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妹に婚約者も屋敷も奪われましたが、亡き王妃の帳簿には私の名前しかありませんでした 〜追放された公爵令嬢が王宮の裏金を暴いたら、冷徹宰相閣下に「国ごと君を守る」と言われています〜  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第48話 返還金再配分報告書、第一号

 ラドクリフ商会への処分が正式に下ったのは、朝の鐘が二度鳴った直後だった。


 王宮会計室、法務局、宰相府の連名文書。


 表題は短い。


『ラドクリフ商会に対する王妃基金関連取引停止および損害返還命令』


 セレスティアは、その写しを机の上で確認した。


 一、ラドクリフ商会を王妃基金関連取引から最低五年間排除する。

 二、確定損害額のうち商会負担分を損害返還として納付させる。

 三、返還金は寄付、協賛、支援金として扱わない。

 四、未提出帳簿の完全提出を命じる。

 五、返還金再配分報告書作成に必要な照合へ協力させる。

 六、改竄または隠匿が確認された場合、営業許可の一部停止を検討する。


 淡々とした文章だった。


 だが、商会にとっては刃である。


 五年間。


 王妃基金関連取引からの排除は、単に一つの取引先を失うという意味ではない。


 王宮と高位貴族家に対して、「王妃基金を扱う信用を失った商会」と示されるに等しい。


 ラドクリフ商会が築いてきた看板に、深い傷が入る。


 けれど、セレスティアは同情しなかった。


 同情するには、失われたものが多すぎた。


 北方施療院の灯油。

 孤児院の栄養補助品。

 西部養蜂組合の継続購入。

 そして、王妃基金そのものへの信用。


 商会の信用だけが守られる道理はない。


 ローレン副監が、別紙を机に置いた。


「損害返還第一回分の入金予定が出ました。商会負担分の一部として、まず金貨六枚、銀貨三十枚。公爵家側と王太子府側の負担配分は、まだ確定前です」


 セレスティアは金額を確認する。


「第一回分としては妥当ですね」


「ええ。全額ではありませんが、初期再配分三件には着手できます」


 ミリアが、少し緊張した顔で白紙を用意した。


 その上には、仮題が書かれている。


『返還金再配分報告書 第一号』


 セレスティアは、その文字を見た瞬間、胸の奥に不思議な重さを感じた。


 第一号。


 制度というものは、最初の一枚が大事だ。


 ここで曖昧にすれば、次も曖昧になる。

 ここで美談にすれば、次も責任が薄まる。

 ここで読みにくくすれば、また誰かが「分からないから任せる」と言う。


 だから、第一号は丁寧に作る必要があった。


 カインが言う。


「始めろ」


「はい」


 セレスティアはペンを取った。


 まず、会計詳細版。


 こちらは金額、返還原資、配分根拠、支出予定を正確に書く。


『本報告書は、ラドクリフ商会による王妃基金関連取引の不適切差額処理に係る損害返還金について、王妃基金への返還および初期再配分の内容を記録するものである』


 次に、返還金の性質。


『本返還金は寄付、協賛、任意支援ではなく、損害返還である』


 その一文は、必ず入れる。


 商会が後で言い換えられないように。


 続いて、初期再配分先。


 一、北方施療院暖房支援追加分。

 二、王都東区孤児院冬季栄養補助品追加購入。

 三、西部養蜂組合継続購入契約再開準備金。


 それぞれに金額を入れていく。


 ローレン副監が横から確認した。


「北方施療院は、まず灯油二か月分と予備燃料。輸送費込みで銀貨九十枚」


「はい」


「孤児院は蜂蜜、保存果実、豆粉。栄養補助品として銀貨六十枚」


「はい」


「西部養蜂組合は、次回慈善茶会用の適正価格購入と、継続契約準備。銀貨八十枚」


「残額は?」


「第二次再配分まで保留。未確定損害額との照合後に追加配分です」


 セレスティアは頷き、記録した。


 次に、関係者概要版。


 ここが難しい。


 会計詳細版なら、正確さを優先すればいい。


 だが、概要版は違う。


 リリアナのように会計に不慣れな者でも読める必要がある。


 同時に、甘くしてはいけない。


 セレスティアは、少し考えてから書いた。


『王妃基金の一部取引において、本来支援へ用いられるべき金額が、不適切な差額処理により別用途へ回っていたことが確認されました』


