第69話 答えを全部、私が持たなくてもいい
王妃基金改革助言会の初回開催に向けた準備は、これまでの会議準備とは少し違っていた。
議題を作る。
資料を揃える。
数字を確認する。
発言順を決める。
そこまではいつも通りだ。
けれど、今回はもう一つ、厄介な課題があった。
セレスティアが、すべてに答えないこと。
自分でそう書いておきながら、彼女は机の前でしばらく固まっていた。
『助言会初回進行案』
一、開会説明。
二、各代表者の役割確認。
三、第一回四半期不足状況表の共有。
四、冬季輸送支援共同寄付の進捗報告。
五、支援先報告書簡素化案の検討。
六、次回までの担当確認。
ここまではよい。
問題は、各項目の発言担当欄だった。
つい、全部に自分の名を書きそうになる。
開会説明、セレスティア。
不足状況表、セレスティア。
共同寄付報告、セレスティア。
支援先報告書簡素化案、セレスティア。
次回担当確認、セレスティア。
書きかけて、彼女はペンを止めた。
駄目だ。
これでは助言会ではない。
ただの「セレスティアが関係者の前で全部説明する会」だ。
それでは、これまでと何も変わらない。
ミリアが横からそっと覗き込む。
「セレスティア様」
「はい」
「発言担当欄が、ほぼセレスティア様です」
「……分かっています」
「分かっていて書いたのですね」
「手が勝手に」
「便利な手ですね」
珍しく、ミリアの口調が少しだけ辛辣だった。
セレスティアは反論できない。
ミリアは、机の上の進行案を指した。
「助言会は、複数の視点で支えるための場ですよね」
「はい」
「では、最初から複数の人が話す形にしなければ」
「その通りです」
「不足状況表は、ローレン副監と私で説明してもよいのではありませんか」
セレスティアは顔を上げた。
「ミリアも?」
「はい。四半期更新の実務案は、私が出しました。記録整備費の説明も、少しはできます」
「少しではありません。かなりできます」
ミリアは、少し顔を赤くした。
「では、かなり」
その言い方に、セレスティアは小さく笑った。
ミリアは続ける。
「共同寄付については、エミリア様が報告されるべきだと思います。代表者ですから」
「でも、緊張されるのでは」
「緊張しても、代表者です」
即答だった。
セレスティアは、ペンを持つ手を少し緩めた。
その通りだ。
エミリアは若い寄付者代表として助言会に入る。
ならば、共同寄付の報告をセレスティアが代わりに全部話してしまっては意味がない。
支援先報告書の簡素化案も、マリアナ修道女の意見が中心になるべきだ。
グランヴィル侯爵夫人には、古参支援者として「手続きが心を置き去りにしていないか」を見てもらう。
バルツァー夫人には、寄付者側への説明可能性を確認してもらう。
セレスティアの役割は、全部答えることではない。
場を整えることだ。
彼女は、担当欄を一つずつ書き直した。
一、開会説明――セレスティア。
二、各代表者の役割確認――セレスティア、オルド補足。
三、第一回四半期不足状況表――ローレン副監、ミリア。
四、冬季輸送支援共同寄付――エミリア・クラウゼン。
五、支援先報告書簡素化案――マリアナ修道女、セレスティア補足。
六、寄付者向け説明上の懸念――バルツァー夫人。
七、王妃基金理念との整合――グランヴィル侯爵夫人。
八、次回担当確認――セレスティア、ミリア記録。
書き終えると、進行案が急に助言会らしくなった。
同時に、胸の奥が少しそわそわした。
自分が話す部分が減った。
正しい。
正しいのに、落ち着かない。
ミリアが、こちらを見て言った。
「不安ですか」
「はい」
「何が一番不安ですか」
セレスティアは少し考えた。
「誰かが答えに詰まった時、すぐ私が引き取ってしまいそうなことです」
「ありそうです」
ミリアは、容赦なく頷いた。
「では、合図を作りますか」
「また咳払いですか」
「いえ。今回は、私が記録確認として『発言者ご本人のご意見を最後まで記録します』と言います」
セレスティアは思わず瞬いた。
「それは、私に黙って待てという意味ですね」
「はい」
強い。
かなり強い。
セレスティアは、少し感心した。
「ミリア、本当に頼もしくなりましたね」
「必要な部分だけです」
ついに、その言葉まで使いこなすようになった。
セレスティアは笑いをこらえきれなかった。
午後には、エミリア・クラウゼンが助言会の事前打ち合わせに訪れた。
彼女はいつもより緊張した顔で、小さな封筒を胸元に抱えていた。
「セレスティア様。共同寄付の進捗報告草案を持ってまいりました」
「ありがとうございます。拝見します」
セレスティアが受け取ると、エミリアはすぐに付け加えた。
「あの、かなり拙いと思います」
「最初から完璧である必要はありません」
「でも、助言会で読むのですよね」
「はい」
「グランヴィル侯爵夫人も、バルツァー夫人もいらっしゃるのですよね」
「はい」
「逃げたくなってきました」
「分かります」
セレスティアが即答すると、エミリアは目を丸くした。
「分かるのですか」
