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聖女を辞めたので、今日から魔王城で働きます  作者: ななほし


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第36話 私が抱きしめていた人

 暗い。


 何も見えない。


 ただ。


 誰かの泣き声だけが聞こえていた。


「……うぅ……」


 幼いリリアーナの声。


 そして。


 その腕の中には――


 一人の少年。


「大丈夫……」


 幼いリリアーナが。


 必死に少年を抱きしめている。


「大丈夫だから……」


 少年は動かない。


「絶対、大丈夫だから……」


 その小さな手が。


 少年の背中を何度も撫でる。


「私がいるから……」


 リリアーナは目を凝らした。


「……誰?」


 顔が見えない。


 少年の髪も。


 服も。


 何もかもが黒い影に覆われている。


「お願い……」


 幼いリリアーナが泣く。


「起きて……」


 そして。


「――魔王様」


「……!」


 リリアーナの胸が跳ねた。


「魔王様……?」


 目の前の少年が。


 幼い魔王なのか。


 そう思った瞬間。


 少年が小さく動いた。


「……リリアーナ」


「!」


 声。


 間違いない。


 幼い頃の魔王の声。


『……約束』


『うん』


『忘れないで』


『忘れないよ』


 幼いリリアーナが泣きながら頷く。


『僕がいなくなっても』


『嫌!』


『……』


『いなくならないで!』


『……ごめん』


 少年の身体が。


 黒い光に包まれていく。


『リリアーナ』


『嫌……!』


『君だけは』


 少年の声が遠ざかる。


『普通に生きて』


「…………!」


 リリアーナは息を呑んだ。


「魔王様……」


 その瞬間。


 映像が途切れた。


◇


「――っ!」


 リリアーナが目を開けた。


「リリアーナ!」


 すぐ近くから声。


 魔王だった。


「……魔王様?」


「ああ」


 魔王はリリアーナの肩を支えている。


「大丈夫か?」


「……はい」


 リリアーナは周囲を見る。


 レオン。


 ミラ。


 セラ。


 ユリウス。


 アレン。


 全員がいる。


 しかし。


「……お母さんは?」


 ミラが俯いた。


「いない」


「……そう」


 リリアーナは胸元に手を当てる。


 まだ。


 あの映像が残っている。


「魔王様」


「何だ」


「昔……」


 言葉を選ぶ。


「私たちは……」


 魔王は黙っている。


「一緒にいたんですよね?」


「……ああ」


「私が」


 リリアーナの声が震える。


「魔王様を抱きしめていた」


「…………」


 魔王は。


 しばらく答えなかった。


 そして。


「覚えている」


「……!」


 リリアーナの目が大きくなる。


「全部ではない」


「はい」


「だが」


 魔王は静かに続けた。


「君が泣いていたことだけは」


「……」


「ずっと、覚えていた」


 リリアーナの目に涙が浮かぶ。


「どうして……」


「分からない」


 魔王は首を振る。


「記憶は消された」


「でも……」


「感情だけは残った」


 その言葉に。


 リリアーナは胸を押さえた。


「……だから」


 魔王が続ける。


「君を見ると、昔から知っているような気がしていた」


「魔王様……」


「そして」


 魔王は少しだけ視線を逸らす。


「君が聖女になった時」


「はい」


「嫌だった」


「……え?」


「君が、笑っていなかったから」


 リリアーナは何も言えなくなった。


◇


「待て」


 レオンが手を上げる。


「ちょっと待ってくれ」


「どうしました?」


「俺もいたよな?」


「……?」


「昔」


 レオンは自分を指差す。


「俺も、この中にいたよな?」


 ユリウスが頷く。


「いたよ」


「じゃあ俺は何してた?」


「……」


「ユリウス?」


「……食べてた」


「…………」


「ずっと」


「俺、昔から!?」


 セラが笑う。


「うん」


 ミラも。


「お菓子を見つけると全部食べてた」


「そんな記憶いらない!」


 レオンが頭を抱える。


「もっと重要なことを思い出してくれよ!」


「でも」


 ユリウスが笑う。


「レオンがいたから、みんな笑ってた」


「……」


「だから」


 レオンが少し黙る。


「……そうか」


 そして。


 小さく笑った。


「なら、いいか」


◇


 アレンが静かに口を開く。


「でも」


「?」


「一つ、おかしい」


「何がですか?」


「さっきの記憶」


 アレンがリリアーナを見る。


