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妹に婚約者も屋敷も奪われましたが、亡き王妃の帳簿には私の名前しかありませんでした 〜追放された公爵令嬢が王宮の裏金を暴いたら、冷徹宰相閣下に「国ごと君を守る」と言われています〜  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第28話 父と王太子の回答は、同じ嘘を別の形で語っていました

翌朝、宰相府に二通の回答書が届いた。


 一通は、エルフォード公爵家から。


 もう一通は、王太子府から。


 同じ時刻ではなかった。


 先に届いたのは、エルフォード公爵家の封書だった。厚手の白い封筒に、公爵家の印章が押されている。見慣れた紋章だった。幼い頃から何度も見てきた、誇らしいはずの家の印。


 だが今、その印を見るたびに、セレスティアの胸には冷たい重さが落ちる。


 少し遅れて、王太子府の封書が届いた。


 濃紺の封蝋。王太子府の徽章。

 こちらもまた、彼女にとっては見慣れたものだった。


 かつてなら、その二つの封書は彼女の日常そのものだった。


 父の家と、婚約者の府。


 セレスティアはその間で、書類を整え、日程を調整し、言葉を選び、誰も困らないように立ち回ってきた。


 今は違う。


 二つの封書は、監査対象からの回答だった。


 彼女の前に並べられたそれらを、法務官オルドが確認する。


「エルフォード公爵家回答書。封印破損なし。王太子府回答書。封印破損なし。これより開封します」


 記録官ミリアが筆を構える。


 カインは席に着いたまま、腕を組んでいた。


 ローレン副監も同席している。今日の確認は、ただの家族問題でも、婚約問題でもない。王妃基金と王太子府会計、そして公爵家の調整帳簿に関わるものだ。


 セレスティアは、机の前で背筋を伸ばした。


 手は膝の上。


 指先は少し冷たい。


 それでも、逃げる気はなかった。


「まず、公爵家から」


 カインが言った。


 オルドが封を切る。


 中には、父グレアムの署名入り回答書が入っていた。


 書き出しは、いつもの父らしく、硬く、威厳を保とうとする文章だった。


『王太子妃候補交代前後におけるセレスティア・エルフォードの実務継続について、当家は王太子府より相談を受けた事実はある』


 セレスティアは、その一文を静かに聞いた。


 相談はあった。


 父は認めた。


 オルドが読み続ける。


『ただし、当該相談は王太子府側の要請によるものであり、当家より積極的に提案したものではない。王太子府運営上、セレスティアの経験が必要と判断されたため、父として、国益に資する範囲で協力可能と回答したにすぎない』


 国益。


 父は、またその言葉を使った。


 セレスティアは、胸の奥がわずかに冷えるのを感じた。


 オルドは続ける。


『本人への説明については、王太子殿下および王太子府の判断に委ねるべき事項であり、公爵家が先んじて伝える立場にはなかった』


 カインの眉がわずかに動いた。


 オルドも一瞬、目を細める。


 責任を、王太子府へ寄せている。


 セレスティアにもそれは分かった。


『また、父命として調整可能との記述については、当家の娘が国に奉仕することを妨げないという意味であり、本人意思を無視して強制的に従事させる趣旨ではない』


 セレスティアは、思わず口元に力を入れた。


 そういう意味ではない。


 父はいつも、問題になるとそう言った。


 言葉を柔らかくし、意味を薄め、家の都合に合わせて形を変える。


 だが、帳簿には書かれていた。


『セレスティアは責任感が強い。国、王妃基金、支援先の名を出せば拒みきれまい』


 あれを、本人意思を尊重する言葉とは呼べない。


 オルドは最後まで読み上げた。


『従って、当家としては、候補者交代後の実務継続案を主導した事実はなく、王太子府側の運営上の相談に応じたにすぎない』


 父の回答は、要するにこうだった。


 話はあった。

 だが主導したのは王太子府だ。

 公爵家は相談に応じただけ。

 本人への説明も王太子府の判断。

 父命とは強制ではない。


 セレスティアは、しばらく黙っていた。


 その沈黙を、ミリアが記録する必要はない。


 ただ、部屋の空気が少しだけ重くなった。


 カインが短く言う。


「次。王太子府」


 オルドが、王太子府の封書を開けた。


 こちらは、ジュリアス本人の署名が入っていた。


 筆跡はよく知っている。


 セレスティアは、かつてその字を何度も直した。演説原稿の余白に、彼が走り書きした言葉を整え、清書し、式典用の文へ変えた。


 今日、その筆跡は彼女へ向かっている。


 オルドが読み上げた。


『王太子妃候補交代に伴う実務継続案について、王太子府内で検討があったことを認める』


 認めた。


 セレスティアは、静かに息を吸った。


『ただし、同案は、王太子府事務方が実務上の混乱を避けるため作成したものであり、私自身がセレスティア・エルフォード本人の意思に反して労務を継続させることを命じたものではない』


