表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹に婚約者も屋敷も奪われましたが、亡き王妃の帳簿には私の名前しかありませんでした 〜追放された公爵令嬢が王宮の裏金を暴いたら、冷徹宰相閣下に「国ごと君を守る」と言われています〜  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/79

第56話 断る言葉にも、制度が必要でした

 縁談の打診は、翌日にはさらに増えていた。


 正式な申し込みではない。


 だからこそ厄介だった。


 茶会の招待状の末尾に、さりげなく「愚息もぜひご挨拶を」と書かれている。

 王妃基金への寄付相談の名目で、「家同士の今後の親交」について触れている。

 ある侯爵家などは、寄付者向け概要報告書の制度案について意見を述べたいと言いながら、同封した手紙の半分以上が次男の人柄紹介だった。


 セレスティアは、その一通を読み終えて、静かに封筒へ戻した。


「寄付者向け概要報告書の意見書ではありませんね」


 ミリアが隣で苦笑した。


「はい。ほぼ縁談の打診です」


「しかも、次男の剣術大会での成績が長いです」


「お強い方なのですね」


「王妃基金と何の関係が?」


「ありません」


 二人は、しばらく黙って封筒を見た。


 その沈黙が、妙に疲れた。


 王妃基金監査補佐官として任命された翌日から、仕事の名前がそのまま縁談の材料になる。


 分かっていたつもりだった。


 だが、実際に手紙の束として積まれると、想像よりも生々しい。


「お断り文を統一した方がよさそうですね」


 ミリアが言った。


「はい。個別に返すと、言葉の違いを拾われます」


「この家には丁寧だった、あの家には冷たかった、と」


「そして、そこからまた噂になります」


「社交界、本当に燃料を探すのが上手ですね」


「感心したくはありませんが、上手です」


 セレスティアは白紙を取り出した。


 表題を書く。


『縁談および私的親交打診への回答文案』


 自分で書いて、少しだけ妙な気持ちになった。


 かつて、自分の婚約は家と王家の間で決まった。


 断る文案など、考えたこともなかった。


 だが今は違う。


 望まない縁談を受ける必要はない。


 カインの言葉が、胸の奥にまだ残っている。


 セレスティアは、ペンを置く前に一度息を整えた。


『現在、セレスティア・エルフォードは王妃基金監査補佐官としての職務に専念しており、私的な縁談および将来的な婚姻を前提とした親交については検討しておりません』


 硬い。


 けれど、明確だ。


 ミリアが読み、頷く。


「よいと思います。ただ、少し冷たく見える家もあるかもしれません」


「では、社交辞令を少し足しましょう」


 セレスティアは次の一文を書き加えた。


『ご厚情には感謝申し上げますが、王妃基金に関するご相談と私的縁談は明確に分けて扱わせていただきます』


 書いてから、セレスティアは自分で少し笑った。


「また分けていますね」


「分けるのは大事です」


 ミリアが真顔で言った。


「寄付と縁談も、混ぜると危険です」


「その通りです」


 そこへ扉が開き、カインが入ってきた。


 彼は机の上の表題を見るなり、眉をわずかに動かした。


「増えたか」


「はい。縁談の打診が、寄付相談や茶会招待に混ざっています」


「予想通りだな」


「予想通りでも、嬉しくはありません」


「だろうな」


 カインは文案を手に取り、黙って読んだ。


 少しの間。


 そして、短く言った。


