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聖女を辞めたので、今日から魔王城で働きます  作者: ななほし


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第30話 大神官

「……大神官だ」


 ユリウスの呟きが、銀色の森に落ちた。


 扉の向こう。


 黒い手が、ゆっくりとこちらへ伸びてくる。


「…………」


 リリアーナは息を呑んだ。


 魔王はすぐさま彼女の前へ出る。


「リリアーナ、下がれ」


「でも……」


「今度は私が守る」


「魔王様……」


 その横で、レオンも剣を抜いた。


「俺もいるぞ!」


「お前は私の真似をするな」


「真似じゃない! 俺も守るんだ!」


「二人とも喧嘩してる場合じゃありません!」


「「していない!」」


「してます!」


 こんな状況なのに。


 なぜか、いつもの空気になってしまう。


 ユリウスはそれを見て、小さく笑った。


「……本当に変わらないな」


「ユリウスさん?」


「いや」


 彼は首を振る。


「少し安心しただけ」


 その時。


 扉の奥から声が響いた。


『――ユリウス』


 ユリウスの笑顔が消えた。


「…………」


『ずいぶんと、懐かしい顔ぶれだ』


 低く、静かな声。


 リリアーナはその声を知っていた。


「……大神官」


『久しぶりだね、リリアーナ』


 胸がざわつく。


 何度聞いても。


 この声だけは忘れられない。


 いや。


 忘れていたはずなのに。


 なぜか、身体が覚えている。


「あなたは……」


 リリアーナが一歩前へ出る。


「ユリウスさんを消したんですか?」


『違う』


 大神官は答えた。


『彼自身が望んだことだ』


「……!」


 ユリウスが目を閉じる。


「そうだよ」


「ユリウスさん?」


「僕が望んだ」


 リリアーナは首を振る。


「でも、どうして?」


「君たちを守るため」


「それなら……どうして何も言わなかったんですか?」


「言えなかった」


「なぜ?」


「君たち四人が、僕を忘れなければならなかったから」


 魔王が眉をひそめる。


「意味が分からない」


『魔王よ』


 大神官の声が響く。


『君は昔から理解が早い』


「皮肉か」


『いや』


 少し間を置いて。


『だからこそ、最も危険だった』


 魔王の表情が険しくなる。


「……何?」


『君は幼い頃から、力の本質を理解していた』


「…………」


『聖女の力が何をするものなのか』


 大神官が続ける。


『勇者の力が何をするものなのか』


『世界を繋ぐ力が何をするものなのか』


『そして――魔王の力が何をするものなのか』


 リリアーナは思わず魔王を見る。


 魔王は黙っていた。


「魔王様……昔のことを、何か覚えてるんですか?」


「……」


 魔王はしばらく答えなかった。


 そして。


「一つだけ」


「え?」


「君を守らなければならないと思っていた」


 リリアーナの目が丸くなる。


「昔から……?」


「分からない」


 魔王は静かに答えた。


「だが、今も同じだ」


「…………」


 リリアーナの頬が少し赤くなる。


「そ、そうですか……」


 その横で。


「俺も!」


 レオンが手を上げた。


「俺もリリアーナを守る!」


「レオンさんまで……」


「俺の場合は昔からじゃないけどな!」


「威張ることではない」


「なんでだよ!」


 ユリウスが吹き出した。


「ははっ……」


 そして。


「やっぱり五人でいると、こうなるんだ」


「……五人?」


 ミラが呟く。


 ユリウスが彼女を見る。


「そう」


「私たち……五人で……」


 ミラの目に、また何かが浮かぶ。


 記憶。


 幼い自分。


 その隣にリリアーナ。


 魔王。


 レオン。


 そしてユリウス。


 五人で笑っている。


 森の中。


 小さな花冠を作って。


「ミラ」


 ユリウスが優しく呼ぶ。


「思い出さなくていい」


「……でも」


「無理をすると、また同じことになる」


「同じこと?」


 リリアーナが尋ねる。


 ユリウスは答えなかった。


 代わりに。


 大神官が言った。


『ユリウス』


「……」


『もう十分だ』


 ユリウスの顔から血の気が引いた。


「……え?」


『君は本来、ここに存在してはいけない』


 黒い手が。


 ユリウスへ向かって伸びる。


「ユリウス!」


 リリアーナが叫ぶ。


 しかし。


 魔王が先に動いた。


「させるか!」


 黒い魔力が爆発する。


 ――ドォンッ!


