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妹に婚約者も屋敷も奪われましたが、亡き王妃の帳簿には私の名前しかありませんでした 〜追放された公爵令嬢が王宮の裏金を暴いたら、冷徹宰相閣下に「国ごと君を守る」と言われています〜  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第39話 父への処分案が、机の上に置かれました

 改革案第三稿の暫定運用が決まった翌朝、宰相府の空気は少し変わっていた。


 浮かれているわけではない。


 むしろ、昨日までより静かだった。


 紙の上で制度が一歩進んだことで、誰もが分かっていた。


 次は、責任の話になる。


 王妃基金をどう立て直すか。

 それは始まった。


 では、王妃基金を歪めた者たちはどうするのか。


 署名欄を切り取った者。

 略式確認印を使った者。

 王太子府と公爵家の間で、セレスティア本人を抜きに実務残置案を進めた者。

 王妃基金の支出を社交費や贈答品へ流した者。

 それを知りながら、家の体面や王太子府の華やかさを優先した者。


 制度だけ直して、責任を曖昧にすれば、また同じことが起きる。


 セレスティアは、自分の机の上に置かれた封筒を見つめていた。


 表には、法務局の印。


 中身は、エルフォード公爵家および王太子府関係者に対する処分検討資料。


 その中でも、最初に置かれているのは父への処分案だった。


 グレアム・エルフォード公爵。


 セレスティアの父。


 そして、王妃基金関連の調整帳簿において、娘の名前と責任感を利用する前提で動いた当主。


 オルドが、いつもより慎重な声で言った。


「セレスティア様。ご希望であれば、この部分の確認から外れることもできます」


 セレスティアは顔を上げた。


 カインも、ローレン副監も、ミリアもこちらを見ている。


 気遣われている。


 それが分かった。


 父の処分案を見る。


 それは、制度改革案を書くこととは違う。


 もっと直接的で、もっと痛い。


 娘として、見たくない気持ちはある。


 だが、監査側として、見なければならない気持ちもあった。


「確認します」


 セレスティアは答えた。


「ただし、判断者としてではなく、事実照合の補助として」


 カインが頷く。


「それでいい」


 オルドが封を切った。


 数枚の文書が取り出される。


 表題は硬い。


『エルフォード公爵家当主グレアム・エルフォードに関する責任整理および処分案』


 その文字を見た瞬間、セレスティアの胸が少しだけ詰まった。


 父の名が、処分案の表題にある。


 王宮文書の中で。


 もう、家の中の父ではない。


 監査対象者だ。


 オルドが読み上げる。


「処分検討事項、一。王妃基金関連支出における不適切な調整への関与」


 資料には、『調』帳簿、『王』帳簿、『R』帳簿の該当箇所が添えられている。


 ラドクリフ商会との差額調整。

 王太子府関連費への補填。

 慈善広報費の転用疑い。

 公爵家交際費への調整分。


 その横に、父の筆跡と思われる注記がある。


 セレスティアは、見覚えのある字を見た。


 幼い頃から何度も見てきた、硬い文字。


 彼女の成績表に短く「よし」と書いた字。

 王宮へ出す書簡の余白に指示を書いた字。

 セレスティアの人生を、いつも上から整えようとしてきた字。


