第25話 空に現れた扉の向こう
「――ようやく、帰ってきたね」
空から聞こえた声。
私は動けなかった。
「……帰ってきた?」
その言葉だけが、頭の中で何度も繰り返される。
ここは王都。
私は王都に帰ってきただけだ。
なのに。
どうして「帰ってきた」と言われたのだろう。
「リリアーナ」
魔王様の声がした。
「下がっていろ」
「でも……」
「危険かもしれない」
魔王様が私の前に立つ。
そのすぐ隣で、レオンさんが剣を構えた。
「魔王」
「なんだ」
「これ、敵かな?」
「分からない」
「じゃあ斬ってみる?」
「やめろ」
「なんで?」
「分からないものを斬るな」
「……正論だ」
こんな状況でも。
この二人は相変わらずだった。
少しだけ安心してしまう。
その時。
「……あれ?」
空に浮かんでいたエミリアが、ゆっくり目を開けた。
「ここ……どこ?」
「エミリアさん!」
私は駆け出そうとした。
しかし。
「待て!」
魔王様が腕を伸ばす。
「まだだ」
「でも!」
「危険だ」
その瞬間。
エミリアの周囲に、三つの光が集まった。
白。
黒。
赤。
それぞれが巨大な光球となって、空中で回転する。
「……すごい」
レオンさんが呟く。
「俺の力も混ざってるのか?」
「おそらくな」
「魔王のも?」
「ああ」
「じゃあ俺たち、仲良し三人組じゃん」
「誰がだ」
「違うのか?」
「……今はどうでもいい」
魔王様が空を睨む。
「問題は、あの扉だ」
◇
空に浮かぶ巨大な扉。
その表面には、三つの紋章が刻まれていた。
聖女。
魔王。
英雄。
「……やっぱり」
私は息を呑んだ。
「三つの力って、私たちのことだったんですね」
「いや」
魔王様が首を振る。
「少し違う」
「え?」
「聖女の紋章が、二つある」
「…………」
私は目を凝らした。
確かに。
三つではない。
扉には。
白い聖女の紋章。
黒い魔王の紋章。
赤い英雄の紋章。
そしてその中央に。
もう一つ。
薄く光る、金色の紋章があった。
「これは……?」
レオンさんが首を傾げる。
「見たことない」
「私もだ」
魔王様も険しい顔をする。
私はその金色の紋章を見た瞬間。
「……っ」
頭が痛くなった。
「リリアーナ!」
魔王様がすぐに支える。
「大丈夫か?」
「はい……」
けれど。
頭の中に。
また映像が浮かんだ。
◇
――幼い私。
――幼い魔王様。
そして。
もう一人。
赤い髪の少年。
「…………誰?」
私は呟く。
三人の子供が森の中にいる。
幼い私が笑っている。
幼い魔王様が怒っている。
赤い髪の少年が泣いている。
『リリアーナ、早く!』
『待ってよ、レオン!』
『お前は危なっかしいんだ!』
『魔王くんだって!』
『俺は魔王じゃない!』
『じゃあ何?』
『……まだ決めてない』
三人が笑っている。
「…………」
私は息を呑んだ。
赤い髪。
明るい声。
その顔。
見覚えがある。
「……レオンさん?」
◇
「リリアーナ?」
声が聞こえた。
私は目を開ける。
目の前にレオンさんがいる。
「どうした?」
「……レオンさん」
「うん」
「昔……」
「?」
「私たち、会ってませんでしたか?」
「…………」
レオンさんが固まった。
「俺と?」
「はい」
「…………」
魔王様も驚いている。
「何を見た?」
「昔の記憶です」
私は二人に話した。
森。
幼い魔王様。
幼い私。
そして。
赤い髪の少年。
「……俺」
レオンさんが自分を指差す。
「子供の頃、リリアーナと会ってたの?」
「たぶん……」
「…………」
レオンさんはしばらく考えた。
「俺、全然覚えてない」
「私もです」
「私もだ」
魔王様が言う。
「だが」
魔王様が空を見る。
「大神官は言っていた」
「はい」
「記憶を消した、と」
「…………」
