第4話 魔王様、女性との会話が苦手すぎます
魔王城に勤め始めて一週間。
私はすっかり職場に慣れていた。
「おはようございます!」
「おはようございます、リリアーナ様!」
「今日の朝食は?」
「焼きたてパンとスクランブルエッグです!」
「最高ですね!」
最近の魔王城は、朝から活気に満ちている。
以前は朝食を食べながら、
「今日の人間領への侵攻は――」
「南の砦を――」
「勇者の目撃情報が――」
などと物騒な会話をしていたらしい。
しかし今は違う。
「今日のパンは何味だ?」
「チーズです!」
「昨日は?」
「バターです!」
「明日は?」
「まだ決めてません!」
「楽しみだな!」
完全に食堂中心の職場になっていた。
「……平和ですね」
私は満足していた。
ところが。
「リリアーナ」
「はい?」
背後から声がした。
振り返る。
魔王様だった。
「おはようございます」
「ああ」
「朝食なら、もうすぐですよ」
「……そうか」
「はい」
「…………」
「…………」
魔王様が立っている。
動かない。
「どうされました?」
「……いや」
「?」
「……何でもない」
そう言って去っていった。
「……何だったんでしょう?」
私は首を傾げた。
少し離れた場所では、クロードさんが頭を抱えていた。
「魔王様……」
◇
その日の昼。
私は書類を整理していた。
「この書類は人間領との取引について……」
コンコン。
「どうぞ」
「私だ」
「魔王様?」
扉が開く。
魔王様が入ってきた。
「何かご用ですか?」
「…………」
「?」
「いや……」
魔王様は私の机の前に立つ。
「仕事はどうだ?」
「順調です」
「そうか」
「はい」
「…………」
「…………」
また沈黙。
「魔王様?」
「なんだ」
「何か相談が?」
「……相談?」
「はい」
「いや」
「では、何か仕事の報告でしょうか?」
「……違う」
「?」
魔王様は拳を握った。
そして――
「リリアーナ」
「はい」
「好きな……」
「はい?」
「好きな……」
「好きな?」
「…………」
魔王様の顔が真っ赤になる。
「好きな……料理は何だ?」
「昨日も聞かれましたよ?」
「…………」
「パンです」
「そうだったな」
「はい」
「…………」
「…………」
「では」
「はい」
魔王様は出ていった。
「…………」
私は首を傾げる。
「何だったんでしょう?」
廊下に出た魔王様。
「…………」
そこにはクロードさんが待っていた。
「魔王様」
「なんだ」
「どうでした?」
「聞いた」
「何を?」
「好きな料理を」
「それは以前も聞いてませんでした?」
「…………」
「同じこと聞きましたね?」
「…………」
魔王様は黙った。
「他に話すことが思いつかなかった」
「でしょうね」
「どうすればいい?」
「女性と話すときは、相手のことを知る質問をしてください」
「なるほど」
「例えば趣味とか」
「趣味……」
魔王様は考え込んだ。
「分かった」
◇
午後。
再び執務室。
「リリアーナ」
「はい?」
「趣味は何だ?」
「仕事です」
「…………」
「?」
魔王様が固まる。
「……仕事以外で」
「ありません」
「…………」
「十年間、仕事しかしてませんでしたから」
魔王様の顔が曇る。
「そうか……」
「でも最近は本を読むようになりました」
「本?」
「はい」
「どんな本だ?」
「料理の本です」
「…………」
「どうしました?」
「……いや」
魔王様は深く息を吐いた。
「ならば、今度私が本を選んで――」
「魔王様」
「なんだ」
「この書類ですが」
「……書類?」
「はい。人間領との貿易についてです」
「…………」
魔王様は書類を見る。
「これは……」
「少し気になっていて」
「どこが?」
「人間領から小麦を輸入していますよね?」
「ああ」
「でも、かなり高いです」
「そうなのか?」
「はい」
私は書類を指差す。
「輸送費が高すぎます」
「…………」
「こちらの商人を使えば、三割くらい安くなると思います」
「……本当か?」
「たぶん」
「なぜ分かる?」
「昔、神殿の食材調達も担当していたので」
「…………」
魔王様は書類をじっと見る。
「……分かった」
「はい」
「お前に任せる」
「え?」
「貿易担当を」
「…………」
「頼めるか?」
「もちろんです」
魔王様は満足そうに頷いた。
「では、これで」
「はい」
魔王様が部屋を出ていく。
私は思った。
「……魔王様って、意外と話しやすいですね」
そのころ廊下では。
「クロード」
「はい」
「私は今、自然に会話できたか?」
「最初の質問は趣味でしたが、最終的には貿易交渉の話になっていました」
「…………」
「恋愛の会話ではありませんね」
「…………」
「むしろ完全に仕事です」
「……難しいな」
魔王様は肩を落とした。
◇
その日の夕方。
私は書類をまとめていた。
時計を見る。
午後四時五十五分。
「あと五分」
定時まであと少し。
私は片付けを始めた。
すると。
コンコン。
「どうぞ」
「……私だ」
魔王様だった。
「どうされました?」
「…………」
魔王様が部屋に入ってくる。
「今日の仕事は終わったか?」
「はい。あと五分で終わります」
「そうか」
「はい」
「…………」
また沈黙。
しかし今日は、魔王様が帰らない。
「魔王様?」
「なんだ」
「何かありますか?」
「…………」
魔王様はしばらく迷っていた。
そして。
「……明日」
「はい?」
「明日、時間はあるか?」
「仕事ならありますよ」
「いや……仕事ではなく」
「?」
「……食事を」
魔王様が真っ赤になる。
「一緒にどうだ?」
「…………」
私は少し驚いた。
「魔王様とですか?」
「ああ」
「二人で?」
「ああ」
「…………」
魔王様が緊張した顔で私を見る。
私は考えた。
「分かりました」
「……!」
「明日の昼食ですね」
「…………」
「食堂でいいですか?」
「…………」
「魔王様?」
「……ああ」
魔王様は小さな声で答えた。
「それでいい」
そして、時計を見る。
午後五時。
私の勤務時間が終わった。
「では、今日は帰りますね」
「……ああ」
「お疲れさまでした」
「お疲れさま」
私は部屋を出た。
魔王様はその場に立ち尽くしている。
廊下ではクロードさんが待っていた。
「魔王様」
「…………」
「どうでした?」
「明日、一緒に食事をすることになった」
「おお!」
「…………」
「よかったじゃないですか!」
「……昼食だ」
「十分ですよ」
「…………」
魔王様は少しだけ笑った。
「明日は……何を話そう」
「それを今から考えるんです」
「そうだな」
「好きな食べ物は聞きましたよね?」
「聞いた」
「趣味も聞きました」
「聞いた」
「では、次は好きな色とか」
「なるほど」
魔王様は真剣な顔で頷いた。
「明日はそれを聞く」
「頑張ってください」
そして翌日。
魔王様が私に最初に聞いた質問は――
「リリアーナ。好きな色は何だ?」
「白です」
「……そうか」
「魔王様は?」
「黒だ」
「魔王様らしいですね」
「…………」
魔王様は嬉しそうに笑った。
だが、クロードさんは知っていた。
魔王様が昨日の夜、好きな色を聞く練習を三時間していたことを。
そしてこの昼食が――
魔王様にとって人生初の「好きな人とのデート」のつもりだったことを。
もちろん私は――
ただの昼休憩だと思っていた。