「一文足せ」


「どのような?」


「王妃基金への寄付、支援相談、行事参加の可否は、縁談や私的親交の有無に影響されない、と」


 セレスティアは目を上げた。


「ああ……」


 言われてみれば必要だった。


 縁談を断られたから寄付が不利に扱われる。

 あるいは、縁談を匂わせれば寄付相談が優先される。


 そんな誤解を残してはいけない。


「入れます」


 セレスティアは書き加えた。


『なお、王妃基金への寄付、支援相談、行事参加の審査は、縁談および私的親交の有無とは一切関係なく、基金規程と支援目的に基づき行われます』


 カインは頷いた。


「これでいい」


「宰相府名で出しますか」


「宰相府預かりの役職に関わるものは、宰相府の確認済み文書として出す。君個人宛ての私的な手紙には、君の署名で同じ文面を使え」


「分かりました」


 カインは、少しだけ目を細めた。


「不快か」


 セレスティアはすぐには答えなかった。


 不快。


 たぶん、それはある。


 だが、不快だけではない。


「少し、怖いです」


 正直に言った。


「私の仕事に名前がついた途端、その名前を別の目的に使おうとする方々が出てきました。父の時と同じではありませんが、似た怖さがあります」


 ミリアが静かにこちらを見る。


 カインは、言葉を遮らなかった。


 セレスティアは続けた。


「ただ、今回は断る言葉があります。職務範囲も、宰相府確認もあります。だから……怖いですが、昔とは違います」


 カインは頷いた。


「違う。今回は君が断っている」


「はい」


「それを忘れるな」


 その言葉は、短いが強かった。


 セレスティアは、文案の上に手を置いた。


 断る言葉にも、制度が必要だ。


 今日、それを実感した。


 縁談への回答文案が整った直後、今度は別の問題が届いた。


 寄付者向け概要報告書制度案に対する、大口寄付者たちからの意見書だった。


 差出人の筆頭は、バルツァー財務卿夫人。


 王宮財務に強い影響力を持つ家の夫人で、社交界でも寄付と慈善活動の顔役として知られている。


 封筒は重い。


 中の文書は、さらに重かった。


 セレスティアは読み始めて、すぐに空気が変わるのを感じた。


『寄付者向け概要報告書制度案について、趣旨には賛同する。しかし、寄付者の使途希望を制限し、最終配分を王妃基金側に集中させることは、長年支援を続けてきた寄付者の善意と信頼を損なう恐れがある』


 丁寧だ。


 だが、強い。


 続きはさらに踏み込んでいた。


『特に、寄付者名の公表を制限し、支援先の尊厳を損なう宣伝を禁じるとの文言は、寄付者を潜在的な加害者のように扱う印象を与える』


『また、大口寄付者が支援対象を指定できない場合、寄付意欲の低下を招く可能性がある』


『寄付は義務ではない。善意に過度な手続きを課せば、基金そのものが萎縮する』


 セレスティアは、文書を最後まで読み終えた。


 反発が来ることは予想していた。


 だが、やはり実際に読むと重い。


 ミリアが不安そうに尋ねる。


「どうされますか」


「反論します」


 セレスティアは即答した。


 だが、すぐに言い直す。


「いえ、反論だけでは駄目ですね。受け入れる部分と、譲れない部分を分けます」


 カインがわずかに頷いた。


「言え」


 セレスティアは、意見書を机に置き、項目ごとに整理し始めた。


「まず、寄付者の使途希望を完全に排除するつもりはありません。支援分野の希望は受け付ける、と明記しています。ただし、特定の支援先や行事を寄付者の名誉宣伝の場にすることは避けるべきです」