 硬い。


 だが、分かる。


 続ける。


『今回返還された金額の一部は、まず支援の遅れや不足が確認された三つの先へ戻します』


 戻します。


 この言葉は、少し迷った。


 会計用語としては「再配分」だ。


 だが、概要版では「戻す」でよいと思った。


 もともと、そこへ届くはずだったものなのだから。


 カインが文面を覗き込む。


「戻します、か」


「概要版ですので」


「悪くない」


 その言葉に、少し安心する。


 セレスティアは続けた。


『一つ目は、北方施療院の暖房支援です。灯油支援の不足により暖房使用時間が短くなった記録があるため、追加の灯油と予備燃料に充てます』


『二つ目は、王都東区孤児院の冬季栄養補助品です。蜂蜜、保存果実、豆粉など、冬季の食事を補う品を購入します』


『三つ目は、西部養蜂組合との継続購入です。単発の茶会用ではなく、適正価格での購入を続けるための準備に充てます』


 書きながら、セレスティアはリリアナの顔を思い浮かべた。


 この文なら、あの子にも読めるだろうか。


 たぶん、読める。


 分からないところには、また付箋を貼るだろう。


 それでいい。


 分からないまま閉じるよりずっといい。


 返還金再配分報告書の第一号は、昼過ぎには仮完成した。


 会計詳細版は、ローレン副監が確認する。

 法務上の表現は、オルドが見る。

 概要版は、セレスティアとミリアが読みやすさを整える。


 そして、最後にリリアナへ試読させることになった。


 ミリアが少し驚いた顔をした。


「リリアナ様に、ですか」


 カインが答えた。


「概要版は、読ませる相手に読めなければ意味がない」


 セレスティアも頷いた。


「リリアナは、今回の報告書を必要だと言った当事者です。あの子が読んで分かりにくい箇所があれば、他にも分からない方がいると思います」


 リリアナは、その日の午後、宰相府の小会議室へ呼ばれた。


 かなり緊張した顔で入ってきた。


 手には、いつもの王妃基金規程と筆記具。


「お姉様。私が読んでよいのですか」


「はい」


「間違ったことを言ったら」


「それを確認するために呼びました」


 セレスティアが答えると、リリアナは少しだけ背筋を伸ばした。


「分かりました」


 彼女は概要版を受け取り、一行ずつ読んだ。


 読む速度は早くない。


 途中で眉を寄せ、付箋を貼る。


 セレスティアは黙って待った。


 少し前なら、早く読んでほしいと思ったかもしれない。


 今は待てた。


 待つことも、手続きの一部だった。


 リリアナが最初に顔を上げたのは、三つ目の項目だった。


「お姉様」


「はい」


「『適正価格』という言葉は、私は最近学んだので分かります。でも、初めて読む方には少し難しいかもしれません」


 セレスティアは頷いた。


「では、注を入れましょう」


 ミリアが筆を取る。


 リリアナは、少しだけ緊張しながら続けた。


「『安く買いたたくのでも、高く見せかけるのでもなく、品物と働きに見合った価格』という説明では……幼すぎますか?」


 ローレン副監が横で小さく笑った。


「いいえ。むしろ分かりやすいです」


 リリアナの顔が少し明るくなる。


 セレスティアは、注記にその表現を入れた。


 次に、リリアナは一つ目の項目を指した。


「北方施療院の暖房支援ですが、『暖房使用時間が短くなった』だけだと、どれくらい大変なのか想像しにくいかもしれません」


「どう書くとよいと思いますか」


「夜間診療室、と入れると分かりやすいです。私も報告書でそこを読んで、初めて寒い部屋を想像しました」


 セレスティアは、少しだけ胸が温かくなった。


 リリアナは、報告書を読んでいる。


 ただ読んだふりではない。


 自分が何で理解できたのかを、言葉にしている。


「採用します」


 リリアナは目を見開いた。


「本当に?」


「はい。よい指摘です」


 リリアナは、少しだけ口元を緩めた。


 だが、すぐ真面目な顔に戻る。


「あと、孤児院の栄養補助品ですが……蜂蜜や保存果実と書かれると、茶会の菓子を思い出す方もいると思います。食事を補うため、と最初に書いた方がいいかもしれません」


 セレスティアは、ミリアと顔を見合わせた。


 確かにそうだ。


 蜂蜜や保存果実は、茶会では華やかな菓子になる。


