第8話 黒魔術狂想曲(後)
こうなったら、リズしか頼れない。急ぎ足で彼女がいるはずの研究室に向かった。
「とんだ回り道じゃん」
さきほどリズのところに、と進言したグラムは不平を漏らす。
「全くだ。……すまないな」
ルーファスは珍しくグラムの言葉に反発しなかった。それどころか一刻も早く楽になりたいだろうに、遠回りになってしまったことをアザレアに詫びる。
「いえ……」
大丈夫です、と俯き加減で、やはりか細い声で彼女は言った。今のところ、呪いによる金縛りは起きていないけど、いつ起きるかわからない。早急に対処しないといけない。
リズのいる研究室は2階、つまりミラベルさんの研究室と同じ階にある。扉を5つほど通り過ぎ、先程とは反対側にある扉の前に立った。立って、ルーファスはなにやら考え込んでしまった。彼が扉を塞いでいるため、中に入れない。
「……ルー?」
怪訝に思ったグラムが声を掛けると、ぼんやりとした答えを返したルーファスは不安そうな表情で僕らを見回した。
「……リオがいるから大丈夫か」
そう1人納得して頷くと、彼はリオの肩に両手を置いてとても真剣な表情で彼の目を見た。
「いざというときはお前だけが頼りだ。頼むぞ」
話が自己完結しすぎて、なにを言っているのか全然わからない。本当に講師かこの人。
「え……え?」
「なんの話だよ」
目的語がわからずぽかんとして固まったリオの横で、グラムは呆れた顔をする。
「暴走したときのストッパー」
「ああ、なるほど」
この2人、普段口げんかしている割に通じるものもあるらしい。今ので理解できるか、普通。
つまり、この件でリズがキレたときにリオに止めさせようということらしい。彼女は敵には容赦ない。特に、黒魔術による悪事となると敏感だ。怒ったら本当になにするかわからないし、いざ実力行使に持ち込まれると止めるのにも大変だ。だから、自分の弟のように可愛がっているリオに止めさせようという魂胆らしい。
「レンじゃ誘爆するからなぁ」
「どういう意味ですか」
僕が同じことしてもリオほどの効果がないことは認めるが、危険物扱いすることはないじゃないか。
と。
突然、がん、と目の前の扉が音を立てたので、僕たちは皆して飛び跳ねた。恐々と入口を見つめていると、部屋と廊下を遮る板が開かれて、ゆらりと黒と灰色の影が現れる。
「あのさ、うるさいんだけど」
いささか不機嫌、といった様子で扉の枠に凭れたリズ。仕事用の灰色のローブを着た彼女は、半眼で僕たちを見回し、初対面のアザレアに不思議そうな目でみて、どういうことかとルーファスに視線で訴えた。そして身を起こすと、やれやれと頭を掻きながら道を開けた。
「用があるならさっさと入れ」
許可も出たので、遠慮なくお邪魔する。
リズの他、この研究室にいるはずのリグやジョシュア、そしてこの研究室の主はいなかった。その代わりに、ショートカットに眼鏡を掛けた女性が1人お茶を飲んで座っている。テーブルの上にはいろんなお菓子。どうやら女性2人でお喋りに興じてたようだ。
リズは席を勧めて、棚から僕らの分の茶器を出した。リオがそれを手伝い、僕らはそれに甘えて座って待つ。
「なんでミシェルがいるんだ」
早速甘いお菓子に手を伸ばしつつ、グラムは先客を横目で見た。
「なんでって、リズと愛を語り合って……ごめんなさいなんでもないです」
彼女――ミシェル・リヒティはいつものようにふざけたことを言って、リズのひと睨みを喰らって頭を下げた。
ミシェルはリズが〈木の塔〉に入ってから以来の親友であるらしい。どういう経緯で仲良くなったのかは知らないが、互いが互いを尊重し合った、それは仲の良い友人同士なのだそうだ。
たまに黒い話も繰り広げているらしいが、定かではない。
「寝るからってミラさんに追い出されたんだって」
ミシェルはミラベルさんの研究室で黒魔術の研究をしているらしい。けれど、上記の理由で居場所を奪われた、と。だから親友のところに駆け込み、ちょうど休憩していたリズとお茶をしていたんだそうだ。
「別にいいんですけどー。ルーファス先生からも行ってくださいよー、研究室を私室化するなって」
「言ったが駄目だった」
「え、もしかして会ったんですか? あの恰好のままで?」
その瞬間男衆が顔を赤らめたのは失敗だったとしか言いようがない。うわーやらしー、と女性2人にからかわれて居心地が悪くなった。事故でしかないのだが、弁解はどつぼにはまるだけなのでしないに限る。