 ローレン副監が、ちょうど部屋へ入ってきた。


「大口寄付者の反発ですか」


「はい」


「来ましたね」


 彼は驚かない。


 むしろ予想通りという顔だった。


 セレスティアは続けた。


「寄付意欲の低下については、確かに考慮が必要です。だから概要版では、寄付者の善意をより確実に必要な場所へ届けるため、と表現します」


 ミリアが記録する。


「譲れない部分は?」


 カインが問う。


「寄付者名の公表を本人同意制にすること。支援先の尊厳を損なう宣伝を禁じること。最終配分権を基金側に残すこと。この三つは譲れません」


「理由は」


「寄付者の名誉より、支援先の尊厳と基金の公平性が優先されるべきだからです」


 部屋が静かになった。


 セレスティアは、少しだけ息を吸う。


「寄付は善意です。でも、善意であっても、受ける側を見世物にしてよい理由にはなりません」


 カインの目が静かに細くなる。


「それを回答に入れろ」


「強すぎませんか」


「規程側には入れろ。概要版は整えればいい」


 セレスティアは頷いた。


 また、分ける。


 原則と表現。


 硬い規程と、届く概要。


 そこへ、ローレン副監が言った。


「もう一つ、数字の面からも補強できます。使途指定が強すぎると、資金が人気の支援分野に偏ります。見栄えのする孤児院や茶会支援には集まりやすい一方、灯油、衛生用品、帳簿整備、輸送費など地味な支援は不足しがちです」


「それは重要です」


 セレスティアは、すぐに書き留めた。


 寄付者の希望をすべて通せば、見栄えのよい支援に金が集まる。


 だが、本当に必要なものは、目立たない場合が多い。


 灯油。

 輸送費。

 保管費。

 薬草の乾燥設備。

 報告書を作るための紙と人手。


 そういうものが不足すれば、支援は続かない。


「回答文には、人気分野への偏りを防ぐため、と入れます」


 オルドも遅れて入室し、法務の観点から加えた。


「寄付者名公表については、支援先の安全やプライバシーも理由にできます。特定の孤児院や施療院が大口寄付者の宣伝に使われると、訪問者や取材希望が集中する恐れがあります」


