第2話 魔王城は思ったよりホワイトでした
「では、こちらがリリアーナさんの執務室です」
「ありがとうございます」
魔王城で働き始めて、まだ一時間。
私は自分の新しい職場へ案内されていた。
案内役は、昨日の面接にも立ち会っていた魔王様の側近、クロードさん。
長い黒髪に眼鏡。
一見すると非常に知的で冷静な人なのだが――。
「ちなみに勤務時間は九時から十七時です」
「はい」
「昼休憩は十二時から十三時」
「はい」
「休憩時間以外にも、疲れたら休んで構いません」
「…………」
私は思わず立ち止まった。
「どうしました?」
「今、何と?」
「疲れたら休んでいい、と」
「……本当に?」
「はい」
「怒られませんか?」
「なぜ怒るんです?」
「前の職場では怒られました」
「…………」
クロードさんの笑顔が消えた。
「それは……大変でしたね」
「はい」
「ちなみに、前の職場では何時まで働いていたんですか?」
「日によりますが、夜中の二時くらいまで」
「……」
「忙しいと朝まで」
「…………」
「でも、朝五時には起きてました」
「………………」
クロードさんは黙った。
そして、深いため息をついた。
「魔王様」
「はい?」
「どうしました?」
「いえ。何でもありません」
クロードさんは何かを言いかけたが、結局やめた。
そして執務室の扉を開ける。
「こちらです」
「わあ……」
そこには、大きな机と椅子。
本棚。
書類棚。
そして窓からは魔王城の庭が見える。
予想以上に立派な部屋だった。
「ここを私が使っていいんですか?」
「もちろんです」
「……前の職場では物置でした」
「聖女ですよね?」
「はい」
「…………」
クロードさんが頭を抱えた。
「では、こちらに今日の仕事を置いておきます」
「分かりました」
「簡単な書類整理です。分からないことがあれば、近くの者に聞いてください」
「はい!」
「それと――」
「はい?」
「絶対に一人で無理をしないでください」
「分かりました」
クロードさんは満足そうに頷いた。
「では、私はこれで」
「ありがとうございました」
扉が閉まる。
私は椅子に座った。
「……新しい職場か」
少しだけ緊張する。
けれど。
時計を見る。
午前九時五分。
仕事開始。
午後五時。
仕事終了。
たった八時間。
「……夢みたい」
私はさっそく書類を手に取った。
◇
「終わりました」
午後三時。
私はクロードさんのところへ書類を持っていった。
「……え?」
「終わりました」
「全部?」
「はい」
「まだ三時ですが?」
「はい」
「どうして?」
「簡単でしたので」
クロードさんは書類を確認する。
一枚。
二枚。
三枚。
「……本当に全部終わってる」
「何か間違っていましたか?」
「いえ。完璧です」
「よかったです」
私はほっとする。
「では、次の仕事を――」
「ありません」
「え?」
「今日の仕事は終わりです」
「…………」
「定時まで自由時間です」
「………………」
私は時計を見る。
午後三時。
あと二時間。
「仕事を探してきます」
「やめてください」
「でも暇なので」
「それが普通なんです」
「普通?」
「仕事が終わったら休むんです」
「…………」
私は衝撃を受けた。
そんな文化があるのか。
「では……」
「はい」
「本を読んでも?」
「もちろんです」
「お茶を飲んでも?」
「もちろんです」
「昼寝しても?」
「もちろん――」
クロードさんが一瞬止まった。
「……勤務中の昼寝は、できれば休憩時間に」
「分かりました」
私は自分の部屋へ戻った。
そしてソファに座る。
「……暇だ」
こんな感覚は初めてだった。
仕事がない。
急な呼び出しもない。
誰も「聖女様、こちらをお願いします」と言ってこない。
「……最高」
その瞬間。
コンコン。
扉が叩かれた。
「はい?」
「私だ」
低い声。
扉を開ける。
そこには――魔王様がいた。
「どうされました?」
「……仕事の様子を見に来た」
「順調です」
「そうか」
「はい」
「…………」
「…………」
沈黙。
魔王様は私を見る。
私は魔王様を見る。
「…………」
「…………」
何だろう。
何か用事があるのだろうか。
「魔王様?」
「なんだ」
「他に何か?」
「……いや」
「?」
「……仕事を頑張っているようだったから」
「ありがとうございます」
「…………」
魔王様が黙った。
そして、少しだけ顔を赤くする。
「……では」
「あ、魔王様」
「なんだ?」
「お茶はいかがですか?」
「…………!」
魔王様の目が輝いた。
「いいのか?」
「はい」
「……頼む」
「分かりました」
私は給湯室へ向かった。
その背中を見ながら、魔王様は小さく呟く。
「……誘われた」
そして、その場で拳を握った。
「……私は今、誘われたのか?」
そこへクロードさんがやってきた。
「魔王様」
「なんだ」
「何をしているんです?」
「リリアーナにお茶に誘われた」
「……」
クロードさんは数秒黙った。
「それは、ただのお茶です」
「分かっている」
「本当に?」
「……分かっている」
魔王様は少し寂しそうに答えた。
クロードさんはため息をつく。
「魔王様」
「なんだ」
「もう少し自然に距離を縮めてください」
「どうすればいい?」
「例えば、好きな食べ物を聞くとか」
「なるほど」
魔王様は真剣な顔で頷いた。
◇
「お待たせしました」
私がお茶を持って戻ると、魔王様がこちらを見た。
「……リリアーナ」
「はい?」
「好きな食べ物は何だ?」
「突然ですね」
「答えてくれ」
「そうですね……」
私は少し考える。
「パンです」
「パン?」
「はい」
「……」
魔王様は真剣に頷いた。
「分かった」
「?」
「明日から、パンを用意する」
「え?」
「好きなのだろう?」
「はい」
「ならば、毎日用意する」
「そんな……悪いですよ」
「問題ない」
「でも」
「私が用意したい」
「…………」
魔王様が真っ直ぐ私を見る。
なぜか少しだけ胸がざわついた。
「……ありがとうございます」
「……ああ」
魔王様は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、私は思った。
――意外と優しい人なのかもしれない。
ただし。
この日の夜。
厨房に大量のパンを発注した魔王様を見て、クロードさんは頭を抱えていた。
「魔王様」
「なんだ」
「何人分のパンを注文したんです?」
「百個」
「……なぜ?」
「リリアーナが好きだと言った」
「一人分ですよね?」
「……」
「一人分ですよね?」
「…………」
魔王は少し考えた。
「……念のためだ」
「何の念ですか!」
翌朝。
私の執務室には、山のようなパンが届いた。
「…………」
私はパンの山を見つめた。
「……魔王城って、変なところですね」
こうして私は。
少しずつ魔王城という職場に慣れていった。
そして魔王様は――
少しずつ私への想いを募らせていった。
本人だけは、それをまだ誰にも言えなかったけれど。