「それで、なんの用?」
自分のカップにだけお茶を継ぎ足し、ルーファスを見た。
ルーファスはアザレアを紹介し、経緯を語った。
話を聴いたリズは、ちょっと見せてみろ、と言って彼女の手を取った。ミシェルも後ろからアザレアを覗き込む。
「ふぅん……」
そうして浮かべた薄笑いにぞっとしたのは僕だけじゃないと思う。普段は人当たりの良いリズの顔が薄氷に覆われている。
「こんな性質の悪いもの掛けて……実験台にするにしてもやり過ぎだねぇ、これは」
「実験台?」
なんとも不穏な言葉に思わず訊き返すと、リズはうんざりした顔を作る。
「いるんだよ、たまに。たまたま近くを通った奴に術をかける奴」
「そんな奴いるのか!」
意外だとばかりに声をあげるルーファスに、リズとミシェルは頷いた。
「まあ、なにかを勘違いした馬鹿くらいしかやらないけどね」
当然のことだが、〈木の塔〉の規則で禁止されているらしい。ただあまりにも常識的なことだから、あえて指摘もしないんだそうだ。
――でも、言われるまでもないことを規則に載せるってことは前例があるわけで。
「こっちも迷惑してるんだよ。そういうのって大概が黒魔術でさ、そいつらの所為で黒魔術が誤解されて、使い手は白い目で見られるんだから」
先程のアザレアの反応を見てもわかるように、黒魔術についての誤解は蔓延している。その所為で黒魔術師と呼ばれるようになった人たちは肩身の狭い思いをしているようだ。やましいことをしていないのに責められて、引きこもる人も多いらしい。
「とりあえず、呪いを解いてくれ」
同情すべきところはたくさんあるけれど、今は黒魔術の是非よりもアザレアのほうが大事。
「その前に……ダガー」
呼びかけに応じて部屋の中に突如現れる炎。それは徐々に人の形を成してゆき、黒髪金目の野性的な少年の姿が現れた。リズの〈精霊〉であるダガー。彼はサーシャのように柔らかい物腰でなく、ふてぶてしさを感じさせる。しかし、忠誠心はすごく強くて、リズべったりだ。〈精霊〉は主の為に働くことを喜びとする、というのが世界にたった2人の〈精霊〉が主張するところ。
「頼んだ」
「はいよ」
そう返事するとダガーは現れたときと同じように炎となって姿を消した。消えただけで、還ってはいないのはわかる。〈精霊〉は主から魔力さえ与えられていればどんな形であっても存在することができるのだそうだ。実体化、霊体化、と呼び分けているらしい。
「どうしてダガーを?」
「いやね、犯人を特定しようと思って」
とっちめないとね、と笑い合うリズとミシェル。呪いを解除するときに掛けた相手の魔力を感じられるらしいのだが、〈精霊〉と召喚主は感覚を共有できるので、それを利用して犯人を捜し出すつもりらしい。ダガーを喚んだのは、霊体化することで壁や床が関係なくなるからだ。
「〈塔〉の人間だったらきっとすぐ見つかるから、それまでもうちょっと我慢して」
そう言ってアザレアに向ける笑みは温かいもので、安心感を覚えたのは彼女は声も出さず頷いて返事をした。
しばらくして見つけた、と言って、リズはミシェルとともにアザレアの呪いを解いた。
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「別にいなくてもいいのに」
忙しいでしょ帰りなよ、とリズは未だいるルーファスに言う。それは気を使っているのか、それとも邪魔者は帰れと言うことなのか。後者だろうな、と僕は思う。ルーファスは小舅のようにガミガミと煩いから。
「いや、いる」
「心配しなくても、見逃したりはしませんよ?」
リズに便乗してミシェルも言うが、それでもいる、とルーファスは引き下がらなかった。
「ミディさんも無理していなくてもいいのに」
ミディ、というのはアザレアのことだ。アザレア・ミディが氏名らしい。呪いを掛けた人物が傍にいると怖いだろうからこの部屋を出ていったほうが良いと言ったのだが、犯人の顔が見たいから、と彼女はその親切を跳ね除けた。気弱の割りに、意外に度胸がある。
「なんにしても、そこから出ないでよ」
