第8話 魔王様、上司をやめたい
魔王城に戻った翌朝。
「おはようございます!」
私はいつも通り、元気よく出勤した。
「おはようございます、リリアーナ様!」
「おはよう!」
「昨日は大丈夫でしたか?」
「はい。特に問題ありませんでした」
昨日は王都まで行って、王太子殿下と話をした。
聖女に戻ってほしいという申し出は断った。
これで、もう王都から呼び出されることもないだろう。
「今日からまた仕事です!」
私は自分の執務室へ向かった。
すると。
「リリアーナ」
「はい?」
廊下の角から魔王様が現れた。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
「今日は早いですね」
「……君に会いたかった」
「はい?」
「…………」
魔王様が固まった。
「いや」
「?」
「……仕事の話がしたかった」
「そうですか」
私は何も疑わず頷いた。
「では、執務室でお願いします」
「…………ああ」
魔王様は少し肩を落とした。
◇
「昨日の人間領との交渉だが」
「はい」
「問題はなかったか?」
「ありません」
「王太子は何か言っていなかったか?」
「聖女に戻ってほしいと言われました」
「…………」
魔王様の顔が険しくなる。
「断ったのか?」
「もちろんです」
「……そうか」
少し安心したように見えた。
「今の仕事が好きですから」
「…………」
魔王様の表情が柔らかくなる。
「そうか」
「はい」
「……私のことは?」
「え?」
「いや」
魔王様は慌てて首を振る。
「何でもない」
「?」
私は書類を整理する。
すると魔王様が突然立ち上がった。
「リリアーナ」
「はい?」
「今日の昼、一緒に――」
「魔王様!」
クロードさんが突然入ってきた。
「何だ!」
「急ぎの書類です」
「…………」
「こちらをお願いします」
「…………」
魔王様が書類を見る。
「……分かった」
「では、お願いします」
クロードさんが出ていく。
私は笑った。
「お忙しいんですね」
「…………ああ」
魔王様は悲しそうだった。
◇
昼休み。
食堂。
「今日はカレーです!」
「やった!」
「昨日より辛くなっています!」
「楽しみだ!」
魔族たちが盛り上がっている。
私はカレーを受け取り、席についた。
すると。
「リリアーナ」
「はい?」
魔王様が向かいに座った。
「一緒に食べよう」
「はい」
私は笑顔で頷く。
「いただきます」
「いただきます」
二人で食べる。
「美味しいですね」
「ああ」
「魔王様は辛いもの、大丈夫ですか?」
「問題ない」
「本当ですか?」
「……ああ」
魔王様はカレーを一口食べた。
「…………」
「?」
魔王様の顔が少し赤い。
「辛くないですか?」
「問題ない」
「でも汗が」
「問題ない」
「お水どうぞ」
「……ありがとう」
魔王様は水を一気に飲み干した。
私は心配になった。
「無理しないでくださいね」
「……ああ」
そのとき。
「魔王様」
クロードさんが後ろから声をかけた。
「何だ」
「辛いものが苦手なのに、なぜ激辛を注文したんです?」
「…………」
「リリアーナ様が辛いものが好きだと聞いたからでしょう?」
「…………」
「はい、図星ですね」
魔王様は無言でカレーを食べ続けた。
「魔王様」
「なんだ」
「耳まで真っ赤ですよ」
「……暑いだけだ」
「今日は寒いですよ」
「…………」
◇
午後。
私は仕事をしていた。
そこへ魔王様がやってきた。
「リリアーナ」
「はい?」
「少し休憩しないか?」
「いいですね」
私は立ち上がる。
「お茶を淹れます」
「…………」
「魔王様も飲みますか?」
「……ああ」
二人で休憩室へ向かった。
窓際の席。
紅茶を飲みながら、私はふと思った。
「そういえば、魔王様の趣味って何ですか?」
「…………」
魔王様が固まった。
「趣味?」
「はい」
「…………」
「以前、私に聞きましたよね?」
「ああ」
「だから、私も聞いてみようかなと」
「…………」
魔王様は真剣に考えた。
「……読書」
「どんな本ですか?」
「歴史書」
「なるほど」
「あと……」
「あと?」
「剣の手入れ」
「趣味なんですか?」
「趣味だ」
「意外です」
「そうか?」
「はい」
私は笑う。
「もっと怖い趣味かと思っていました」
「怖い趣味?」
「魔王なので」
「…………」
魔王様は少し考える。
「……君は私をどう思っている?」
「優しい人だと思います」
「…………」
「それに、仕事熱心です」
「…………」
「あと、ちょっと変です」
「…………」
「でも良い上司です」
「…………」
魔王様が机に突っ伏した。
「魔王様!?」
「……大丈夫だ」
「具合が悪いんですか?」
「違う」
「では、どうして?」
「……何でもない」
魔王様は顔を上げる。
「リリアーナ」
「はい?」
「一つ聞きたい」
「何でしょう?」
「私が……上司ではなかったら」
「はい」
「私をどう思う?」
「…………」
私は考えた。
「そうですね」
魔王様が緊張する。
「…………」
「友達?」
「…………」
魔王様の表情が固まった。
「……友達」
「はい」
「……そうか」
「嫌ですか?」
「いや」
魔王様は少しだけ笑った。
「それも悪くない」
「?」
私は首を傾げた。
◇
その夜。
魔王の執務室。
「友達になりました」
魔王様が真剣な顔で言った。
「……はい?」
クロードさんが聞き返す。
「リリアーナと」
「……」
「友達だ」
「…………」
クロードさんは頭を抱えた。
「魔王様」
「なんだ」
「恋人を目指しているんですよね?」
「ああ」
「それがなぜ友達に?」
「……」
「しかも、かなり嬉しそうですね」
「嬉しい」
「…………」
クロードさんは深いため息をついた。
「まあ……一歩前進ということで」
「そうだな」
魔王様は嬉しそうに笑った。
「明日から、もっと仲良くなる」
「はい」
「そしていつか――」
「はい?」
「……好きだと言う」
「頑張ってください」
その頃、私は自分の部屋で。
「魔王様と友達になれた」
と、嬉しそうに笑っていた。
私はまだ知らない。
魔王様が目指しているのは「友達」ではないことを。
そして翌朝。
魔王様は私にこう言った。
「リリアーナ」
「はい?」
「今日は仕事が終わったら――」
「はい」
「一緒に街へ行かないか?」
「もちろんです」
「……!」
魔王様の顔が輝く。
「では、仕事が終わったら迎えに行く」
「分かりました」
そして私は尋ねた。
「何か買うんですか?」
「…………」
「?」
「……違う」
「え?」
「買い物ではない」
「では、何を?」
魔王様は顔を真っ赤にしながら答えた。
「……遊びに行く」
「!」
私は笑った。
「楽しそうですね!」
「……ああ」
こうして――
魔王様と私の、初めての街歩きが決まった。
ただし魔王様はまだ知らない。
「二人きりで街を歩く」というだけで、魔王軍全員が大騒ぎすることを。




