第1話 聖女を辞めたら、魔王城で働くことになりました
「リリアーナ。君との婚約を破棄する」
王太子殿下は、よく通る声でそう告げた。
場所は王城の大広間。
目の前には王太子殿下。
その隣には、最近『新たな聖女』として注目されている私の妹。
そして周囲には、私が婚約破棄される瞬間を見届けようと集まった貴族たち。
どうやら、かなり大掛かりな婚約破棄らしい。
「理由を聞いても?」
私は尋ねた。
「君は聖女としての役目を果たせなくなった」
「……そうですか」
「さらに、君よりも妹のリゼットのほうが聖女として優れている」
「なるほど」
私は小さく頷いた。
すると殿下が眉をひそめる。
「……何だ、その反応は」
「いえ。別に」
「悲しくないのか?」
「悲しいというより……」
私は少し考えた。
「仕事を辞められるんだな、と」
「…………」
殿下が黙った。
周囲も黙った。
妹まで黙った。
「……何?」
「いや……」
殿下が困ったように咳払いする。
「君はもう少し、こう……取り乱したりしないのか?」
「取り乱すほど元気がありません」
「元気がない?」
「はい」
私は胸を張った。
「十年間、休みなしで働いてきましたから」
「…………」
「朝は日の出前に起床して祈り」
「…………」
「その後、病人の治療」
「…………」
「昼から魔物討伐」
「…………」
「夕方から神殿で祝福」
「…………」
「夜は王宮で治療」
「…………」
「深夜に隣国から緊急治療依頼」
「…………」
「そして翌朝また祈りです」
私は笑顔で言った。
「なので、できれば今日から休みたいです」
殿下は頭を抱えた。
「……そういう意味で聖女を解任するつもりではなかったのだが」
「でも解任するんですよね?」
「ああ」
「では、今日から休みですか?」
「……そうなるな」
「やった!」
思わず両手を上げた。
人生で初めての快挙である。
退職。
なんて素晴らしい響きだろう。
「では殿下。今までお世話になりました」
「待て」
「はい?」
「君はどこへ行くつもりだ?」
「寝ます」
「……今から?」
「はい」
「まだ昼だぞ?」
「十年間、昼寝をしたことがありません」
「…………」
殿下は何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。
こうして私は聖女を辞めた。
そして――三日間、ひたすら寝た。
人生で最高の三日間だった。
◇
「さて」
四日目。
私はベッドから起き上がった。
「仕事を探しましょう」
人間、仕事を辞めたら働きたくなるものだ。
……いや。
正確には、
「家賃を払わないといけませんからね」
働かなければ生活できない。
私は街へ出て、求人掲示板を眺めた。
『王宮魔術師募集』
「嫌です」
『神殿付き治癒師募集』
「嫌です」
『冒険者ギルド受付嬢募集』
「……ちょっと興味があります」
しかし、その隣に貼られた紙が目に入った。
『魔王城職員募集』
「…………」
魔王城。
人間なら普通、絶対に応募しない。
だが。
私は募集要項を読んだ。
『勤務時間――午前九時から午後五時まで』
「…………」
『週休二日』
「…………」
『残業代支給』
「…………」
『昼食付き』
「…………」
私は紙を握りしめた。
「ここにします」
待遇が良すぎる。
魔王軍とは、こんなにもホワイトだったのか。
◇
翌日。
私は魔王城の前に立っていた。
「…………」
巨大だった。
とにかく巨大だった。
空を突き刺すような黒い塔。
周囲には紫色の霧。
門の前には巨大な魔族が二人。
怖い。
ものすごく怖い。
だが、私は履歴書を握りしめた。
「……失礼します」
「止まれ!」
門番が叫ぶ。
「人間か!」
「はい」
「ここをどこだと思っている!」
「魔王城です」
「なぜ来た!」
「面接です」
「…………」
二人の門番が顔を見合わせる。
「面接?」
「はい」
「何の?」
「職員募集に応募しました」
「…………」