「とても」
「セレスティア様でも?」
「私も、公開意見交換会の前は逃げたいと思いました」
「そうなのですか」
「そうです」
エミリアは、少しだけ安心したようだった。
それから、草案を開いた。
『冬季輸送支援共同寄付について』
『私たちは、第一回四半期不足状況表を読み、輸送費が不足していることを知りました。薬草や灯油を必要な時期に届けるため、共同寄付を申し出ました』
真っ直ぐな文だった。
飾り気はない。
でも、悪くない。
セレスティアは読み進める。
『現在、参加者は十二名です。寄付者表示は、代表者および若手令嬢有志とします。個別寄付額は内部記録のみとし、寄付額競争にならないようにします』
ここもよい。
制度を理解している。
ただ、最後の文でエミリアらしい迷いが出ていた。
『私たちは、まだ若く、分からないことも多いですが、役に立てるよう頑張りたいと思います』
セレスティアは、その一文を見て少し考えた。
「ここだけ、少し直しましょう」
エミリアの顔が緊張する。
「駄目でしたか」
「駄目ではありません。ただ、『役に立てるよう頑張りたい』だと、少し曖昧です」
「では、どうすれば」
「何をするのかを書きましょう」
セレスティアはペンを取り、別紙に案を書いた。
『私たちは、報告書を受け取り、寄付が何を運んだのかを確認します。そして、次の支援分野を選ぶ時にも、不足状況表を読んで考えます』
エミリアは、その文をじっと見た。
「……こちらの方が、ちゃんとしています」
「はい。頑張る、よりも、何をするかが見えます」
「でも、私にできるでしょうか」
「できます。分からなければ質問してください」
エミリアは、小さく頷いた。
「分からない時に、分からないと言うのも役割なのですよね」
「その通りです」
横でミリアが記録しながら微笑んでいる。
エミリアは、少し照れたように言った。
「では、助言会で詰まったら、分からないと言います」
「はい。ただし、全部分からないでは困ります」
「それは、そうですね」
二人は少し笑った。
笑いながらも、セレスティアは気づいていた。
自分は今、エミリアの言葉を奪わず、整える手伝いをしている。
代わりに話すのではない。
話せるようにする。
これが、今の自分の新しい役割なのかもしれない。
夕方前には、マリアナ修道女との打ち合わせも行われた。
支援先報告書の簡素化案についてである。
マリアナ修道女は、いつも通り控えめな態度だったが、手元にはびっしり書き込まれた紙を持っていた。
「修道女様、かなりご準備いただいたのですね」
セレスティアが言うと、マリアナは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「現場の者たちに聞いてまいりました。言いづらいことも含めて」
「ありがとうございます」
紙には、率直な意見が並んでいた。
『同じ内容を別様式で何度も書くのが負担』
『冬季は患者対応で記録が遅れる』
『品目名が王宮側の分類と現場の呼び名で違う』
『感謝文を書く欄が広すぎると困る』
『困っていることを書く欄が小さい』
セレスティアは、最後の二つで手を止めた。
「感謝文を書く欄が広すぎると困る……」
マリアナ修道女が頷く。
「支援には本当に感謝しております。ただ、毎回長い礼文を書かなければならない雰囲気があると、現場では負担になります」
「困っていることを書く欄が小さい、というのは?」
「遠慮してしまう者が多いのです。感謝を長く、困りごとは少しだけ、という形になってしまう」
セレスティアは、胸が痛んだ。
支援先は、感謝する側として振る舞わなければならない。
困っていることを言うための報告書なのに、感謝の方が大きくなっている。
それでは本末転倒だ。
「報告書の様式を変えましょう」
セレスティアは言った。
「感謝欄は短くてよいことを明記します。困りごと、次に必要なもの、支援時期の希望を書く欄を大きくします」
マリアナ修道女は、少し驚いたように顔を上げた。
「よろしいのですか。感謝が足りないと見られませんか」
「感謝が足りないとは見ません。少なくとも、王妃基金の様式ではそうしません」
セレスティアは、はっきり言った。
「支援先に必要なのは、感謝文を美しく書くことではなく、次に何が必要かを伝えることです」
マリアナ修道女の目が、少し潤んだ。
「そのように言っていただけると、現場は助かります」
セレスティアは頷いた。
「この点は、助言会で修道女様から直接お話しいただけますか」
マリアナは一瞬ためらった。
「私から、ですか」
「はい。私が説明するより、現場の声として届きます」
「ですが、王宮の場で……」
「私が補足します。ローレン副監も会計面から支えます」
マリアナ修道女は、少しだけ考え、やがて頷いた。
「分かりました。現場の者たちの声として、お伝えします」
「ありがとうございます」
これも、任せることだ。
そして、支援先の声を奪わないことでもある。
夜に近づく頃、ミリアの発表練習が始まった。
本人は最初、かなり渋った。
