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バイト先のネカフェに大学の美少女が寝泊まりするようになった  作者: 古野ジョン


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第2話 美少女に抱きつかれる

「矢吹彩夜、です……」


 予想外の出来事に、つい固まってしまう。こんな綺麗な子がどうして? しかも、良いとこのご令嬢だって話だったよな……?


「あ、あの。名前……」

「しっ、失礼しました。矢吹様ですね」


 おどおどとしながら首をかしげる矢吹に対して、慌てて返事をした。余計なことを考えてはだめだ。いくら大学で有名な美少女だからって、客の裏事情を勝手に勘ぐるなど言語道断。いつも通りに接客しなければ。


「会員証をお作りしますので、こちらの用紙に必要事項をご記入ください」

「えっと、ペンは」

「しっ、失礼しました。こちらのものをお使いください」


 矢吹に指摘され、ハッとしてボールペンを渡した。まずい、動揺してる。別に知り合いでも何でもないんだから、ネットカフェに寝泊まりしようが関係ないはずなのにな……。


「すいません、書き終わりました」

「あっ、ありがとうございます。お手数ですが、身分証のご提示もお願いします」

「えっと……学生証でも大丈夫ですか?」

「はい、結構です」


 矢吹が肩にかけていたトートバッグから財布を取り出している間、俺は用紙に書かれた情報をレジスターに打ち込んでいく。それにしても綺麗な字だな。小さい頃から厳しく言われていたのかもしれない。


「これ、学生証です」

「確認いたします」


 両手で丁寧に出された学生証を受け取り、じっと見る。……やっぱりうちの大学だ。昼に見たあの美少女本人であることは間違いない。それにしても、こんな証明写真でも綺麗に写っているのは流石――


「……あの、どうしてそんなに見てるんですか」

「しっ、失礼しましたっ!」


 怪訝な目で見られてしまった……。その、仕事上必要な作業なんです。顔写真が本人と一致しているかどうか確認しないといけないんです――なんて言おうかと思ったけど、下手なことを言ってむやみに好感度を下げたくないし。


「確認が取れましたので、身分証はお返しします。それから、こちらが会員証になりますので」

「はっ、はい」

「裏にご記名をお願いいたします」


 カード型の会員証を手渡すと、矢吹はボールペンでつらつらと名前を書き始めた。どうやら大外刈りは回避できたらしい。良かった良かった。


「書きました」

「では、入店の際はそちらの会員証をご利用ください。本日のお席はお決まりでしょうか?」

「ど、どういう席があるんですか? すいません、あんまりこういうお店を使ったことがないので……」

「では、ご説明しますので」


 俺は店内の地図を取り出し、矢吹に説明を始めた。マットに寝転ぶタイプのブースとリクライニングシートに座るタイプのブースがあること。二十歳に満たないので禁煙エリアのブースにしか案内出来ないこと。最長の料金プランは二十四時間で、時間がくるたびに更新が必要なこと。


「外出していただいても構いませんが、その際はフロントに伝票をお預けいただき……」

「はい、ええ……」


 一通りの話をしている間、矢吹は神妙な面持ちで聞いていた。お昼の出来事の印象が強いが、やはり礼儀正しい人間であることは間違いないみたいだ。ネカフェで働いていると、夜中の三時に怒鳴りつけられることも珍しくないから……ちょっと安心してしまう。


「――それでは、禁煙の鍵付きマット席でご用意いたしました。こちらが伝票です」

「は、はい。ありがとうございます」


 諸々の手続きを終えてカードキー付きの伝票を手渡すと、矢吹は消えてしまいそうな声とともに会釈をしてくれた。外鍵付きのブースが空いていて助かった。うちの店は女性専用エリアがないから、普通のブースだとちょっと不安だった。


「お席はこちらの通路を真っすぐ進んで右手にございます。ごゆっくりどうぞ」

「あ、ありがとうございました……」


 矢吹は再びペコリと頭を下げつつ、ハンチング帽を目深に被り直し、スーツケースを引いて歩いていった。その小さな背中はどこか不安そうで、見ているこちらが心配してしまう。


 しかしなあ、どうしてわざわざネカフェに寝泊まりすることにしたのだろう。何か事情があるのかも分からないけど、友達の家とか、それこそ彼氏の家……いや、考えるのはやめておくか。別に矢吹の人間関係について知っているわけでもないしな。


 あの人はただの客で、俺はただの店員。たまたま同じ大学に通っているだけだし、それ以上に深入りする必要もない。


 矢吹がブースの方に入っていくのを遠目で確認してから、俺はレジを離れて別の作業に入ることにしたのだった。


***


 ネカフェ店員の仕事は多岐に渡る。レジ対応やブースの清掃はもちろん、フードの調理や漫画本の整理もしなければならない。


 矢吹を対応してから一時間くらい経ったあと、俺は返却された漫画本を元の棚に戻す作業をしていた。うちの店にはかなりの漫画本が置いてあるが、とくべつ面積が広いわけでもないので、通路やブースの隙間を縫うようにして本棚が設置されている。


「ええっと……70番の棚は……」


 新刊が入ったときなんかに模様替えをすることもあるから、働き始めて三年目の俺でも未だに迷うことがある。こっちの棚は……ああ、禁煙エリアに近い方だったかな。


「ん?」


 バタン、という大きな音が聞こえた。誰かが扉を乱暴に開けたような音だな。寝ているお客も多いし、注意しに行かないと。


 手に持っていた漫画本を近くの棚に置いて、ブースの集まるエリアに歩いていく。扉を開けたってことは、まだ近くの通路を歩いているはずだよな――


「あーっ、店員さん!!!」

「!?」


 なっ、なんだ!? 静寂を切り裂く悲鳴に驚き、慌てて周囲を見渡すと、暗い通路の向こうに小柄な女性が立っている。俺の姿に気づいたのか、その女性はこちらに向かって走り出した。


「おっ、お客様? 何かお困りのことが――」

「たっ、助けてくださいっ!!!」

「!!?!!?!!?」


 言葉を発する間もなく、気づいた時にはパジャマ姿の女性が俺の胸に飛び込んできていた。怯えたような表情で、何かを怖がるように……って、矢吹じゃないか!?


「なっ、なんですかあれ!? この店なんなんですか!?」

「なんですかはこっちの台詞ですよ!?」

「怖いですっ! 怖いんです~っ!」

「だっ、抱きつかないでくださいってば……!!」


 矢吹が必死にすがりついてくるものだから、薄いパジャマ越しに体温が伝わってくる。しかも体同士が密着しているから、胸あたりに柔らかい感触が直に当たっていて……もう目が回りそう。


「おっ、落ち着いてくださいっ……!」

「店員さん助けてください~っ!」


 時刻は零時、日付が変わる頃。目の前で揺れるさらさらの黒髪に、俺はただただ立ち尽くすしかなかったのだった――

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