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伯爵令嬢のわたし、婚約破棄されたので司書になったら、呪われ書庫で無愛想騎士の秘密に触れました  作者: 明石竜


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第十八章 黒幕は書かせない

 覚え書きの内容を館長に報告したのは、その夜のうちだった。

 館長は全部を聞き終えてから、しばらく目を閉じていた。穏やかな顔は変わらなかったけれど、眉間に細い線が入っていた。

「ライナ・ヴェルトの覚え書きが残っていたとは」

「セレナ書記官が保管していました」

「彼女が動いてくれた」

 館長はそれだけ言った。安堵とも、驚きとも取れる声だった。

「館長は、今回の件の全体像をどこまで把握していらっしゃいますか」

 わたしは聞いた。

 館長は少し間を置いた。

「薄々は、かなり早い段階から」

「なぜ教えてくださらなかったんですか」

「確証がなかったこともあります。ただ」

 館長は窓の外を見た。

「アルヴェイン騎士のことを、関係者として話すことが、正しいかどうか判断できませんでした。記憶のない人間に、こちらの推測を押しつけることが」

「ゼノ様は知りたいと言っていました」

「今のあなたたちと話して、それは分かっています。判断が遅かった。申し訳なかったと思っています」

 館長は机に手を置いた。

「今夜から、封鎖区画の再調査を正式に申請します。セレナ書記官の覚え書きと、フォルナーさんたちがこれまで集めた記録を合わせれば、正式な調査として通せるはずです」

「急ぎますか」

「急ぎます。昨日のセレナ書記官の執務室への確認は、こちらを牽制する動きです。相手も追い詰められている。追い詰められた人間は、早く動く」

  

 翌朝、封鎖区画の再調査が正式に通った。

 ゼノが手続きを進め、午後から入れることになった。

 ただし、午前中にルシアンが図書館に来た。

 今度は館長宛の正式な来訪だったけれど、館長は応対しながら、わたしとゼノにも同席を求めた。

 ルシアンは穏やかに座っていた。

「封鎖区画の再調査が申請されたと聞きました」

「ええ」

「その件について、お話があります」

「どうぞ」

 ルシアンは手元に資料を一枚持っていた。

「封鎖区画にある記録の扱いについて、王宮魔導顧問部門として正式な意見を提出しました。内容は、三十年前の事件に関わる記録については、王宮内での秘匿管理が適切であるというものです」

「秘匿管理、というのは」

「公開しない、ということです」

 ミレイユ先輩が言った。

「その判断の根拠は」

「王宮の秩序を守るためです。消された継承者の記録が明らかになれば、王位継承に関わる議論が再燃します。それは現在の安定を損なう可能性がある」

「安定のために、記録を隠す」

「隠すのではなく、管理します。存在しないことにするのではなく、適切な形で保管する」

「どう違うんですか」

「管理された記録は、いつか適切な時期に公開できます。完全に消してしまえば、それも不可能です」

 ルシアンの言い方は、筋が通っていた。

 でも、わたしはそこに何かを感じた。

「グレイヴ補佐官」

 わたしは口を開いた。

「何でしょうか?」

「管理する記録の中に、消された継承者が誰かという情報は含まれますか」

「含まれます」

「その人物が今、存在しているとしたら、その人物に知らせる予定はありますか」

 ルシアンは少し間を置いた。

「それは、秘匿管理の範囲によります」

「つまり、知らせない可能性がある」

「状況次第で」

「それは」

 わたしは一度言葉を止めた。

「消された継承者が誰かを王宮側が管理して、その人物に知らせないとしたら、それは管理ではなく支配です。その人物の人生を、知らないまま終わらせることに、誰かが関与し続けることになります」