「私は記録官ですので、発表は……」
「記録官だからこそです」
セレスティアが言うと、ミリアは困った顔をした。
「セレスティア様、私に言っていることが最近宰相閣下に似てきています」
「それは少し複雑です」
「でも、逃げられない感じは同じです」
「では、成功ですね」
「成功なのでしょうか」
ミリアは諦めて、第一回四半期不足状況表の記録整備費について説明する練習を始めた。
「記録整備費とは、支援先からの報告を集め、次に何が必要かを分かるようにするための費用です。これが不足すると、支援先の状況把握が遅れ、次回配分が遅れます」
そこまではよかった。
だが、ミリアの声は少し硬い。
セレスティアは、手を挙げた。
「ミリア」
「はい」
「少し会計室の説明書のようです」
「それは、悪いことですか」
「悪くはありません。ただ、助言会ではもう少し具体例が必要です」
「具体例……」
ミリアは考え込んだ。
しばらくして、言った。
「たとえば、孤児院から『保存食の棚が雨漏りで使えない』という報告が遅れると、食材を送っても保管できないままになります」
「とても分かりやすいです」
「では、それを入れます」
ミリアはメモに書き足し、もう一度読む。
今度は、少し声に力があった。
セレスティアは満足して頷く。
「よいと思います」
「怖いですが」
「怖いままで大丈夫です」
「セレスティア様」
「はい」
「人に役割を渡すのは、こういう気持ちですか」
「どういう気持ちでしょう」
「相手が怖がっているのを見ながら、それでも渡す」
セレスティアは、少し言葉に詰まった。
確かに、そうだ。
任せるというのは、相手が不安になることも含めて渡すことなのかもしれない。
守りたいからといって全部代わりにやれば、相手はいつまでも自分の声を持てない。
「たぶん、そうです」
セレスティアは答えた。
「私も今、それを学んでいます」
ミリアは、小さく頷いた。
「では、私も学びます。話す側を」
その言葉が、少し頼もしかった。
すべての打ち合わせが終わった頃、カインが部屋に来た。
机の上には、何人分もの発言草案が並んでいる。
セレスティアのものだけではない。
エミリアの共同寄付報告。
マリアナ修道女の支援先様式改善案。
ミリアの記録整備費説明。
ローレン副監の不足状況表補足。
バルツァー夫人への確認事項。
グランヴィル夫人への理念確認。
カインはそれを見て、短く言った。
「助言会らしくなったな」
セレスティアは、少しだけ肩の力を抜いた。
「はい。私が話す部分は、かなり減りました」
「不安か」
「不安です」
「だろうな」
「でも、よい不安だと思います」
カインは、少しだけ目を細めた。
「なぜそう思う」
「私一人で話せば、私の不安だけで済みます。でも、皆さんに話していただくと、それぞれが怖い思いをします」
「そうだな」
「それでも、それぞれの言葉で話す方が正しい。だから、この不安は必要なのだと思います」
カインは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言った。
「よく分かってきたな」
その言葉は、素直に嬉しかった。
「ありがとうございます」
「明日は、口を出しすぎるな」
「難しいですね」
「難しい」
「否定してください」
「しない」
いつものやり取りだ。
セレスティアは少し笑う。
「では、ミリアに止めてもらいます」
「いい判断だ」
ミリアが横で驚く。
「私の責任が重くなっています」
「必要な部分だけです」
セレスティアが言うと、ミリアは少し睨むようにこちらを見た。
「その言葉、便利に使いすぎです」
カインが低く笑った。
本当に小さな笑いだったが、セレスティアには分かった。
その夜、覚書にはこう書いた。
『助言会初回進行案、作成』
次に。
『私が全部答えない会議にする』
さらに。
『不足状況表はローレン副監とミリア。共同寄付はエミリア様。支援先報告書簡素化はマリアナ修道女。私は補足と線引き』
少し手を止めた。
『任せるとは、相手が怖がっているのを見ながら、それでも渡すこと』
最後に。
『代わりに話すのではなく、話せるようにする』
ペンを置く。
扉の外から、いつもの声がした。
「寝ろ」
「はい」
「今日は一枚か」
「はい」
「明日は助言会初回だ」
「はい」
「全部答えるな」
「分かっています」
「本当に?」
「……たぶん」
「ミリアに止めさせる」
「もう頼みました」
「いい」
少し間があった。
カインが言う。
「場を作れ」
「場を?」
「ああ。答えを出す前に、声が出る場を作れ。それが明日の君の仕事だ」
セレスティアは、覚書の最後に書いた言葉を思い出した。
代わりに話すのではなく、話せるようにする。
「はい」
「なら寝ろ」
「はい」
灯りを落とす。
明日は、初めての助言会。
セレスティアが全部答えない会議。
怖い。
でも、それでいい。
王妃基金は、ひとりの手から離れていく。
その先で、誰かの声が自分の言葉で届くなら。
それはきっと、正しい変化なのだ。