壁に沿って立ち並ぶ本棚の中で、唯一仕切りがわりに置かれた本棚。その陰に僕ら5人は隠れていた。これから犯人がこの部屋に訪れる。その時に僕ら、特にルーファスとアザレアはこれから来る人物に見られると都合が悪い。かといって後任せにはできないとみんなが主張したので、こうしてかくれんぼするような形を取ることになった。
……つまるところ、ルーファスがリズの暴走を恐れているだけだ。信用されてない。リズはルーファスのそういうところが気に入らないのだそうだ。だから、この超絶美形に幻想を抱かない。顔はだいぶ好みなのだそうだけど。
ついでに、ルーファスの精神の安定のために、グラムとリオが強制的に居残らされた。破魔の剣〈リダクション〉を持つグラムは物理的に有効、リオはもう言うまでもない。
因みに、誘爆の恐れのある僕はあてにされていない。むしろ問題が起きたら面倒だから帰れってオーラがある。それでもいるのは、僕が女の子を困らせた犯人の顔が拝んでみたいからだ。
で、どうするかって? 傍観してなくもないけど、それは相手次第。
「おまたせー」
扉の開く音とともに入ってきたのはダガーの声。彼にはその犯人をここに連れてくるように頼んだのだという。そしてミシェルとともに事の次第を問いただし、それに応じた罰を与える、というのが作戦内容。
「ごめんね、急に呼んで」
聞こえてくるリズの声は、いつもとは全然違う、営業用、とでも言いたくなる声色だ。妥協する気がないことが知れる。
座って、という声と茶器を鳴らす音。これだけ聞いていれば、本当にお茶に招待されただけのようにしか思えないだろう。どんな顔しているんだか、見てみたい。
「紹介が遅れたけど、私はリズ・レーヴィン。こっちはミシェル・リヒティ。よろしくね」
「〈夕闇の魔女〉が、俺に用事……?」
明らかに戸惑った男の声。男か。男が女の子にあんなことしたのか。これだけでぶん殴るのは決定事項だ。
いつでも殴りかかれるように拳を固めて、本棚の陰に潜む。
「そ。……ああダガー、お疲れ様。もう行っていいよ」
「はーいよ」
炎となって消えるダガー(一瞬部屋の温度が上がったので見なくても分かった)。けど、気配は消えていない。何処へ行ったのかはお楽しみ。保身を考えるなら気にしたほうがいいと思うけど、たぶん気にも留めていないだろうな。
まあ、隠れてるからどんな様子かなんて見えないんだけどさ。
「さてさて、用事のほうなんだけど、他でもない。あなたの魔術に興味があってね。あなたの被験体を見せてもらったけど、なかなか面白いことをしているみたいだね」
自白を促すためにアザレアがされたことを肯定するような発言をすることは予め言ってある。尋問するよりも同調したほうが言質が取りやすいのだ。ここで相手がリズの言葉を否定するなら減刑の措置あり。そうでないならそれ相応の裁きが下される。今ここは一種の法廷となっている。
……まあ、それって私刑じゃないの、と言われると否定できないんだけどさ。悪いことしたなら、お仕置きくらいしなきゃね。
「え、見たんですか……? よく、俺だと」
「まあ、こっちは伊達に天才と言われてないからね。魔力には敏感なのよ」
傲慢な台詞は普段人を苛立たせるだけだが、使いどころによってはときに説得力が生まれる。特に名のある人間、憧憬の対象となる人間なら尚更だ。
そんな人物に自分が認められたと思ったらどうなるか。実にわかりやすい展開だろう。
「あーやだやだ。怖ぇ怖ぇ」
物陰から会話を聞いていたグラムが口走って身を震わす。万が一のために音を拡散させる魔術を掛けてあるため、内緒話くらいはしてもテーブルに座っている相手に聞かれることはない。
「うるさいな、黙っていろ」
「なんだよ。大体そっちが引き止めたんだろ?」
だから嫌だったのに、とグラムはぼやく。こんな寒い部屋になんで居続けなきゃいけないんだ、と。
普段と違い、意識的に穏やかな口調のリズに、僕らは全員背筋が凍っていた。気味が悪いとかじゃなく、それが彼女の怒りの度合いを表しているからにして。嵐前の静けさ、というやつだ。そしてこれから来る嵐はまず間違いなく暴風雪である。
「そもそもはじめからついてきたのはそっちだろう」
「だって用事があったんだもん。それを突っぱねといて、勝手なこと言うなよなー」
「……そういえば、用事ってなんだったんだ?」
「それ、今話さなきゃいけないことなの……?」