 伸びてきた腕が吹き飛ぶ。


「魔王様!」


「大丈夫だ」


 魔王は振り返る。


「怪我はないか?」


「はい!」


「ならいい」


 レオンも剣を構える。


「次は俺だ!」


「何をする気だ」


「とりあえず斬る!」


「雑すぎる」


「じゃあ魔王はどうするんだよ!」


「考える」


「俺も考える!」


「考えてから剣を抜け」


「もう抜いちゃった!」


「知っている」


 そんな二人を見ながら。


 ユリウスは苦笑する。


「……やっぱり」


「?」


「僕がいなくても、君たちは大丈夫だったんだね」


「そんなことありません」


 リリアーナが言った。


 ユリウスが目を見開く。


「え?」


「ユリウスさんが友達だったなら」


 リリアーナは笑う。


「これからも友達でいたいです」


「…………」


「だから、いなくならないでください」


 ユリウスは。


 しばらく何も言わなかった。


 そして。


「……困ったな」


「え?」


「そういうことを言われると」


 彼は胸元を押さえる。


「本当に消えたくなくなる」


 その瞬間。


 灰色の光が強くなった。


 ユリウスの身体が透け始める。


「ユリウス!」


「大丈夫」


「大丈夫じゃないです!」


「本当に大丈夫だよ」


 ユリウスは笑う。


「僕は一度消えた」


 そして。


「だから――」


 彼はリリアーナへ手を伸ばした。


「今度は、自分で戻ってくる」


「……!」


 リリアーナがその手を掴む。


 温かい。


 確かに、生きている人の手だった。


「約束ですよ」


「ああ」


「絶対です」


「うん」


 その時。


 ミラが突然叫んだ。


「――違う!」


 全員が振り返る。


「ユリウスは……!」


 ミラの目から涙が落ちる。


「殺されてなんかない!」


「……!」


「私が……私たちが……」


 頭を押さえる。


「違う……あの日……」


 断片的な記憶。


 燃えるような赤い空。


 崩れる神殿。


 泣いているリリアーナ。


 怒っている魔王。


 剣を握るレオン。


 そして。


 ユリウスが。


 誰かを庇っていた。


「ユリウスは……」


 ミラが震える声で言う。


「私たちを助けたんだ……」


「…………」


 ユリウスは静かに目を閉じる。


「そこまで思い出したか」


「じゃあ……!」


 ミラが顔を上げる。


「あなたを殺したのは私じゃない!」


「うん」


「私たちじゃない!」


「うん」


「じゃあ誰なの!?」


 ユリウスは。


 ゆっくりと大神官のいる扉を見る。


「それは――」


 その瞬間。


 大神官の声が響いた。


『もう十分だ』


 空間が大きく揺れる。


『これ以上、思い出させるわけにはいかない』


「……!」


 銀色の森が崩れ始める。


 地面が割れる。


 木々が消えていく。


「みんな!」


 リリアーナが叫ぶ。


「手を繋いで!」


 魔王がリリアーナの手を掴む。


 レオンが反対側から掴む。


 ミラもカイルの手を握る。


 そして――


 五人の手が繋がった。


 その瞬間。


 五つの光が一斉に輝いた。


 白。


 黒。


 赤。


 金。


 そして。


 灰色。


 五つの光が重なって。


 巨大な扉が開く。


 その向こうにあったのは――


 見覚えのある場所だった。


「……ここ」


 リリアーナが息を呑む。


 そこは。


 北の森の奥。


 幼い頃の彼女が。


 何度も夢に見ていた場所。


 そして。


 中央には一枚の石碑が立っていた。


 石碑には。


 たった一つの文章。


 ――『五人目が戻った時、最後の扉が開く』


 魔王が石碑を見つめる。


「最後の扉……」


 レオンが呟く。


「まだあるのかよ……」


 リリアーナは。


 ゆっくりとユリウスを見る。


「ユリウスさん」


「うん?」


「最後の扉の向こうには……何があるんですか?」


 ユリウスは答えなかった。


 ただ。


 今まで見せたことのない顔で。


 静かに言った。


「――僕たちが、世界を変えてしまった理由がある」


 その瞬間。


 石碑の奥から。


 新たな文字が浮かび上がった。


 ――『六人目を探せ』


「…………」


 全員が固まった。


 レオンが。


「……え?」


 と呟く。


 魔王も。


「六人目……だと?」


 ミラは青ざめる。


 そして。


 ユリウスだけが。


 小さく笑った。


「……そうか」


「ユリウスさん?」


 彼は石碑を見つめたまま。


 静かに呟いた。


「まだ、いたんだ」


 ――物語は、さらに深い過去へと続いていく。

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