでも縋って。魂が一生入ることのない器なのに、土に返すこともせず何年も何年も結晶に閉じ込めて保存して。その上、死んでもなお、一生蘇ることのない恋人の死体に縛られて。
幻想的な風景と王子の愛情の深さだけ見ればおとぎ話になりそうな美談だけど、客観的に見てみると、それってひどく滑稽。
似た境遇だからこそ、僕は共感できない。ああなりたくないし、なれない。一緒にしてほしくもない。
「ですが、永劫に等しい孤独は辛い」
ポツリと言ったウィルドの言葉はすごく重みがあった。
それはそうだろう、とは思うけど、でも。
「自分で選んだんでしょう。嫌なら辞めればいい」
自分で地獄を作りだして、閉じこもってるんだ。つまり自分で望んでるってことでしょう? だったら僕らが勝手に同情して、救ってやる必要なんてない。
「……ま、おれたちの仕事は魔物討伐じゃないからな。アリサの採集が終わったら帰るぞ」
肩を竦めて頭を掻いたグラムの声は、珍しく抑揚がなかった。アリサさんは頷いて、周囲の結晶の採取を始める。
そう、僕らの仕事はアリサさんの護衛であって、〈凍れる森〉の異常をどうにかすることじゃない。
あんな死に損ないの事なんて知らない。
自分が作った結晶の檻で、憐憫に浸っていればいい。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
数日後。僕はリグとアリサさんの研究室を訪れた。採取した結晶がどうなったのかを聞きに行ったのだ。
他に人のいない部屋で、苦いくせに味は薄いコーヒーをもらう。でも液体は真っ黒だから、不思議。
「……コーヒーにも水色ってあるんですかね?」
「頼むからサーシャがいるところで迂闊に言うなよ」
〈精霊〉サーシャの紅茶の水色遊びは、最近ようやく落ち着いてきたらしい。
「で、どうだったんですか。結晶は」
落ち着いたところで、ようやく本題に入る。
アリサさんの望んだ、魔力で作られながらも魔力がなくても残る結晶は、僕らの望むものでもあった。これがあれば、魔具作りが変わってくるかもしれないし、そしたらリグたちだって研究の助けになる。
「中心部で取れた奴は残った」
そうして机に置いた青い結晶は、採取したときよりも小さい気がした。どういうことかと2人でアリサさんを見上げると、彼女は肩を竦めた。
「縮んだけど」
硬そうな割に中身すかすかだったのか、それとも魔力で保ってた部分がなくなったのか。まあ、苦労した甲斐はあったのかな。
でも、こんなに小さいんじゃ僕らが使う分はないな。
残念に思っていると、アリサさんがボソッと呟いた。
「……あの、妖精が入ってた結晶、あれ削れたら良いのに」
嫌な予感がした。ちら、とリグと目配せし合う。同じことを考えているみたいで、互いに頷き合った。
「ねえ」
表情が割と淡白なくせに、こういう時は目をやたらと輝かせてアリサさんは身を乗り出す。
「行かねぇよ」「行きませんよ」
ハモったのは、心が一致している証拠。
採取対象が妖精が入っていた結晶ってことは、あのアンデットを相手にしろってことだ。道中にも厄介な魔物が多いっていうのに、たった一欠片の結晶のためにそんな苦労したくないっての。