 今、その字は、不適切な調整の証拠として並んでいる。


 オルドは続けた。


「処分検討事項、二。セレスティア様の署名欄切り取りおよび確認扱いに関する監督責任、ならびに一部関与疑い」


 マルクスの証言記録が添付されている。


 家令は、署名欄を保管し、文書へ用いたことを認めた。


 父からの直接指示については、すべてを明言していない。


 しかし、当主が知らなかったとは考えにくい記録が複数ある。


 そして何より、父の注記。


『セレスティアは責任感が強い。国、王妃基金、支援先の名を出せば拒みきれまい』


 何度見ても、胸が痛む。


 オルドの声は淡々としている。


「処分検討事項、三。王太子府との間で、王太子妃候補交代後のセレスティア様実務継続を本人未通知のまま協議した件」


 これは、対質記録で固まっている。


 マルクスとアルノーが認めた。


 父命や国への奉仕を名目に、セレスティアの協力を得る想定があった。


 本人の反発が予想されたから、説明を避けた。


 セレスティアは、その項目を静かに見た。


 痛い。


 だが、もう初めて見たときほど視界は揺れない。


 事実として紙の上にある。


 その状態に、少しずつ慣れてきた。


 慣れたくはなかった。


 けれど、慣れなければ読めない。


 オルドは、次の頁を開いた。


「処分案は三段階あります」


 部屋の空気が少し重くなった。


「第一案。エルフォード公爵家への王妃基金関連事務からの恒久的排除。グレアム公爵本人への王宮会計関連職務停止。監査完了までの社交行事主催制限」


 ローレン副監が補足する。


「最低限の案です。家名を残しつつ、基金と王宮会計から切り離す」


 オルドは続ける。


「第二案。第一案に加え、一定期間の登城制限、公爵家会計室への外部監査官常駐、ラドクリフ商会関連取引の停止および再審査」


 セレスティアは、そこに目を落とした。


 登城制限。


 公爵である父にとっては、かなり重い。


 王宮に自由に出入りできない。


 社交界にも、政治にも影響が出る。


「第三案」


 オルドの声が、少しだけ硬くなった。


「王妃基金不適切支出への関与がさらに確定した場合、グレアム公爵の王宮諮問職解任、当主権限の一部制限、国王裁可による公爵家監督処分」


 ミリアの筆が止まりそうになった。


 当主権限の一部制限。


 それは、家の中にまで王宮の監督が入るということだ。


 エルフォード公爵家にとって、屈辱に近い。


 セレスティアは、静かに息を吸った。


 自分は、この処分を望んでいるのだろうか。


 父が苦しめばいいと思っているのだろうか。


 完全に否定できない。


 あの人が、自分にしたことを考えれば。


 だが、処分は復讐のためにあるのではない。


 制度を守るためにある。


 そこを間違えてはいけない。


 カインが彼女を見る。


「意見は」


 セレスティアは、すぐには答えなかった。


 判断者ではない。


 けれど、事実照合補助として意見は求められている。


「第一案では、弱いと思います」


 言った瞬間、胸が痛んだ。


 父への処分を弱いと言う。


 娘として、苦しかった。


 だが、続けた。


「王妃基金関連事務からの排除は当然です。ですが、父は公爵家会計室を使って王太子府との調整、商会との取引、基金関連支出に関わっていました。会計室への外部監査官常駐は必要だと思います」