「ならば」
魔王様が静かに言った。
「三人とも、何かを忘れさせられている可能性が高い」
レオンさんが剣を握る。
「じゃあ――」
その表情から笑みが消える。
「俺たち、昔から一緒だったのか?」
「たぶん」
「……なんだよ」
レオンさんが苦笑した。
「じゃあ俺、最初からリリアーナを知ってたんじゃん」
「そうかもしれません」
「じゃあ……」
レオンさんが少し照れたように笑う。
「今さら自己紹介する必要ないな」
「ふふっ」
思わず笑う。
すると。
「……レオン」
魔王様が低い声を出した。
「なんだ?」
「君は少し黙っていろ」
「なんで?」
「…………」
魔王様は答えなかった。
◇
その時。
「きゃあああああっ!」
空からエミリアの悲鳴が響いた。
「エミリア!」
私は顔を上げる。
エミリアの身体が。
巨大な扉の方へ引っ張られていた。
「助けてください!」
「待って!」
私は走り出した。
魔王様も。
レオンさんも。
同時に走る。
「リリアーナ!」
「分かってます!」
私は手を伸ばす。
エミリアの手を掴んだ。
「エミリアさん!」
「リリアーナ様!」
しかし。
力が強すぎる。
「離してください!」
「嫌です!」
「でも!」
「絶対に離しません!」
その瞬間。
魔王様の手が私の肩を掴んだ。
「私が支える!」
レオンさんもエミリアの腕を掴む。
「俺も!」
「三人で引っ張れば!」
「せーの!」
「「「せーのっ!」」」
――ズズズズズ……!
巨大な扉が震える。
「いける!」
レオンさんが叫ぶ。
「もう少し!」
私も力を込める。
魔王様も。
その時。
扉の向こうから声がした。
『まだ早い』
「……!」
全員が動きを止める。
『まだ、すべての鍵が揃っていない』
扉がゆっくり閉じていく。
「待って!」
私が叫ぶ。
『一つ目の鍵は――』
金色の紋章が輝く。
『リリアーナ』
「……私?」
『二つ目の鍵は――』
黒い紋章。
『魔王』
魔王様が目を見開く。
『三つ目の鍵は――』
赤い紋章。
『英雄』
レオンさんが息を呑む。
『そして最後の鍵は――』
金色の光が強くなる。
「……最後?」
私が呟く。
『――あなたたちが忘れた、約束』
「約束……?」
その言葉と同時に。
扉が完全に閉じた。
エミリアの身体がゆっくりと地面へ落ちてくる。
「危ない!」
レオンさんが受け止める。
「大丈夫?」
「はい……」
エミリアは頷いた。
「でも……」
空を見上げる。
「私、何かを聞いた気がします」
「何を?」
「……『約束』って」
私と魔王様。
そしてレオンさんが顔を見合わせる。
「…………」
その時。
私の胸元が淡く光った。
「え?」
光の中から。
一枚の小さな紙が落ちてきた。
拾い上げる。
そこには。
幼い字で書かれていた。
『三人で、またここに来よう』
そして。
その下に三つの名前。
『リリアーナ』
『レオン』
『――』
三つ目の名前だけが。
黒く塗り潰されていた。
「…………」
魔王様が、その紙を見る。
「……私の名前だ」
「え?」
「この字は……」
魔王様が静かに呟く。
「私の字だ」
私は目を見開いた。
「じゃあ……」
魔王様は紙を握りしめる。
「私たちは昔」
一瞬だけ。
悲しそうな顔をした。
「三人で、何かを約束したんだ」
その頃。
遠く離れた場所。
黒いローブの男――元大神官は。
一人、静かに笑っていた。
「思い出し始めましたか」
その手には。
古びた、もう一枚の紙。
そこには。
幼い三人の子供が描かれていた。
「ですが」
大神官は紙を燃やす。
「まだ、最後の一人が思い出してはいけない」
炎の向こうで。
大神官が呟く。
「――あの子が目覚めるまでは」
そして。
夜空のどこかで。
何か巨大なものが。
ゆっくりと目を開いた。




