第8話 黒魔術狂想曲(前)
「それでは、今日はここまで」
途端、静かだった部屋の中が騒がしくなった。疲れたー、とか、眠かったー、とか、生徒の大半は教師がまだ教壇に立っているのにもかかわらず、好き好きに喋っている。
教材を片付けて紐で纏めていると、グラムが教室を横切っているのを見た。僕に用事かと思ったら、こっちを見向きもせず(たぶん気づいてない)に講師の先生の下に向かっている。
「レンくん?」
グラムを見ていたのをぼうっとしているとでも思ったのか、隣にいたリオが首を傾げる。それにはグラムを示すことで答えた後、なんだか気になったから僕もそっちへ向かった。
歴史の講師で〈青枝〉所属の研究者ルーファス・ファーレンハイトは、それはもうめちゃくちゃ美形だ。暗闇でも輝く銀糸の髪。新緑と深緑の間の鮮やかな緑柱石の瞳。繊細でありながらもしなやかな姿。冷たい鋭さの中にほろ苦い甘さのある整った容貌。女であるならば誰もが一度は恋い焦がれる、理想の王子様。
因みにこれ、恋愛小説が大好物な〈青枝〉の女性による彼への評価を引用したものだ。大げさだと笑い飛ばしたり、言葉が少々おかしいと指摘できないほどに、ルーファスの見た目は優れていた。あまりに美人だから目覚めた奴もいるって話だ。何に、とはあえて言わない。
そんな彼だから、当然女性には大人気。もちろん研修生にも。講義を終えた彼の下には毎度誰かしら女の子がいる。さすがに慣れたものでいつもは適当にあしらっているのだが、今回は何故か話し込んでいるようだ。
これはまさか修羅場か! と下世話な発想が頭の中に湧いて出る。もちろん違っても、からかいの材料になるので問題なく楽しい。
「ルーっ!」
というのに、空気を読まず大声でルーファスを呼ぶグラム。ルーファスは寮でジョシュアのルームメイトだったので、リグとリズとも知り合いで、さらにその経由でグラムとも知った関係だったりする。
「あのさぁ……っ」
状況を理解しようともせず、さらに何事かを話そうとするグラムがのけぞった。不自然に手が宙に浮いている。たぶんチョークかなにか投げつけられて、それを掴み取ったのだろう。
ルーファスは遅刻者と居眠りしている奴には、チョークを投げつける癖がある。そしてグラムが研修生時代にその常習犯であり、今のような応酬が頻繁に行われてたであろうことは、普段の言動から想像に難くない。
「話し中っていうのが見てわからないのか、お前は。なにをずかずかと入り込んでやがる」
〈木の塔〉の女性の注目の的の歴史講師は、口を開けば結構辛辣だった。
「あ、悪ぃ」
グラムは頭を掻いて詫びる。が、あまり悪いと思っていなさそうに取れるのはどうしてか。
そんな彼に溜め息を吐いて、ルーファスはふと僕らのほうに目を向けた。
まずい、とばっちりか?
「いいところにいた。この子知ってるか?」
……でもなかったらしい。
促されてその娘を見る。気弱そうな少女だった。内気そうな顔立ちに、肩までの赤茶の髪が掛かる。前髪は左側だけピンでとめていて、そこから茶色の瞳がのぞいていた。
「ああ、えっと確か……アザレアちゃん、でしたっけ?」
名前しか知らないですけど、と答えたら充分だと返ってきた。
「あの……身体は大丈夫ですか?」
おずおずとリオが話しかける。確かにこの娘、顔色が悪い。いや、それだけじゃない。思い出した。彼女確か、最近色々とやらかしているのだ。
なにもないところで急に倒れたり、席を立とうとしたところで動かなくなったり、本当に危ないのでは、魔術の実践訓練中に急に直立不動になっちゃって、火の玉を喰らいかけたなんていうのもあった。全部今週の話だ。
間抜けだとか、怯えて動けなくなった、とかそんなことじゃないのは見ていてわかった。
「実は、それについてだ」
彼女アザレアは、1週間前から急に金縛りになったり、胸が苦しくなって動けなくなったり、ということを繰り返しているらしい。時間、場所に構わず起こるので、何度も危ない目にあったのだとのこと。僕が訓練でみたときも、その症状が出ていたのだそうだ。
「〈白枝〉の人にも相談したんですけど、身体に異常はないそうなんです……」
身体の不調を感じたらまず医療専門の〈白枝〉に行くのが普通だ。そこで異常がないと言われ、はじめは気のせいかと思ったのだという。だが、その後も症状は治まる気配がなかった。だからルーファスに相談を持ち掛けたのだという。
何故〈青枝〉のルーファスを選んだんだという疑問は、今はとりあえず仕舞っておいてやった。それどころじゃない。
「たぶん黒魔術だ」
ルーファスの宣言に、リオ共々頷いた。魔力の気配がある。それしかない。