門番の一人が募集広告を見る。
そして私を見る。
もう一度広告を見る。
「……本当に書いてある」
「ですよね?」
「魔王様が募集を出したのは知っているが……」
「はい」
「まさか本当に応募してくる人間がいるとは……」
「待遇が良かったので」
「そこなのか?」
「はい」
門番は深いため息をついた。
「……入れ」
「ありがとうございます」
こうして私は、魔王城へ入った。
◇
通されたのは、魔王が座る玉座の間だった。
巨大な玉座。
左右には恐ろしい顔をした魔族たち。
そして、その中央。
黒いマントを身にまとった男が座っていた。
魔王。
ヴァルド・グランディア。
人間の国では、こう呼ばれている。
――最強最悪の魔王。
私は頭を下げた。
「本日、面接に参りましたリリアーナと申します」
「…………」
返事がない。
顔を上げる。
魔王と目が合った。
「…………」
「…………」
長い沈黙。
やがて魔王が立ち上がった。
ゆっくりと。
そしてこちらへ歩いてくる。
怖い。
やはり帰ろうかな。
そう思った瞬間。
「……可愛い」
「はい?」
魔王が固まった。
「…………」
「…………」
魔王の顔がみるみる赤くなっていく。
「……違う」
「何がですか?」
「今のは忘れろ」
「?」
私は首を傾げた。
すると魔王は咳払いをした。
「……貴様」
「はい」
「聖女だったな」
「元、です」
「なぜ我が城に来た」
「仕事を探していたので」
「人間の王国ではなく?」
「もう働きたくありません」
「……?」
「正確には、聖女として働きたくありません」
「そうか」
魔王は少し考えた。
「ならば、何ができる?」
「治癒魔法、結界魔法、浄化魔法、祈祷、薬草調合、魔物討伐、書類仕事、料理、裁縫、建築、農業……」
「待て」
「はい?」
「最後のほうは何だ」
「聖女は人手不足だったので」
「…………」
魔王は頭を抱えた。
そして隣にいた黒髪の男に尋ねる。
「クロード」
「はい」
「この者を採用できるか?」
「即採用です」
「即答だな」
「むしろ不採用にする理由がありません」
クロードは私の履歴書を見ながら頷いた。
「これほど有能な人材、逃すほうがどうかしています」
「そうか」
魔王がこちらを見る。
「では――」
魔王は威厳たっぷりに言った。
「今日からここで働け」
「ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします、魔王様」
「ああ」
「それで、勤務時間は?」
「……午前九時から午後五時だ」
「週休二日は?」
「ある」
「残業代は?」
「出す」
「昼食は?」
「出る」
「素晴らしい職場です!」
思わず笑顔になる。
魔王はそんな私をじっと見つめていた。
「……そうか」
「はい!」
「……笑顔も可愛いな」
「何か言いました?」
「何も言っていない」
魔王はそっぽを向いた。
耳が赤い。
私は気づかなかった。
しかし、クロードは気づいていた。
「……魔王様」
「なんだ」
「顔が赤いですよ」
「暑いだけだ」
「ここ、地下ですけど」
「…………」
「しかも今日、かなり寒いですよ」
「黙れ」
こうして私は――
聖女を辞めて、魔王城で働くことになった。
このときの私は知らなかった。
魔王が私に一目惚れしていたことも。
側近たちが早くも二人をくっつけようとしていたことも。
そして何より――
私の新しい職場が、想像以上に変な人たちばかりだったことも。
ちなみに初日の仕事は、魔王城の書類整理だった。
「リリアーナ」
「はい?」
「この書類を頼む」
「承知しました」
「……あと」
「はい?」
「仕事が終わったら、一緒に夕食を――」
「申し訳ありません」
「……?」
「定時なので帰ります」
「…………」
魔王はその場に立ち尽くした。
クロードが肩を叩く。
「魔王様」
「なんだ」
「初日から振られましたね」
「振られていない!」
――私の魔王城生活は、こうして始まった。