「それも入れます」


 セレスティアは、次々に項目を書いた。


 反発は厄介だ。


 だが、制度を強くする材料にもなる。


 寄付者側がどこを嫌がるか分かれば、そこを丁寧に補強できる。


 カインが言った。


「会合を開く」


「寄付者の方々と、ですか」


「ああ。文書だけでは不満が残る。大口寄付者数名を呼び、説明する」


 セレスティアは、手が止まった。


「私も出席しますか」


「当然だ」


 当然。


 まただ。


 セレスティアは少しだけ苦笑した。


「逃げたい顔をしたか?」


 カインに見抜かれた。


「少し」


「出ろ」


「はい」


「君の制度だ」


「はい」


「ただし、一人で受けるな。会計はローレン、法務はオルド、社交界の言葉はローゼン夫人を同席させる」


 セレスティアは、少しほっとした。


「ありがとうございます」


「補佐官の仕事は、全部を一人で受けることではない」


「はい」


 その返事は、以前より素直に出た。


 午後、縁談への統一回答文が発送された。


 同じ文言。


 同じ距離。


 同じ線引き。


『現在は王妃基金監査補佐官としての職務を優先しており、縁談および婚姻を前提とした親交は検討しておりません』


『王妃基金への寄付、支援相談、行事参加の審査は、縁談および私的親交の有無とは一切関係なく、基金規程と支援目的に基づき行われます』


 セレスティアは、自分の署名を入れた。


 セレスティア・エルフォード。


 今度の署名は、断るための署名だった。


 それが、少しだけ誇らしかった。


 受け入れる署名だけが、自分の名前ではない。


 断る署名も、自分の名前なのだ。


 夕方、リリアナが来た。


 今日も講習帰りで、少し疲れた顔をしている。


 だが、目はしっかりしていた。


「お姉様。縁談のお返事、出されたと聞きました」


「早いですね」


「王太子府にも噂が来ます」


「でしょうね」


 リリアナは、少しだけ身を乗り出した。


「ちゃんと断れましたか」


「はい」


「本当に?」


「本当に」


「強く言いましたか」


「礼儀正しく、明確に」


「よかったです」


 セレスティアは、少し笑った。


「あなたに確認される日が来るとは思いませんでした」


「私もです」


 リリアナは真面目に言った。


「でも、お姉様は断るのが下手なところがあるので」


「否定できません」


「だから、確認です」


「ありがとう」


 リリアナは少し嬉しそうに頷いた。


 その後、机の上にある寄付者向け概要報告書制度案を見つける。


「これは?」


「大口寄付者向けの報告制度です。少し反発が出ています」


「反発?」


「寄付者の使途希望を制限しすぎではないか、寄付者名の公表を制限するのは失礼ではないか、と」


 リリアナは眉を寄せた。


「でも、支援先の方が嫌がるかもしれないですよね」


 セレスティアは、妹を見た。


「そうです」


「寄付した方が偉い、みたいに言われたら……私なら嫌です」


「あなたなら、ですか」


「はい。支援を受ける側だったら、という意味です」


 リリアナは少し考え込んだ。


「それに、見栄えがする支援ばかりにお金が集まるのも困りますよね。灯油とか、輸送費とか、地味だけど必要なものがあると、報告書で読みました」


 セレスティアは、胸がじんわり温かくなるのを感じた。


 リリアナが、数字の先を見ている。


 そして、目立たない支援に気づいている。


「その意見、会合で使ってもよいですか」


 リリアナは目を丸くした。


「私の意見を?」


「はい。大口寄付者にも分かりやすいと思います」


「でも、私の名前は」


「出しません。『候補者教育の試読協力者からの指摘』として扱います」


「それなら……はい」


 リリアナは少しだけ緊張しながら頷いた。


「でも、私もいつか、自分の名前で言えるようになりたいです」


 セレスティアは、静かに微笑んだ。


「なれます」


「本当ですか」


「はい。もう少し勉強すれば」


「もう少し、ではなく、かなりでは?」


「では、かなり」


「お姉様、そこは否定してください」


 二人は、少しだけ笑った。


 その笑いは、以前よりずっと自然だった。


 夜、セレスティアは覚書を書いた。


『縁談への統一回答文を出した』


 次に。


『断る言葉にも、制度が必要だった』


 さらに。


『寄付者向け概要報告書制度案に、大口寄付者から反発。善意も飾りになる。だから線を引く』


 少し手を止めて、今日一番大事なことを書く。


『寄付者の名誉より、支援先の尊厳と基金の公平性』


 その下に。


『リリアナが、支援を受ける側なら嫌だと言った。灯油や輸送費のような地味な支援にも気づいた』


 ペンを置く。


 今日も一枚を少し越えた。


 扉の外から、案の定声がした。


「寝ろ」


「はい」


「今日は何枚だ」


「一枚と少しです」


「補佐官」


「はい」


「自分で作った見直し条項を使わせるぞ」


 セレスティアは笑ってしまった。


「まだ過重負担ではありません」


「その判断は三者確認だ」


「厳しいですね」


「制度だからな」


 その言い方が、少し可笑しかった。


 でも、ありがたかった。


「明日は大口寄付者との会合ですか」


「ああ」


「荒れますね」


「荒れる」


「宰相閣下は、もう少し柔らかく言えませんか」


「荒れるものは荒れる」


 セレスティアは、小さく息を吐いた。


「分かりました。荒れる前提で準備します」


「それでいい」


 少し間があって、カインが言った。


「縁談の断りは、よくやった」


 胸が、静かに温かくなる。


「ありがとうございます」


「君の名前は、断るためにも使える」


 まるで、覚書を読まれたかのような言葉だった。


 セレスティアは、少しだけ驚いて扉を見た。


「……はい」


「覚えておけ」


「はい」


 灯りを落とす。


 暗い部屋で、今日出した断り文を思い出す。


 受けるだけではない。


 背負うだけではない。


 断ることも、選ぶことも、自分の名前でできる。


 明日は、大口寄付者との会合。


 きっと荒れる。


 でも、もう流されない。


 善意という美しい言葉の中に隠れた見栄や支配を、きちんと分ける。


 セレスティアは、静かに目を閉じた。


 王妃基金監査補佐官としての仕事は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