 私自身が命じたものではない。


 父と似ている。


 父は、王太子府側の要請だと言った。

 ジュリアスは、事務方が作成したと言っている。


 誰も自分ではないと言う。


『一方で、当時私は、王太子府の印象刷新および次期候補者リリアナ・エルフォードへの過重負担回避を望む趣旨の発言をしていた。これが事務方により、実務負担軽減案、旧資料参照案として具体化された可能性は否定しない』


 セレスティアは、その一文で少しだけ目を伏せた。


 可能性は否定しない。


 王太子らしい逃げ道を残した言葉だ。


 だが、昨日までよりは踏み込んでいる。


 彼は、自分の言葉が空気を作った可能性を認めた。


『セレスティア・エルフォード本人へ事前説明がなかったことについては、候補者交代の正式決定前であったこと、また公爵家側との調整を待つ必要があったことが理由である』


 今度は、公爵家へ寄せた。


 父は王太子府の判断だと言った。

 王太子府は公爵家側との調整を待っていたと言う。


 責任は、互いの間で押し戻されている。


 オルドは、最後の段落を読み上げた。


『結果として、本人意思確認が不十分であったこと、またセレスティア・エルフォードの実務経験を当然に利用可能なものとして扱ったことについて、王太子府責任者として不適切であったと認める』


 聞き取り室が静かになった。


 ジュリアスは、不適切であったと書いた。


 謝罪ではない。


 まだ遠い。


 けれど、父の回答よりは、責任に近い場所へ一歩踏み込んでいる。


 セレスティアは、その事実を認めた。


 認めたからといって、許すわけではない。


 ただ、違いは違いとして見る。


 それが監査だった。


 オルドは二通の回答を並べた。


「整理します。エルフォード公爵家は、王太子府から相談を受けたと主張。主導性を否定。本人説明は王太子府判断とする。一方、王太子府は、事務方作成案であり殿下本人の命令ではないとしつつ、候補者交代前の公爵家調整待ちを理由に本人説明がなかったとする」


 ローレン副監が低く言った。


「双方が、相手側を理由にしていますね」


「はい」


 オルドが頷く。


「ただし、どちらも協議自体は認めました」


 カインが、机の上の『調』帳簿写しを指で軽く叩いた。


「帳簿の記載と合わせると、協議は少なくとも数回あったと見ていい」


 セレスティアは、二通の回答を見比べた。


 父の言葉。


 ジュリアスの言葉。


 どちらも、自分を直接傷つける激しい言葉ではない。


 むしろ、丁寧で、整っていて、責任を限定しようとしている。


 だが、その丁寧さがかえって冷たかった。


「二人とも、私に説明しなかった理由を、相手側に置いているのですね」


 セレスティアが言うと、オルドが頷いた。


「その通りです」


「父は王太子府が説明すると思っていた。王太子府は公爵家との調整を待っていた」


「そう読めます」


「では、その間、私は何だったのでしょう」


 静かな問いだった。


 答えを求めたわけではない。


 紙の上に置いた問いだった。


 カインが低く答える。


「当事者ではなく、処理対象だ」


 その言葉は、短く鋭かった。


 セレスティアの胸に刺さる。


 だが、刺さった場所から血が出るというより、膿が抜けるような感覚があった。


 処理対象。


 たぶん、それがいちばん正確だった。


 彼らは、セレスティア本人と話していない。


 彼女の感情を予想し、責任感を利用し、父命で動かせるか計算し、実務を残せるか協議した。


 だが、本人に何を望むかは聞いていない。


 婚約破棄の後の人生をどうしたいかも。

 王宮に残りたいかも。

 王妃基金とどう関わりたいかも。


 何ひとつ。


 セレスティアは、静かに言った。


「記録してください」


 ミリアが筆を構える。


「王太子妃候補交代前、エルフォード公爵家と王太子府の間で、私の実務継続について協議があったことは双方が認めました。一方で、本人への説明義務については、双方が相手方の判断または調整を理由にしています」


 ミリアが書く。


「結果として、私本人は当事者であるにもかかわらず、候補者交代後の処遇、実務継続、名義使用について一切説明を受けていませんでした」


 言葉にして、胸が少し痛んだ。


 だが、声は乱れなかった。


 カインは小さく頷く。


「次の手順だ」


 オルドが資料を整える。


「双方の回答に食い違いがあります。次は、協議担当者の特定です。王太子府側は侍従長またはアルノー、エルフォード公爵家側はグレアム公爵本人または家令マルクスが関与した可能性が高いです」