「最後に君が抱きしめていたのは」


「魔王様ですよね?」


「……そう見えた」


「見えた?」


「うん」


 アレンの表情が曇る。


「でも、違う」


「え?」


「僕は見ていた」


 アレンは言った。


「君が抱きしめていたのは」


 その瞬間。


 ユリウスが叫んだ。


「アレン!」


「……!」


「それ以上は言うな!」


 ユリウスがアレンの肩を掴む。


「今はまだ早い」


「でも――」


「駄目だ」


「……」


 二人の間に。


 妙な緊張が走る。


「何なんですか?」


 リリアーナが尋ねる。


「私が抱きしめていたのは……誰なんですか?」


 ユリウスは答えない。


 アレンも。


 ミラも。


 セラも。


 誰も答えなかった。


「……魔王様?」


 リリアーナが振り返る。


「私は――」


 魔王も困惑していた。


「分からない」


「…………」


 その時。


 ミラが突然。


「あ……」


 小さく声を漏らした。


「どうしました?」


「思い出した」


「何を?」


 ミラの顔が青ざめる。


「リリアーナが抱きしめていたのは」


 ミラが震える。


「魔王じゃない」


「……!」


「じゃあ誰?」


 ミラは。


 ゆっくりと。


 アレンを見る。


 そして。


「――あなた」


「…………」


 アレンの表情が消えた。


 ユリウスが目を閉じる。


「やっぱり……」


「アレンさんを?」


 リリアーナが驚く。


 ミラは頷いた。


「そう」


「でも……」


 リリアーナは記憶を思い出す。


 少年。


 黒い影。


 自分が泣きながら抱きしめていた。


「じゃあ、あの時」


「うん」


 アレンが静かに答えた。


「僕は死にかけていた」


「…………」


「そして」


 アレンはリリアーナを見る。


「君が僕を助けようとした」


「私が……?」


「うん」


 アレンの声が少し震える。


「だから」


「だから?」


「僕は君を、この世界から守ると決めた」


 リリアーナの胸が痛む。


「でも」


 アレンが続ける。


「その結果」


 空間に。


 巨大な映像が浮かび上がる。


 幼いリリアーナ。


 アレン。


 ユリウス。


 そして。


 大神官。


 大神官が幼いリリアーナの前に立っている。


『この子を救いたいなら』


 声が響く。


『君が聖女になるしかない』


「……!」


 リリアーナは息を呑んだ。


『聖女になれば』


『アレンは助かる』


『でも――』


 幼いリリアーナが尋ねる。


『私は……何を忘れるの?』


 大神官が答える。


『全部だ』


 映像の中のリリアーナが。


 涙を流す。


『みんなのことも?』


『そう』


『魔王様も?』


『そう』


『レオンも?』


『そうだ』


『ミラも?』


『そうだ』


『ユリウスも?』


『……そうだ』


 幼いリリアーナは。


 最後に。


『アレンは?』


 と尋ねた。


 大神官は。


 答えなかった。


 その代わり。


 幼いリリアーナの記憶に。


 白い光を注いだ。


「…………」


 リリアーナは。


 震える手で自分の胸を押さえる。


「私……」


 声が震える。


「私が……全部忘れることを選んだの?」


 アレンが答える。


「うん」


「どうして……?」


「僕を助けるため」


「…………」


 そして。


 アレンが悲しそうに笑った。


「だから僕は――」


 その瞳に。


 青い光が宿る。


「君に、世界を壊してほしいと思った」


「……」


「君が犠牲にならなくて済む世界を」


 リリアーナは。


 しばらく黙っていた。


 そして。


 ゆっくり顔を上げる。


「なら」


「……?」


「世界を壊す必要はありません」


 アレンが目を見開く。


「私は――」


 リリアーナは。


 魔王を見る。


 レオンを見る。


 ミラを見る。


 セラを見る。


 ユリウスを見る。


 そして。


 アレンを見る。


「今度こそ、みんなで変えればいいんです」


 白い光が。


 彼女の身体から溢れた。


「誰も犠牲にならない世界に」


 その瞬間。


 遠くで。


 巨大な音が鳴った。


 ――ゴォォォン。


 白い空間に。


 一つの文字が浮かび上がる。


 『選択を確認』


 そして。


 その下に。


 新たな文章が刻まれた。


 ――『では、最初の犠牲者を選べ』


「…………」


 全員が凍りついた。


 そして。


 白い空間の中央に。


 六つの椅子が現れた。


 そのうち一つだけが。


 赤く光っていた。

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