 ローレン副監が頷く。


「私も同意です」


 セレスティアは、第二案を見た。


「ただし、第三案は、さらに証拠が確定してからでよいと思います」


 カインが少しだけ目を細める。


「理由は」


「当主権限の制限は重すぎます。現時点で適用すると、父への処分ではなく、公爵家全体への政治的攻撃と見られる可能性があります」


 自分で言いながら、不思議だった。


 父を庇っているわけではない。


 だが、処分が重すぎれば、争点がずれる。


 父が何をしたかではなく、宰相府が公爵家を潰しにかかったかどうかの話になる。


 それは王妃基金のためにならない。


「第二案を基軸に、第三案は追加証拠次第。そう考えます」


 オルドが記録する。


 カインは、しばらく黙っていた。


 そして言った。


「妥当だ」


 その一言で、セレスティアは少しだけ息を吐いた。


 自分は、父を軽く罰したいわけでも、重く潰したいわけでもない。


 妥当であってほしい。


 それが、一番苦しい望みだった。


 処分案の検討は、王太子府側にも及んだ。


 ジュリアス本人への処分は、父とは性質が違う。


 王太子である以上、簡単に職務停止とはいかない。


 だが、王太子府の事務体制には明確な処分が必要だった。


 略式確認印の廃止。

 侍従長補佐アルノーの職務停止および法務局審査。

 会計責任者バゼルの減俸と再教育、ただし証言協力を考慮。

 王太子府文書室への外部監査。

 王太子本人には、王妃基金規程および王太子府会計の特別講習と、一定期間の監査報告閲覧義務。


 最後の項目を見たとき、セレスティアは少しだけ瞬きをした。


「殿下ご本人が、監査報告を閲覧するのですか」


 オルドが頷く。


「知らなかったことが問題の一部でしたので。今後、知らないままでは済まない仕組みにする必要があります」


 カインが淡々と言う。


「読ませる」


 短い。


 だが、確かに必要だった。


 ジュリアスが帳簿を見る。


 それは、以前なら考えられなかった。


 彼は細かな会計を嫌った。


 けれど、嫌だから見ないでは済まない。


 王太子府の華やかさを支える紙を、彼自身が見る。


 それは処罰というより、責任の訓練だった。


「妥当だと思います」


 セレスティアは言った。


 その声には、少しだけ複雑な感情が混じった。


 かつての婚約者に、ようやく見てほしかったものを、今になって見せる。


 遅い。


 本当に遅い。


 だが、見ないよりはいい。


 午後、処分案の概要はカインの名で国王側近へ提出された。


 最終的な裁可は、さらに上で行われる。


 宰相府は、処分案を出す。

 国王と王宮上層部が、それをどう政治的に扱うか決める。


 セレスティアは、その流れを分かっていた。


 だから、今すぐ父が処分されるわけではない。


 それでも、紙は進んだ。


 処分案という形で。


 その写しが机の上から消えると、セレスティアは妙な空白を感じた。


 父への処分案を見た。


 意見を言った。


 第二案が妥当だと述べた。


 その事実が、自分の中にまだ沈みきっていない。


 カインが言った。


「休め」


「まだ勤務時間です」


「休憩だ」


「はい」


 反論しなかった。


 休憩室へ行き、温かい茶を受け取る。


 手の中の茶杯が、じんわり温かい。


 窓の外には王宮の庭が見える。


 穏やかだった。


 こんな日に、父への処分案が進んでいる。


 世界は、こちらの心に合わせて曇ってはくれない。


 それが少し不思議で、少し救いだった。


 セレスティアは、茶を一口飲む。


 苦い。


 でも、飲める。


 カインが少し離れた場所に立ったまま言った。


「第二案と言えたな」


「はい」


「甘くも、重くもない」


「そうありたいと思いました」


「できていた」


 その言葉で、胸の奥が少しだけ緩んだ。


「私は、父を憎んでいるのでしょうか」


 自分でも驚くほど自然に、問いが出た。


 カインはすぐには答えなかった。


 少し考えてから言う。


「憎んでいる部分はあるだろう」


「はい」


「それだけではない部分もある」


「はい」


「どちらか一つにしなくていい」


 セレスティアは茶杯を見つめた。


 どちらか一つにしなくていい。


 父を憎んでいる。

 それでも、かつて認めてほしかった。

 今も完全に壊れてほしいわけではない。

 でも、責任は取ってほしい。


 全部ある。


 矛盾している。


 だが、矛盾したままでも、処分案には妥当性を求められる。


「難しいですね」


「人間だからな」


「宰相閣下でも、そう言うのですね」


「私も人間だ」


「少し意外です」


「失礼だな」


 セレスティアは、少しだけ笑った。


 笑った後、胸の痛みが和らいだ気がした。


 処分案の動きは、夕方にはエルフォード公爵邸にも伝わった。


 正式通知ではない。


 だが、王宮上層部に処分検討が上がったという情報は、どうしても漏れる。


 グレアムは、それを聞いてしばらく黙っていた。


 当主執務室の机の上には、宰相府の回答文、ローゼン侯爵夫人たちの意見書写し、そしてリリアナの意見書がまだ置かれている。


 彼は、それらを見た。


 すべてが自分に向かってくる。


 娘の字。

 妻の言葉。

 宰相府の文書。

 王太子府の距離。


 自分は公爵家当主だ。


 それなのに、屋敷の中でさえ、以前のように言葉が通らなくなっている。


 扉が叩かれた。