「だが、医術が専門とはいっても、仮にも〈木の塔〉の研究者だ。そうそう魔術――呪いを見逃すはずもないんだが……」
訪れる患者にも、稀にこういうことがあるはずだ。仮に専門外で対処できなくても、対処できる人物を紹介することになっている。だから、呪いを見抜くことくらいはできるはずなのに、その診断がなかった。
「やぶだったのかな?」
経験の浅い僕たちも気付くぐらいなんだから、相当な鈍さだ。
まあ、問題は医者ではない。あとで告げ口はするが、今は呪いをかけた術者のほうが重要だ。
「……駄目だ。心当たりがないな」
全員で溜め息を吐く。困ったことに、こういう黒魔術の事件は、可能性がある人物ほど犯人に“当てはまらない”のだ。だから容疑者はある程度黒魔術を齧っただけの、専門外の魔術師に限定される。
果たして〈木の塔〉の中に何人いることやら。当てはまらない人物を探したほうが早いくらいだ。
「とにかくさ、アザレアの呪いだけ解いてもらわねぇ? またあんなことがあったら困るし」
グラムの声で我に返る。その通りだ。犯人が誰にしても彼女の呪いを解かないと、この先もっと危ないことがあるかもしれない。
「お前にしては珍しくいい案だ。と、なれば……」
何処へ行けばいいのかと、ルーファスは思いを巡らせていた。
現代魔術はおおよそ2種類ある。
1つは〈陣魔術〉。円の中に魔術式を書き入れた魔法陣を使った、主に火とか水とかの属性系の魔術のことをそう呼ぶ。属性系の術は自然に影響を及ぼしてしまうため、発動させる場を限定させないと反動が大きいから、魔法陣でその範囲を指定するのだ。
基本的に魔法陣は魔力で描くけど、式と円陣に魔力が流れればいいため、魔力伝導性のある物で予め描いておくことも可能だ。魔具技術はこれを応用している。
もう1つは〈呪術〉。魔術式を使用しない、呪文による魔術の総称。端的に言えば、呪い、おまじない、願掛け、祈りといったものを実現させる魔術のこと。人を癒し守る白魔術と、人を呪い傷付ける黒魔術の2種類がある。
さて、今問題となっているのは、その黒魔術。魔法陣を必要としない魔術は魔具に使用されないため、僕はこの方面に弱い。
「何処に行くんですか?」
僕、リオ、ルーファス、グラム、アザレアの5人で〈木の塔〉の2階を歩いている。先頭はルーファス。塔の2階は魔術を専門にしている〈紫枝〉の研究室が詰まっているフロアだ。行き先としては妥当だけれど、問題はどこの研究室に行くのか。
「ミラベル・ハンフリーのところだ」
「誰です?」
知らない名前だった。首を傾げていると、リオが親切に教えてくれる。
「黒魔術専門の研究者だよ。黒魔術の講師もされている」
僕はそれを受講していなかった。本当は受けたかったんだけど、陣魔術系と一般教養系、小隊の訓練に家の手伝いといろんなことに追われて、呪術の講義まで首が回らなかった。魔具技師に重要なのは陣魔術だから後回しにしてしまったのだ。
対し、リオは一般教養系は充分だからと、魔術の講義はいろいろ受けているらしい。
「どうして、黒魔術師なんかのところに!?」
だんまりだったアザレアが引き攣った声を上げる。目を見開いて泣きそうな目でルーファスを睨んでいた。どうやらアザレアも僕と同じように黒魔術に手を出してはいないらしい。
……のはいいのだが、彼女の反応の理由が分からなくて、全員首を傾げる。
「黒魔術を解くなら、黒魔術師のところが一番だろ」
「そうかもしれないですけれど、もしかしたら私のこと呪った人かもしれないんですよ!? そうでなくても仲間を庇うかもしれないし、とんでもない見返りとか求められたりしたら……っ」
ああ、そうか。彼女は前提から間違えているのだ。
「犯人はおそらく黒魔術の達人――いわゆる黒魔術師じゃないですよ」
「え?」
「それだけはありえないな。まあ、お前が奴らによっぽどのことをしたなら別だけど」
呪いを扱う黒魔術師。彼らは容易に人を苦しめ恐怖させることができるから、と結構邪悪な存在として考えられている。ちょっとでも気に障ったら相手を呪うとか、酷い場合は金を貰って呪いを商売にしてる者も居るなんていうのが、なにも知らない人の認識。けれどそれは大きな誤解。さっきも似たようなことを言ったけど、黒魔術師ほどそういうことをしないのだ。
人を呪わば穴二つ、という言葉がある。誰かを害そうとするならば自分もまた害を受ける、という意味だ。教訓とか戒めの言葉だけど、これは黒魔術の本質を表してもいる。黒魔術を使えば、術者は代償を受けるのだ。
その代償の形はさまざまだが、決して軽いものではないという。だから、黒魔術師たちは悪ふざけとか嫌がらせとか金儲けとかのために黒魔術は使わない。逆に言えば、そんな軽い理由で黒魔術を使う者は黒魔術師じゃないし、黒魔術師として大成しない。