 ローレン副監が帳簿を指す。


「『調』帳簿には、会合日らしき記録があります。これを王太子府入退記録、公爵家馬車記録、使者記録と照合すれば、誰が会っていたか見えるはずです」


 カインが即決する。


「照合しろ。今日中に初期表を作る」


「承知しました」


 セレスティアは、机に置かれた二通の回答をもう一度見た。


 父と王太子。


 かつて彼女の人生を大きく決めてきた二人。


 その二人が今、互いに責任をずらしながら、同じ構造を認めている。


 セレスティア本人を見ていなかったという構造を。


 照合作業は、午後まで続いた。


 王太子府の入退記録。

 エルフォード公爵家の馬車出入り記録。

 使者の往復記録。

 王太子府内部文書の作成日。

 『調』帳簿の記載日。


 それらを並べると、奇妙なほど綺麗に線が見えてきた。


 婚約破棄の二か月前。


 エルフォード公爵家の馬車が、王太子府裏門へ入っている。表向きの訪問記録には残っていない。だが、裏門警備記録には、家令マルクスの名があった。


 その翌日、『次期候補者移行後の実務継続について打診あり』と公爵家帳簿に記載。


 さらに三日後、王太子府内部で『実務負担整理』の下書きが作成されている。


 婚約破棄の一か月前。


 今度は王太子府の使者が、エルフォード公爵家へ夜間訪問。受領者はグレアム本人ではなく、当主執務室付きの書記官。


 翌日、『父命として調整可能』の返答控え。


 さらに翌週、『旧候補者実務残置案』作成。


 セレスティアは、その時系列表を見つめた。


 日付が並ぶ。


 自分が何も知らなかった日々だ。


 その頃、彼女は何をしていたのだろう。


 記憶を探る。


 たしか、慈善茶会の準備をしていた。北方三州から届いた乾燥果実の扱いを確認し、招待客の席順を組み直していた。


 ジュリアスは、その茶会で見事な挨拶をした。


 リリアナは、可愛いドレスで客席にいて、皆に愛想よく笑っていた。


 父は、茶会後に「よく整えた」と短く言った。


 その裏で、彼らは彼女を外した後の実務の話をしていた。


 セレスティアは、静かに目を閉じた。


 深く息を吸い、吐く。


 戻ってこい。


 カインの声が、胸の奥で響く。


 戻る。


 今、自分は過去の茶会にいるのではない。


 宰相府の机の前にいる。


 目を開ける。


「時系列表を確定してください」


 彼女は言った。


「婚約破棄前から、少なくとも三度、王太子府と公爵家の間で実務継続に関する調整があった可能性があります」


 オルドが頷く。


「はい。証拠として十分に追及可能です」


 カインが言う。


「マルクスとアルノーを再度呼ぶ。必要なら同席対質だ」


 対質。


 関係者を同じ場に置き、互いの発言の矛盾を確認する手続き。


 セレスティアは、少しだけ手を握った。


「私も同席します」


 カインは彼女を見た。


「揺れるぞ」


「分かっています」


「父親本人ではないが、父の命を動かした者たちだ」


「だから同席します」


 セレスティアは、時系列表を見た。


「私が知らなかった日々を、彼らは知っていました。なら、私も聞きます」


 カインはしばらく黙り、やがて頷いた。


「許可する」


 その頃、エルフォード公爵邸では、グレアムが王太子府回答の写しを見ていた。


 王太子府側は、公爵家との調整待ちを理由に本人説明がなかったと書いている。


 それはつまり、責任の一部を公爵家へ戻してきたということだった。


 グレアムは、文書を机に置いた。


「王太子府め」


 低い声。


 苛立ちと焦りが混じっている。


 彼は、王太子府側がもっと強く否定すると読んでいた。


 事務方の独断。

 王太子本人は知らない。

 公爵家とは正式協議していない。


 そう言ってくれれば、公爵家も「相談に応じただけ」で押し通せた。


 だが、ジュリアスの回答は中途半端に責任を認め、中途半端に公爵家へ戻している。


 このままでは、協議担当者まで掘られる。


 いや、もう掘られているだろう。


 扉の外で、リリアナの声がした。


「お父様」


「入るな」


「入ります」


 扉が開いた。


 リリアナは、以前より少し疲れた顔をしていた。だが、手には王妃基金規程と、自分で書きかけた再申請書を持っている。


 グレアムは眉をひそめる。


「何の用だ」


「お姉様の実務継続案について、聞きたいことがあります」


「お前には関係ない」


「あります」


 リリアナは震えながらも言った。


「私が、お姉様の代わりに表に立つ予定だったのなら、私にも関係があります」


 グレアムは深く息を吐いた。


「お前は何も分かっていない。あれは王太子府の都合だ。当家は、国のために協力しただけだ」


「では、なぜお姉様に言わなかったのですか」