 ルシアンはわたしを見た。

「フォルナーさん、あなたはその人物が誰か、知っているんですか」

 わたしは答えなかった。

「知っているとしたら、すでにその情報は流通しています。秘匿管理の意味が変わります」

「わたしが知っていることと、記録として残すことは別です。記録として残すことで、その人物が自分の過去を確認できる状態にする必要があります」

「それで記録の扱いを決める権限が、あなたにありますか」

「権限ではなく、義務だと思っています。消された記録を追ってきた司書として」

「グレイヴ補佐官、今日の意見は承りました。ただし、封鎖区画の調査は予定通り進めます。記録の扱いについては、調査結果を見た上で判断します」

「館長」

「図書館長として、記録を見ずに管理方針を決めることはできません。それはご理解いただけますか」

 ルシアンは少し間を置いた。

「……承知しました」

 立ち上がった。

 扉の前で、ルシアンはゼノを見た。

「アルヴェイン騎士」

「何か」

「昨日の覚え書きの内容を、王宮側に報告するつもりはありますか」

「報告の内容と範囲は、俺が決めることではない」

「そうですか」

 ルシアンは少しだけ、ゼノを見続けた。

「あなたが何を知っていても、記録が公開されるまでは、何も変わりません。それだけ言っておきます」

 それだけ言って、出ていった。

 扉が閉まってから、先輩が言った。

「脅しですね」

「そうです。ただ、核心は言っていない。今のは牽制です。追い詰められている、というのは本当かもしれない」

「封鎖区画に入られることを、恐れている」

「改竄前の記録が照合されれば、何かが確定する。それを避けたい人間がいる」

 館長が立ち上がった。

「午後の調査を早めます。今日中に封鎖区画の記録を確認します」

  

