第32話 お姉ちゃんと呼んだ少女
「――お姉ちゃん」
その言葉が。
リリアーナの胸の奥に落ちた。
「…………」
知らない。
この少女を。
知らないはずなのに。
なぜだろう。
その呼び方だけは。
懐かしかった。
「あなた……」
リリアーナは少女を見る。
「私のことを知っているんですか?」
「うん」
少女は嬉しそうに笑った。
「ずっと探してた」
「……名前は?」
「セラ」
少女は胸に手を当てる。
「私はセラ」
「セラ……」
「そう」
セラは花冠を差し出した。
「これ、覚えてる?」
リリアーナは花冠を見る。
白い花。
青い花。
小さな黄色い花。
その組み合わせを見た瞬間――
頭の中に映像が流れ込んできた。
幼い自分。
森の中。
隣にはミラ。
少し離れたところに、幼い魔王とレオン。
そしてユリウス。
さらに――
小さな女の子。
「……セラ」
リリアーナの口から。
自然に名前がこぼれた。
「……!」
セラの目が大きくなる。
「思い出した?」
「分からない……」
リリアーナは額を押さえる。
「でも……あなたの名前を、知っている気がします」
セラは涙を浮かべて笑った。
「それで十分」
「……」
「お姉ちゃんは、昔からそうだった」
「私が?」
「うん」
セラは頷く。
「誰かが泣いていたら、一番に抱きしめてくれた」
「…………」
「私が転んだ時も」
「……」
「ミラが怒った時も」
「え?」
ミラが振り返る。
「私、怒ったの?」
「うん」
「なんで!?」
「お姉ちゃんが私とばっかり遊んでたから」
「…………」
ミラが固まる。
そして。
「……私、昔から嫉妬深かったんだ」
「そこに納得しないでください!」
リリアーナが思わず突っ込む。
レオンが笑った。
「なんか安心したな」
「何がですか?」
「昔の俺たちも、普通の子供だったんだなって」
魔王も。
小さく頷く。
「……そうだな」
その表情には。
ほんの少しだけ。
昔を懐かしむ色があった。
◇
「でも」
ユリウスが静かに口を開いた。
「どうして君がここにいる?」
セラを見る。
「ずっと眠っていたはずだ」
「うん」
「目覚めるには、まだ早い」
「そうなの?」
「……」
ユリウスが黙る。
セラは笑った。
「でも、起きちゃった」
「誰かに起こされた?」
「違うよ」
セラは空を指差す。
「呼ばれたの」
「誰に?」
「世界に」
「…………」
魔王が眉を寄せる。
「また世界か」
レオンが呟く。
「最近、世界って言葉が多くないか?」
「私も思います」
「世界って、そんなに暇なのか?」
「レオンさん」
「はい」
「黙っていてください」
「はい……」
セラがくすくす笑う。
「やっぱり変わらないね」
「え?」
「レオンお兄ちゃん」
「俺!?」
「うん」
「俺も昔、こんな感じだった?」
「もっと酷かったよ」
「もっと!?」
魔王が小さく息を吐いた。
「安心しろ。今も十分酷い」
「魔王まで!」
少しだけ。
空気が和らいだ。
だが。
セラをじっと見ていた。
「……おかしい」
「何が?」
「君は、もっと早く目覚めるはずじゃなかった」
「でも目覚めたよ?」
「それが問題なんだ」
ユリウスの声が低くなる。
「誰かが、封印を解いた」
全員の表情が変わる。
「封印?」
リリアーナが尋ねる。
「セラは眠っていたんだ」
ユリウスが答える。
「六人目として」
「六人目……」
セラは頷く。
「私は、みんなを守るために眠ったの」
「どうして?」
「五つの力が揃ったら」
セラは胸元に手を当てる。
「世界の扉が開くから」
魔王が反応した。
「……世界の扉」
「うん」
「それを閉じるために?」
「違う」
セラは首を横に振った。
「開けるため」
「…………」
沈黙。
リリアーナが尋ねる。
「その扉の向こうには、何があるんですか?」
セラは答えなかった。
代わりに。
リリアーナの手を取る。
「お姉ちゃん」
「はい」
「怖くないよ」
「……え?」
「扉の向こうにあるのは」
セラは笑う。
「お姉ちゃんが、一番会いたかった人だから」
「私が……?」
胸が。
大きく鳴った。
「誰……?」
「それは――」
セラが答えようとした瞬間。
――ドンッ!