その前に、自らの術で自滅してしまうからだ。
そう説明すると、アザレアは半信半疑ながらも納得してくれた。まあ、いきなりこれまで信じていたことと違うことを言われて素直に呑み込める人は少ないよね。
「で、なんでリズのところじゃないんだよ」
アザレアへの説明のために脇に置かれていた疑問をグラムが口にする。ここに居る4人に共通する最も親しい黒魔術師はあのリズだ。気安さもあるし、礼も他人に頼むよりは少なくて済むからうってつけなのに。
「ハンフリーは黒魔術の権威とまで言われている。誰が黒魔術を使えるか、それを把握している可能性はリズより高い」
リズは黒魔術を扱うが、専門的に研究はしていない。だから知識面ではミラベルさんに劣るし、研究者同士でのつながりも希薄だから知り合いも少ないだろう、と判断したのだという。
「…っと、ここだな」
ルーファスは廊下を中ほど行ったところにあった扉の前に立ち、ノックした。
「ミラ・ハンフリー、いるか?」
扉を開けた中は不気味な暗さだった。真昼間なのに、洞窟の中に入ったかのように暗い。僕たちは思わず躊躇してしまったが、ルーファスは慣れているらしく構わず入っていった。
「ハンフリー?」
返事がないので、何度か呼びかけて見ると、くぐもった声が返ってきた。
のそりと向こう側でなにかが動く。
「はにゃ、ファーレンハイトせんせー?」
寝ぐせだらけの頭を机の向こうから浮かび上がる。女性だ。若い……けど年齢不詳。すごく眠たそうだった。これが黒魔術師ミラベル・ハンフリーか。
彼女は机の上に置いてあった眼鏡を掛けた後、机にしがみついて立ち上がった。蝋燭1本のわずかな光源の中に浮かび上がる白。その正体に気付くと、アザレアはポカンと口を開けて呆然とし、残りの男性陣ははすぐさま彼女から顔を背けた。
「お前、なんて格好してるんだっ!」
顔を真っ赤にしながらルーファスが唾を飛び散らんばかりに怒鳴りつける。
ミラベルさんの格好は下着同然……どころではなく、裾の方が捲れていて、肌まで見えている。さすがに見えてはならない部分は隠れてはいるが、突然の訪問とはいえ、人前――それも男性の前でその格好は如何なものか。
「自分の研究室だからいーじゃない……」
しかもそれを気にした様子がない。更に、寝ぼけている。この弛緩した雰囲気の女性が黒魔術を扱うと誰が信じるだろうか。
「研究室は私室じゃない!」
「はいはい。いーから、入って扉閉めて。眩しいから」
言われた通りにリオが扉を閉める。明かりは机の上に載った小さな蝋燭ひとつだけ。これでは机のあたりしかまともに見えない。
「この人が講師?」
「う、うん」
「予想とは違うけど……、これはこれでヤだな」
黒魔術師といえば、暗闇の中で蝋燭を持ち全身黒のフード付きのローブを身にまとっているような、邪悪そうな姿を思い浮かべそうなものだが、ミラベルさんはそれとはまったく違い、少し要領の悪そうな女学生のような容姿である。……目も当てられないような格好を似合いそうな服を着た格好に補正したなら、だけど。
っていうか、ほんと何歳だろうと思っていたら、なんとリズより年上らしい。中身はおっとりとした人物。とても呪いやらとは結び付きそうにもないが、黒魔術の第一人者だそうだ。リオ談。
「で、なんの用? 徹夜明けで寝たばっかだから、眠いんだけどぉ」
徹夜でいったいなにをしていたのか。聞いてみたくもあれば、そうでなくもある。黒魔術は元来それほど邪悪なものではないのだが、この部屋の雰囲気はやはり間違ったイメージしか生み出さない。
ともあれ、アザレアの呪いである。
「この見習いが呪いにかけられたらしい。見てくれないか」
「ん~、パス」
しょぼしょぼとした眼で欠伸を噛み殺しながら、椅子に座り込む。なんか羽織る気はないらしい。もっと恥じらいとか。目のやり場にホント困る。
「なんでだよ!」
「言ったでしょ、徹夜明け。頭がぼうっとした状態じゃあ、なんの呪いにかけられているかがわかっても解呪できない。というか、むしろ失敗してとんでもないことになるかも~。
リズがいるでしょ。そっちに頼んで。できなきゃひと眠りした後にやるから。ま、心配ないと思うけど」
お休みー、といって、沈むように椅子から滑り落ち、そのまま床で眠ってしまった。今さっきまで会話していたことが不思議なくらい、深く眠りこんでいる。
「……これ、教師?」
穴を覗き込むように中腰になって彼女を指さしながら、グラムはルーファスに顔を向けた。
「残念ながら」
いや、ほんとに残念だ。
なぜか研究室に備えてあった毛布を彼女にかけてやり、危ないので蝋燭の火を吹き消してから部屋を後にした。