と下らない会話に気を取られてあっちの方を聞き流していたが、どうやら黒魔術の話で盛り上がっていたらしい。何故興味を持ったのか、とか、講義は受けなかったのか、とか、どんな本で勉強したのか、とか。とにかく舞い上がってるらしい彼は質問されるたびに興奮して、口がだんだん軽くなっている。
男は〈木の塔〉在籍2年目、医療系の〈白枝〉の所属。白魔術を学んでいるうちに、正反対の黒魔術に興味を持ったらしい。普通、片方が伸びたらもう一方は衰えていくのに、大したものだ。
で、独学で学び、そろそろ実践の機会が欲しくて実験をしたと。グラムによると、人体実験をしたがるのは〈白枝〉の特徴らしい。偏見だと思う。
因みに、名前は言ってたが忘れた。どうでもいいし。
「よく〈塔〉の人間を実験台にしようと思ったね」
ここでズバリとリズが本題に入ったので、本棚の裏の一同の緊張が高まった。アザレアなんてグッと喉を鳴らすほど緊張している。
「そりゃあ、だって身近ですし」
……リズがなにかする前に僕がぶち殺してやろうか、と一瞬本気でそう思った。なにかを察したグラムに引き留められて、正気に戻る。
同じ穴の狢と勘違いしている愚か者は、なおもまだ口を開く。
「実験の経過も見易いじゃないですか」
研修生だから毎日〈木の塔〉に現れる。街に住む不特定の誰かに掛けるよりは確かに追跡しやすいだろう。けど、それは人道に悖る行為であることはわかってるんだろうか。
「でもさ、ずいぶん危ない橋じゃない? 一応規則で禁止されてるのに」
「黙っていればわかりません。いざ危なくなったら、幻覚でも見せて誤魔化せばいいんです」
気がついたら本棚の影から飛び出していた。グラムの制止はない。リズの脇をすり抜け、テーブルの台に上がってそいつの顔を蹴り飛ばす。突然のことに反応できず、もろに攻撃を喰らったそいつは、大きな音を立てて床に投げ出された。
自分勝手。自分本位。どれだけ他人に迷惑をかけるのか、全く理解していない。それどころか、知識の為なら仕方ないと思っているに違いない。
ムカつく、ムカつく、ムカつく。
死ねばいいのに、こういう奴ら。
「レン、キレるの早い」
「文句あります?」
僕としては殺さなかっただけ褒めて欲しいところだ。
僕の心中を察したリズは、ため息を1つ吐いて首を振ると、土足でテーブルに上がるな、と注意した。それで僕は何処に立っているのか思い出した。テーブルの上では、カップは割れていないがお茶が溢れ、お菓子が散乱している。そっとテーブルから降りた。あとで念入りに綺麗にしないと。
さて、散らかったテーブルは気にしないとばかりに、リズは倒れたままの後輩――僕にとっては先輩――の傍にしゃがみ込んだ。
「さっき黙っていればわかんないって言ってたけど、実はもう言っちゃったんだよねぇ、塔長に」
その顔に表情はなく、口を開いて発した声には感情がなかった。
リズの指示によりいなくなったダガー。彼はあの後〈木の塔〉最高責任者である塔長のもとへこの事実を伝えに行ったのだ。普通はこんなちょっとしたトラブル――殺人が起こったわけでもなし、魔物の被害に比べればちょっとしたものだろう――は、塔長の関与するところではないのだが、なんとリズは塔長の孫であるため、こんなことでも直訴できちゃったりするのである。
七光りと呼ばれるのを嫌う彼女だが、ときにこうやって身内の権力を利用する。祖父のほうもそれを良しとしているみたいだ。その代わりにこき使われているみたいだけど。
「そっちはどうなるかは後々のお楽しみとして。今はこっちの問題。君さ、しばらく彼女がこの1週間ずっと感じてた恐怖を味わうといいよ」
すっと頭に手を伸ばす。なにかをされると感じ取ったらしく彼は身を引いたが、近くの本棚に阻害された。ルーファスが動きかけたが、ミシェルにより止められる。
そしてリズは彼の頭に手を置くと、呪文を唱えた。なんの呪文かは僕にはわからない。
呪文を唱えるのを終えた彼女は立ち上がると、彼を見て微笑みを浮かべた。その姿たるや、まさに“魔女”にふさわしい。
「因果応報、自業自得。罪を犯した者にはそれ相応の裁きが下る。その術、君が赦されるまで解けないから、せいぜい頑張って耐えて」
それっていつの話だよ、と泣き叫ぶが、リズはまったく意に貸さない。僕はそいつの胸ぐらを掴みあげて、部屋から蹴り出した。
――その後ルーファスに、あまりにもやり過ぎだ、とリズと共々説教された。
まだ続きます。