 単純な問いだった。


 だからこそ、グレアムは答えられなかった。


 リリアナは続ける。


「国のためなら、お姉様に正面からお願いすればよかったのではありませんか」


「セレスティアは感情的に反発しただろう」


「反発されると分かっていたから、言わなかったのですか」


 グレアムの顔が険しくなる。


「リリアナ。誰に向かって口を利いている」


 その声に、リリアナの肩が震えた。


 昔なら、それで黙った。


 でも、今日の彼女は黙らなかった。


「お父様にです」


 小さな声だった。


「私とお姉様の父である、お父様に聞いています」


 グレアムは、言葉を失った。


 リリアナは泣きそうだった。


 それでも、最後まで言った。


「お姉様だけでなく、私にも言わなかったのですね。私が何を背負うのかも、お姉様が裏で何をさせられるのかも」


 グレアムは、視線を逸らした。


 その仕草だけで、リリアナには十分だった。


 彼女は深く礼をし、部屋を出ていった。


 廊下へ出た瞬間、涙がこぼれた。


 でも、泣きながら歩いた。


 自室に戻ったら、再申請書の続きを書く。


 分からないことは、分からないと書く。


 それだけは決めていた。


 王太子府では、ジュリアスが時系列表の提出要請を受け取っていた。


 そこには、王太子府裏門の入退記録、使者記録、内部文書作成日との照合予定が記されている。


 彼は、しばらく文書を見つめた。


 逃げられない。


 そう思った。


 逃げたいのではない、と言いたかった。


 だが、逃げ道を探している自分がいることも分かっていた。


 自分が直接命じたわけではない。

 正式決定前だった。

 事務方が先走った。

 公爵家が協力すると言った。


 言い訳はいくらでも浮かぶ。


 だが、そのどれもが、セレスティア本人へ説明しなかった理由にはならない。


 彼女は当事者だった。


 その当たり前を、自分たちは外していた。


 扉が叩かれる。


 アルノーだった。


 彼は、以前より明らかに顔色が悪い。


「殿下。宰相府より、再聞き取りの要請が」


「分かっている」


 ジュリアスは、アルノーを見る。


「お前は、セレスティアを外した後も実務に使う案を作った」


 アルノーは唇を引き結ぶ。


「王太子府の混乱を避けるためです」


「その言葉はもう聞いた」


 ジュリアスの声は低かった。


「私は、お前たちがそこまで具体的に動いているとは知らなかった」


「殿下のご意向を汲んだつもりでした」


「そうだろうな」


 ジュリアスは、疲れたように言った。


「だから私にも責任がある」


 アルノーが目を見開いた。


 殿下が、自分の責任を口にした。


 それは、王太子府の者にとっても衝撃だった。


 ジュリアスは続ける。


「だが、お前にもある」


 アルノーの顔が強張る。


「はい」


「聞き取りでは、知っていることを話せ。これ以上、言葉を飾るな」


 アルノーは深く頭を下げた。


 王太子府の中で、何かが少しずつ変わり始めていた。


 だが、それは穏やかな変化ではない。


 これから、痛みを伴う崩壊が始まる。


 宰相府の夕方。


 時系列表の初期版が完成した。


 セレスティアは、その紙を自分の机に置いた。


 自分の知らない日々が、そこに並んでいる。


 王太子府裏門。

 公爵家馬車。

 使者記録。

 旧候補者実務残置案。

 父命での調整可能。

 本人未通知。


 それは、彼女の婚約破棄が単なる恋愛の終わりではなかったことを示す地図だった。


 カインが言った。


「明日はマルクスとアルノーの対質だ」


「はい」


「おそらく、互いに責任を押しつける」


「でしょうね」


「その中で、本当の流れが出る」


 セレスティアは頷いた。


「私は、聞きます」


「ああ」


「私を当事者にしなかった人たちの話を、今度は当事者として聞きます」


 カインの目が、わずかに柔らかくなった。


「いい言い方だ」


「そうでしょうか」


「そのまま記録に残してもいいくらいだ」


 セレスティアは、少しだけ笑った。


 その笑みは、以前より自然だった。


 夜、自分の覚書に書く。


『父と王太子は、互いに相手のせいにした。けれど、二人とも私に聞かなかった』


 もう一行。


『明日、私は当事者として聞く』


 引き出しを閉める。


 小さな音がした。


 明日、また痛い紙が開かれる。


 だが、セレスティアはもう、紙の外に置かれた存在ではない。


 彼女自身が、読む。


 問い、記録し、判断する。


 そのための朝が、また来る。

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