第3話 魔王様、パンを買いすぎです
翌朝。
「…………」
私は自分の机の前で固まっていた。
「…………何ですか、これ」
机の上。
その周囲。
そして部屋の隅。
そこら中にパンが積まれている。
クロードさんが申し訳なさそうに立っていた。
「魔王様からです」
「……全部?」
「全部です」
「何個あります?」
「百二十個です」
「増えてません?」
「昨日の注文より二十個増えています」
「なぜ?」
「魔王様が今朝になって追加しました」
「…………」
私はパンを一つ手に取った。
焼きたてだ。
香ばしい匂いがする。
「美味しそう……」
「そうでしょう」
「でも、さすがに一人では食べきれません」
「ですよね」
「魔王様にお返ししてきます」
「それはやめたほうがいいです」
「なぜですか?」
クロードさんが遠い目をする。
「魔王様、昨日からずっと厨房にいましたから」
「え?」
「リリアーナさんが喜ぶパンを作れ、と料理長に命令していました」
「……私のために?」
「はい」
「…………」
なんだか申し訳なくなってきた。
「では、魔王様に直接お礼を――」
「それも、今はやめたほうがいいです」
「?」
「魔王様、朝からずっと落ち着きがありません」
「どうして?」
「あなたがパンを気に入ってくれるか心配しているからです」
「……」
私はパンを見つめた。
「……可愛い人ですね」
「…………」
クロードさんが固まった。
「今、何と?」
「可愛いなと思って」
「それは……魔王様に直接言っていただけますか?」
「?」
「いえ。何でもありません」
クロードさんは疲れた顔で去っていった。
◇
「いただきます」
一つ食べてみる。
「……美味しい」
思わず笑顔になった。
ふわふわで、少し甘い。
今まで食べていた王宮のパンよりも、ずっと美味しい。
「これは人気が出そう」
私はもう一つ手に取った。
さらにもう一つ。
「……美味しい」
気づけば三つ食べていた。
「……」
そして私は考えた。
「これ、魔王城のみんなにも食べてもらえばいいのでは?」
百二十個もあるのだ。
一人で食べるより、みんなで食べたほうがいい。
私はパンを抱えて食堂へ向かった。
◇
「パンを持ってきました!」
「パン!?」
食堂にいた魔族たちが一斉に振り向いた。
「魔王様からです」
「魔王様が!?」
「はい」
「……まさか毒入りでは?」
「そんなわけないでしょう」
「人間が持ってきたぞ!」
「元聖女だぞ!」
「聖女がパンを配っている!」
なぜか騒ぎになった。
私は首を傾げる。
「普通のパンですよ?」
「……」
魔族たちは恐る恐るパンを手に取った。
一人が食べる。
「…………」
「どうだ?」
「……うまい」
「本当か?」
「うまいぞ!」
次々に魔族たちがパンを食べ始める。
「美味しい!」
「こんなパン、初めて食べた!」
「魔王様、やればできるじゃないか!」
「魔王様を褒めるな! 照れるぞ!」
「もう照れてるぞ!」
「本当だ!」
食堂が一気に騒がしくなる。
私は思わず笑った。
「……いい職場ですね」
すると。
「何がいい職場なんだ?」
「……?」
振り向く。
そこには魔王様が立っていた。
「魔王様」
「何をしている?」
「パンを配っています」
「……全部?」
「はい」
「……」
魔王様が固まった。
そして小さな声で言った。
「……私が、君のために用意したのだが」
「ありがとうございます」
私は笑顔で答えた。
「でも、一人で食べるより、みんなで食べたほうが美味しいですよ」
「…………」
魔王様が顔を赤くする。
「……そうか」
「はい」
「ならば……それでいい」
魔王様は少し嬉しそうだった。
すると。
「魔王様!」
料理長が飛び込んできた。
「大変です!」
「何だ?」
「パンが足りません!」
「…………」
「魔王様が『もっと焼け』とおっしゃったので、厨房がパン工場になっています!」
「……」
魔王様は静かに目を閉じた。
「……すまない」
「いえ」
私は笑った。
「明日から、みんなの分も用意してもらえませんか?」
「……何?」
「魔王城のみんなが喜んでいましたから」
「……」
「せっかくなら、毎朝パンが食べられたら嬉しいなと思って」
「…………」
魔王様がこちらを見つめる。
「分かった」
「ありがとうございます」
「毎日用意する」
「はい!」
その瞬間。
食堂の魔族たちから歓声が上がった。
「やった!」
「明日もパンだ!」
「魔王様最高!」
「魔王様ばんざい!」
「……」
魔王様が少し照れたように顔を背ける。
その横でクロードさんが小さく呟いた。
「……完全に餌付けですね」
「何か言いました?」
「何でもありません」
◇
昼休み。
私は食堂の隅で昼食を食べていた。
「……この食堂」
ふと周囲を見渡す。
料理は美味しい。
パンも美味しい。
けれど。
「少し、もったいないですね」
「何が?」
向かいに座っていたミルファさんが尋ねる。
彼女は魔王城のメイド長だ。
「料理は美味しいんですけど、メニューが少ないです」
「そうなのです」
「朝はパンとスープだけですよね?」
「はい」
「昼も同じですよね?」
「はい」
「夜も?」
「はい」
「…………」
私は決意した。
「食堂、改革しましょう」
「え?」
「毎日違う料理を出しましょう」
「できますか?」
「やってみます」
前の職場では料理まで担当していた。
食材さえあれば、何とかなる。
私はさっそく厨房へ向かった。
◇
「明日からメニューを変えます」
「何を作るんだ?」
料理長が尋ねる。
「まずは――オムライスです」
「おむ……?」
「卵料理です」
「卵……」
「それからハンバーグ」
「……」
「カレー」
「…………」
「シチュー」
「………………」
料理長の目が輝いた。
「聖女様!」
「はい?」
「私に料理を教えてください!」
「もちろんです」
その日。
魔王城の厨房は大騒ぎになった。
◇
そして翌日。
「魔王様!」
「なんだ?」
「食堂へ行きましょう!」
「……私と?」
「はい!」
魔王様は一瞬固まった。
「……二人で?」
「みんなでです」
「…………」
魔王様の表情が少しだけ曇った。
「どうしました?」
「……いや」
そして食堂へ。
そこには――
黄色い卵に包まれた料理が並んでいた。
「これが……オムライスです」
魔族たちは恐る恐る口に運ぶ。
「…………」
「どうですか?」
「……うまい」
「本当か!?」
「うまい!」
「何だこれ!」
「卵なのにこんなに美味しいのか!」
食堂が歓声に包まれる。
私は嬉しくなった。
「よかった」
すると、隣にいた魔王様が小さく呟いた。
「……君が作ったのか?」
「はい」
「……そうか」
魔王様は一口食べる。
「…………」
「どうですか?」
「……美味い」
「ありがとうございます」
「…………」
「?」
「……明日も食べたい」
「もちろんです」
魔王様は満足そうに笑った。
その横でクロードさんが頭を抱える。
「魔王様」
「なんだ」
「仕事は?」
「午後からする」
「午前中は?」
「オムライスを食べる」
「…………」
こうして魔王城は少しずつ変わっていった。
そして私はまだ知らない。
私が始めた「食堂改革」が、後に魔王城を――
魔族が昼休みに帰ってこなくなるほどの人気食堂へ変えてしまうことを。
もちろん魔王様は毎日通う。
ただし、目的はオムライスではない。
――私に会うためである。
本人は絶対に認めないけれど。