 今度は、リリアナではなかった。


 エヴァンジェリンが入ってくる。


「処分案が上がったそうですね」


「誰から聞いた」


「屋敷中が知っています」


 グレアムは苦々しく顔を歪めた。


「使用人どもが」


「もう隠せません」


 エヴァンジェリンは、静かに言った。


「あなたが何をしたのか、家の者たちも少しずつ知っています」


「私だけが悪いのではない」


「そうでしょう」


 意外な返答に、グレアムは目を上げた。


 エヴァンジェリンは続ける。


「王太子府も、家令も、商会も、私も、リリアナも。それぞれに責任があります。でも、あなたの責任が消えるわけではありません」


 グレアムは何も言わなかった。


 妻は、以前よりずっと冷静だった。


 責めるだけではない。


 だが、逃がしもしない。


 それは、どこかセレスティアに似ていた。


 いや、逆なのかもしれない。


 セレスティアの中にも、この母の冷静さがあったのだろう。


 自分は、長い間それを見てこなかっただけで。


「処分が決まる前に」


 エヴァンジェリンは言った。


「セレスティアへ、あなた自身の言葉で書いてください」


 グレアムの表情が険しくなる。


「謝れと言うのか」


「謝れるなら」


「……」


「でも、今のあなたに本当の謝罪ができるとは思っていません」


 厳しい言葉だった。


 グレアムは、胸を刺されたような顔をした。


「では何を書けと」


「何をしたのか、何を認めるのか。言い訳ではなく、あなたの言葉で」


 エヴァンジェリンは机の上の紙を見た。


「宰相府の文書や、家令の証言や、帳簿ではなく。父親として、ではなくても構いません。せめて、一人の責任ある者として」


 グレアムは、長く黙った。


 書けるのか。


 自分に。


 家を守るためだった。

 国のためだった。

 王太子府のためだった。


 その言葉を使わずに。


 セレスティアに向けて。


 彼は、机の上の白紙を見た。


 何も書かれていない紙が、こんなに恐ろしいものだとは思わなかった。


 王太子府にも、処分案の概要は届いていた。


 ジュリアスは、自分に課される予定の講習と監査報告閲覧義務を見て、苦い笑みを浮かべた。


「読ませる、か」


 侍従長は、慎重に言った。


「殿下。これは処分というより、再発防止の一環かと」


「分かっている」


 ジュリアスは、書類を閉じなかった。


「以前の私なら、屈辱だと思っただろうな」


「殿下」


「今も屈辱ではある」


 正直な言葉だった。


「だが、読まなかった結果がこれだ」


 机の上には、王妃基金規程、略式確認印使用文書一覧、改革案第三稿の写しがある。


 彼は、少しずつ読むようになっていた。


 早くはない。


 得意でもない。


 だが、読んでいる。


 リリアナも、別室で同じように規程を読んでいるはずだった。


 自分だけが逃げるわけにはいかない。


「受け入れる」


 ジュリアスは言った。


 侍従長が頭を下げる。


「承知いたしました」


 ジュリアスは、窓の外を見た。


 セレスティアが今、どこまで処分案に関わったのかは分からない。


 だが、きっと彼女は感情で重くも軽くもしなかっただろう。


 そう思った。


 そう思えるほどには、彼はようやく彼女の仕事の仕方を見始めていた。


 遅すぎる。


 その自覚が、胸に残った。


 夜。


 セレスティアは、自分の机で覚書を書いた。


『父への処分案が、机の上に置かれた』


 しばらく、ペンが止まった。


 次の一行を書くのに、時間がかかった。


『第一案は弱いと私は言った。第三案はまだ早いとも言った』


 さらに。


『私は父を憎んでいる部分がある。それでも、妥当であってほしいと思った』


 書き終えると、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 だが、嘘はなかった。


 引き出しを開け、覚書を重ねる。


 今日の紙は重かった。


 扉の外から、カインの声がした。


「寝ろ」


「はい」


「今日は、寝る前に読むな」


「何をですか」


「処分案」


 セレスティアは苦笑した。


「読みません」


「本当に?」


「本当に」


「覚書も追加するな」


 セレスティアは、引き出しに手を置いたまま固まった。


 少しだけ、追加しようとしていた。


 カインは見抜いていたらしい。


「……閉めます」


「そうしろ」


 引き出しを閉じる。


 小さな音がした。


「今日はもう、娘に戻ってもいい」


 扉の向こうから、不意にそんな声がした。


 セレスティアは息を止めた。


 カインの声は、いつも通り淡々としていた。


 けれど、その言葉は静かに胸の奥へ届いた。


 娘に戻る。


 父を処分対象として見た一日。


 その終わりに、少しだけ娘として痛んでもいい。


 セレスティアは、目を伏せた。


「はい」


 小さく答える。


「少しだけ、そうします」


 返事はなかった。


 ただ、扉の向こうの気配が少しだけ遠ざかる。


 セレスティアは灯りを落とした。


 暗くなった部屋で、父の名前が書かれた処分案を思い出す。


 痛い。


 でも、必要だった。


 明日も、責任処理は続く。


 それでも今夜だけは、父に傷つけられた娘として、その痛みを認めてから眠ることにした。

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