 だが、孤児院では栄養補助品だ。


 同じ品でも、意味が違う。


 そこを書き分ける必要がある。


「それも採用します」


 リリアナは、今度こそ少しだけ嬉しそうにした。


 けれど、得意げにはならなかった。


 むしろ、安心したようだった。


 自分の「分からない」「こうした方が分かるかもしれない」が、誰かの役に立つ。


 その感覚を、彼女は少しずつ覚え始めていた。


 同じ頃、エルフォード公爵邸には、グレアム公爵の会計承認権一時停止の正式通知が届いていた。


 王宮会計室と宰相府の連名。


 期間は初期三か月。


 ただし、帳簿提出完了、損害額配分表の確定、会計室再編、外部監査官評価の四条件を満たさない場合、延長。


 生活必需品および屋敷通常運営に関する支出は、外部監査官承認のもと迅速処理を認める。


 文面は、セレスティアが提案した線に近かった。


 グレアムは、その文書を静かに読んだ。


 怒りがないわけではない。


 当主として、屈辱はある。


 だが、どこかで覚悟もしていた。


 彼は机の上のベルを鳴らした。


 入ってきたのは、マルクスではなかった。


 外部監査官クロスの補佐官と、屋敷側の臨時会計担当に任じられた老書記官だった。


 それだけで、屋敷の権力構造が変わったことが分かる。


 以前なら、当主執務室に会計の話で来るのはマルクスだった。


 今は違う。


 グレアムは、文書を机に置いた。


「この通知に従う」


 老書記官が、少し驚いたように顔を上げた。


「旦那様」


「生活必需品関連の支出について、滞りが出ぬよう一覧を作れ。外部監査官の承認記録も添える」


「承知いたしました」


「商会取引は、ラドクリフ商会を除外する。代替業者は、監査官と相談して選べ」


 補佐官が記録する。


 グレアムは、その筆の音を聞いていた。


 自分の言葉が、外部の者に記録される。


 以前なら不快だった。


 今も不快だ。


 だが、これが今の自分に必要な枠なのだろう。


 枠がなければ、自分はまた「家のため」と言って曖昧にする。


 それを、うすうす分かり始めていた。


「マルクスは」


 老書記官が慎重に答える。


「会計関連業務からは外れております。使用人統括の一部についても、奥様と協議中です」


「そうか」


 グレアムは目を伏せた。


 マルクスもまた、この家の歪みを支えた一人だった。


 有能だった。


 忠実だった。


 そして、その忠実さが危うかった。


 セレスティアの改革案の言葉が頭に浮かぶ。


 確認なき従順は、制度上の危険。


 あれは、マルクスにも当てはまる。


 そして、自分にも。


 エヴァンジェリンは、使用人頭たちを集めていた。


 会計承認権停止により、屋敷の日常運営も一部手順が変わる。


 これまでは、家令マルクスに通せば済んだ支出も、今後は臨時会計担当と外部監査官の確認が入る。


 料理場の仕入れ。

 馬車の維持費。

 薪や油。

 衣装管理。

 客間用品。


 すべてが止まるわけではない。


 だが、記録が必要になる。


 使用人たちは不安そうだった。


 エヴァンジェリンは、落ち着いた声で言った。


「手続きは増えます。でも、皆の仕事を疑うためだけではありません。何にいくら必要なのかを、きちんと残すためです」


 料理長が、遠慮がちに尋ねた。


「奥様、急な来客の食材などは」


「臨時支出欄を作ります。後から理由を記録する形です。ただし、理由を書けないものは出せません」


 その言葉に、使用人たちは顔を見合わせた。


 理由を書けないものは出せない。


 それは、以前の屋敷にはなかった考え方だった。


 リリアナも同席していた。


 彼女は、母の隣で小さな紙を配った。


『支出申請の簡単な書き方』


 セレスティアの返還金概要版に影響を受け、リリアナが自分なりに書いたものだった。


 難しい言葉は少ない。


『何を買うのか』

『なぜ必要なのか』

『いつまでに必要なのか』

『誰が確認したのか』


 使用人たちは、それを見て少し表情を和らげた。


 リリアナは恥ずかしそうに言った。


「私も難しい書類は苦手なので……まず、これくらいから書けるといいと思いました」


 料理長が小さく笑った。


「分かりやすうございます、リリアナ様」


 その言葉に、リリアナの頬が少し赤くなった。


 以前なら、彼女は褒められることに慣れていた。