 封鎖区画に入ったのは、昼過ぎだった。

 前回の暴走対処の後、封印師が封印を施し直していた。扉を開けると、前回より空気が落ち着いていた。でも、重さは変わらなかった。

 館長、ミレイユ先輩、ゼノ、セレナ、わたし。五人で入った。ノアは書庫の外で待機した。

 棚の奥に、前回も確認した改竄前の記録の束があった。

 今日は持ち出しの許可も得ていた。先輩が慎重に取り出して、照合用の台を準備した。

「これを、ライナ・ヴェルトの覚え書きと照合します」

 先輩が照合を進めた。わたしは補佐として動いた。

 覚え書きの記述と、改竄前の記録を突き合わせる。覚え書きに書かれた事実関係が、記録の中に存在するかどうかを確認する。

 十分ほどで、最初の一致が見つかった。

「暴走事件の発生日時と、記録の日付が一致します」

「続けて」

 さらに照合を進めた。

 旧アルヴェイン家の当主が記録の関係者として記載されていること、暴走事件の現場に子どもがいたこと、子どもが保護されたこと。すべてが、覚え書きの内容と一致した。

「証拠として成立します」

 先輩が言った。

 館長が頷いた。

 ゼノは記録を見ていた。自分の名前が書かれた行を、冷静に見ていた。

 わたしはゼノの横に立って、同じ行を見た。

 現場にて保護された子ども、ゼノ。旧アルヴェイン家当主の子。以降の処遇については別紙参照。

 別紙は、同じ束の中にあった。

 保護後に子どもが預けられた先の家名、新たに与えられた姓、記憶の封印が施されたという記述。

 記憶の封印。

「先輩、記憶の封印というのは」

「禁書に触れたことで自然に失われた場合と、意図的に施された場合があります」

「この記録には、どちらと書かれていますか」

 先輩は別紙を確認した。

「……意図的に、施されたと書かれています」

 部屋が静かになった。

「誰が施したかは」

「記載がありません。施した人間の名前は、ここでも消されています」

 ゼノが言った。

「記憶を失ったのは、事故ではなかった」

「少なくとも、この記録はそう示しています」

「なぜそんなことを」

「子どもが真実を話せないようにするため、だとしたら」

 わたしがそう言うと、

「現場を目撃した子どもが、成長して証言できるようになる前に、記憶を封じた。暴走が意図的だったことを証言できる人間を、記憶ごと封じ込めた」

 ゼノはこう答えた。

「だから呪いが完全には消えなかった」

「完全に消えれば、不自然です。自然に見せるために、完全には消さなかった。でも、核心の記憶だけを封じた」

「紋章を見るたびに頭痛がしたのは」

「封印が揺らいでいたからだ。完全には消えていないから、何かに触れるたびに表面に出てこようとする」

「この記録があれば、記憶の封印を解く方法を探せます。封印を施した術式の系統が分かれば、解除の術式も組めるはずです」

 セレナが穏やかな声で言った。

「それは可能ですか?」

「王宮の封印師の中に、そういう専門の術式を扱える人間がいます。正式な依頼ができます」

「正式な依頼のためには、この記録を表に出す必要があります」

「ええ」

 ゼノはしばらく黙っていた。

 それからゆっくりと、記録から目を上げた。

「出す」

「ゼノ様」

「この記録を、正式なものとして残す。そのための手続きを取る」

「波紋が出ます。王宮内に、この記録の公開を恐れている人間がいます」

「分かっている」

「それでも」

「分かっている、と言った」

 ゼノの声は冷静だったけれど、揺れていなかった。

「俺の父が守ろうとした記録だ。ファルク・ベルンが欄外に書き残した言葉がある。ライナ・ヴェルトが覚え書きを残した。みんな残そうとした。それを俺が止める理由はない」

 わたしは手帳を出した。

 今日の照合結果、一致した内容、記憶の封印の記述。書きながら、手が少し震えていることに気づいた。

 震えているのは、怖いからではなかった。

 これだけのものが、今日一日で明らかになった。三十年間、誰かが消そうとし続けてきたものが、今日確かにここにある。

 書き続けた。

  

 封鎖区画を出て、王宮の廊下を歩いていたとき、前から人が来た。

 ルシアンだった。

 すれ違いざまに、ルシアンはわたしたちを見た。封鎖区画から出てきたことを、何かで知っていたのかもしれない。

「調査が終わりましたか」

「終わりました」

 館長が答えた。

「記録の確認は取れましたか」

「取れました」

 ルシアンは少し間を置いた。

「その記録を、どうするつもりですか?」

「正式な記録として残します」

「館長、それは」

「図書館長として、記録を残すことは義務です。消された記録を復元することも、仕事の範囲です」

 ルシアンはしばらく黙っていた。

 それから、わたしを見た。

「フォルナーさん、今日封鎖区画で何を感じましたか?」

「何をお聞きになりたいですか?」

「あなたが感じ取れるものの話です。あの部屋の書物は、何を抱えていましたか」

 わたしは少し間を置いた。

「長い間、誰かに辿り着いてほしいと思い続けていた気配がありました。伝えたいことがあって、でも伝えられないまま、時間だけが経った。そういう気配です」

「それを、あなたは記録しますか?」

「します」

「記録することで、誰かが傷つくとしても」

「傷つくことを恐れて記録しないことは、消し続けることと同じです。わたしはそれを選びません」

 ルシアンは少し目を細めた。

「……そうですか」

 それだけ言って、廊下を歩いていった。

 去っていく背中を見ながら、ゼノが言った。

「今日で、グレイヴは動く」

「動く、というのは」

「記録が残ることが決まった。それを止めるために、最後の手段を使ってくる可能性がある」

「最後の手段」

「封鎖区画の書物を、完全に暴走させることだ。記録ごと消すために」

 わたしは立ち止まった。

「百三十九番があります、書庫に」

「ああ」

「あの本は、今の状況と呼応していると感じていました。もし封鎖区画が暴走すれば」

「書庫にも波及する可能性がある」

「今夜、書庫に戻ります」

「俺も行く」

 館長が言った。

「ミレイユに連絡します。今夜は全員で書庫を守ります」

 セレナが言った。

「王宮側の封印師に待機を依頼します。今夜、何かあれば呼べるように」

「頼みます」

 廊下の窓から、夕暮れの空が見えた。

 橙色が、少しずつ暗くなっていった。

 今夜が来る。

 三十年間、誰かが守ろうとし続けてきたものが、今夜最後の局面を迎えるかもしれなかった。

 わたしは手帳を握った。

 記録は残る。

 ファルク・ベルンが欄外に書いた言葉を、わたしは今夜も信じようと思った。


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