巨大な衝撃音。
「きゃっ!」
地面が揺れる。
グランが激しく吠えた。
「グルルルルッ!」
ノアも唸る。
「何!?」
レオンが剣を構える。
森の奥から。
黒い霧が流れてくる。
「……またか」
魔王が呟く。
ユリウスがセラを見る。
「やっぱり」
「……うん」
セラも頷く。
「見つかった」
「誰に?」
リリアーナが尋ねる。
セラは振り返る。
「大神官」
黒い霧の中から。
一人の影が現れる。
長い法衣。
白い髪。
そして。
あの声。
『――久しぶりだね』
「…………」
大神官。
『リリアーナ』
「……!」
『そして、セラ』
セラが一歩後ろへ下がる。
「……嫌」
『君は、まだ眠っていなければならなかった』
「嫌!」
セラが叫ぶ。
「もう誰も眠らせない!」
『そうか』
大神官は静かに笑う。
『ならば、仕方ない』
黒い霧が広がる。
「全員、下がって!」
魔王が叫ぶ。
黒い魔力が森を覆う。
レオンが剣を振る。
「うおおおおっ!」
――ズガンッ!
黒い霧が吹き飛ぶ。
「やった!」
「まだだ!」
魔王が叫ぶ。
霧の奥から。
無数の黒い手が伸びてくる。
「多すぎる!」
リリアーナが白い光を放つ。
――パァァァッ!
黒い手が消えていく。
「……!」
魔王が驚く。
「リリアーナ」
「はい!」
「その力……」
「え?」
「以前より強くなっている」
リリアーナは自分の手を見る。
白い光が。
以前よりもはっきりと輝いている。
セラが笑う。
「当然だよ」
「?」
「お姉ちゃんは――」
セラが言う。
「もう一人じゃないから」
その瞬間。
魔王の黒い魔力。
レオンの赤い光。
ミラの金色の光。
ユリウスの灰色の光。
そしてリリアーナの白い光。
五つの光が。
自然に重なった。
「……!」
巨大な光の輪が生まれる。
大神官の黒い霧が押し返される。
『…………』
初めて。
大神官が黙った。
ユリウスが呟く。
「五人の力が……」
セラが続ける。
「戻った」
そして。
セラ自身の身体から。
淡い青色の光が溢れ始めた。
「……え?」
リリアーナが目を見開く。
「セラ……?」
青い光が空へ伸びていく。
六つ目の光。
その色は。
今までのどの力とも違っていた。
セラは涙を浮かべながら笑う。
「これが……」
そして。
「私の力」
青い光が。
空を貫いた。
その瞬間。
世界のどこかで。
巨大な鐘が鳴った。
――ゴォン。
――ゴォン。
――ゴォン。
大神官が初めて。
明確な焦りを見せた。
『……まずい』
魔王が目を細める。
「何がまずい?」
大神官は答えない。
ただ。
セラを見つめていた。
『六人目が目覚めた』
そして。
『――ならば、最後の扉も開いてしまう』
その言葉と同時に。
空が。
真っ二つに割れた。
「…………」
その向こうから。
巨大な白い扉が姿を現す。
扉の中央には。
六つの紋章。
そして、その一番下に。
見たことのない文字が刻まれていた。
セラが震える声で読む。
「……『始まりの場所へ帰れ』」
リリアーナは空を見上げる。
胸の奥で。
ずっと眠っていた記憶が。
また一つ。
目を覚ました。
――そしてその記憶の中には。
まだ誰も知らない。
「七人目」の姿があった。