 ドレスが似合う。

 笑顔が可愛い。

 茶会が華やか。


 そういう褒め言葉。


 だが、分かりやすいと言われたのは初めてかもしれない。


 それが、妙に嬉しかった。


 宰相府では、返還金再配分報告書第一号の概要版が仕上がった。


 セレスティアは、最後の文を読み上げた。


『返還金は、失われた信用を一度で取り戻すものではありません。けれど、どこで失われたのか、どこへ戻すのかを記録することが、王妃基金を立て直す第一歩です』


 読み終えると、会議室が少し静かになった。


 ミリアが目を潤ませている。


 ローレン副監は、照れ隠しのように咳払いをした。


 オルドは淡々としながらも、少しだけ頷いた。


 カインが言った。


「これで出せ」


「はい」


「第一号としては十分だ」


 セレスティアは、報告書に署名した。


 セレスティア・エルフォード。


 その隣に、王宮会計室ローレン副監、法務官オルドの確認署名が入る。


 単独ではない。


 それがよかった。


 自分の名前はある。


 けれど、切り取られていない。


 他の確認と並んでいる。


 正しい位置にある。


 リリアナは、概要版の試読者として末尾に小さく名前が残ることになった。


『概要版試読協力:リリアナ・エルフォード』


 本人はそれを見て、真っ赤になった。


「私の名前も載るのですか」


「はい」


「間違えていたらどうしましょう」


「確認済みです」


 セレスティアが答える。


 リリアナは、少しだけ深呼吸した。


「……はい」


 怖いのだろう。


 でも、その怖さを抱えたまま頷いた。


 それでよかった。


 夕方、返還金再配分報告書第一号は、王宮内の関係部署と、該当支援先へ送付された。


 北方施療院へ。

 王都東区孤児院へ。

 西部養蜂組合へ。


 同時に、社交界向けには概要版の一部が公表された。


 ラドクリフ商会の名は、寄付者としてではなく、損害返還者として記載された。


 王妃基金の金が、どこへ戻るのか。


 それが、初めて目に見える形になった。


 報告書は、華やかではない。


 けれど、読んだ者の中には、静かに息を呑む者もいた。


 蜂蜜は茶会の菓子だけではない。

 灯油は暖炉の飾りではない。

 保存果実は珍味ではない。


 それらは、誰かの冬を支えるものだった。


 社交界の一部で、そんな言葉が囁かれ始めた。


 夜。


 セレスティアは、今日の覚書を書いた。


『ラドクリフ商会への処分正式化』


 次に。


『父の会計承認権一時停止、確定。初期三か月、条件付き見直し』


 少し間を置いて。


『返還金再配分報告書第一号、完成』


 さらに。


『概要版試読協力:リリアナ・エルフォード』


 その一文を書いて、セレスティアは少し笑った。


 リリアナが見たら、また顔を赤くするだろう。


 最後に、こう書いた。


『返されたお金の行き先が、紙の上に見えた』


 ペンを置く。


 胸が、今日は少しだけ軽かった。


 痛みが消えたわけではない。


 父の権限が削られた。

 商会への処分が下った。

 損害はまだ全て確定していない。


 でも、戻るべきものが少し戻り始めた。


 それは大きい。


 扉の外から、カインの声がした。


「寝ろ」


「今日は、少し達成感があります」


「それでも寝ろ」


「はい」


「報告書第一号は悪くなかった」


「ありがとうございます」


「リリアナ嬢の試読も効いた」


「はい」


「次からも読ませろ」


 セレスティアは、少しだけ驚いた。


「よろしいのですか」


「読ませる相手が必要だ。彼女は、分からない側から読める」


「……はい」


 妹が、制度の一部になっていく。


 そのことに、胸が温かくなる。


 完全な和解ではない。


 過去は消えない。


 でも、同じ紙を見て、別々の場所から支えることはできるのかもしれない。


「寝ます」


「ああ」


 灯りを落とす。


 暗くなる前に、机の上の報告書第一号が見えた。


 返された金は、数字ではなく行き先を持った。


 そして、その行き先を見たいと言った妹の名前も、そこに小さく残った。


 セレスティアは、その一枚を胸に刻んで眠りについた。

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