第九話 友達選び
「三枝さん、こっちこっち」
と祐希に後方から呼ばれてホッとした薫子。あの約束は無くなってなかった、と思っただけで泣きそうだった。
実は製図室自体に入ったのは二度目だ。
最初に教授、助手、院生の方々の紹介とこれからのプロセスを聞いた時以来だった。
どうやら製図台はその都度早い者勝ちらしい。
その実、大講義室を出た後、薫子との製図台の約束を聞いた他の三人に急かされて祐希は走って製図室の窓際とその横の二台をキープしたのだ。他の三人も少し離れたところの製図台におり、既に用紙のセットに入っている。
初めて見た祐希の作業着は黒のハイネックのTシャツに濃紺のダンガリーシャツ、下は少しダボついたチノパンだった。『似合ってる…』また少し胸がキュッとなる。『まただ、変な感じ、これ何なんだろ?』と思いながら周りを見渡す。
『山田さんとも鈴木さんとも離れてる…良かった』
いくらいきなり変な事言って来た人でもトイレに行きたかったとは言え、薫子は突き放したモノの言い方をして嫌な気分になったのだ。
『これが好き?と嫌い?…香山さんは?木元さんは?草壁さんは?嫌いじゃないし、むしろ穏やかに過ごせるけれど二人きりは?……琥原さんとは最近二人きりになったりするけど、胸が熱くなったり、ギュッとなったり、キュンとしたりで落ち着かないのに全く嫌じゃない…これって何?』
「遅くなってごめんなさい」
と薫子は祐希にぺこりと頭を下げて手前側の製図台の椅子の脚元あたりに荷物を置く。
すると祐希に
「製図台の高さ変えるの見てあげる」
と言われたが、薫子は
『そうだ、今日からこちらでお世話になりますって教授と坂崎さんにも言わないとだった』
「教授にちょっとだけお話ししてきます!」
製図室前方の大きな机に、社長椅子の様な椅子に座っている高見沢教授に声を掛けようとしたが、教授の方から先に薫子に話しかけて来た。
「おや、三枝さん、今日はどうしたのかな?」
「高見沢教授、申し訳ございません。」
「何だい?いきなり。」
「私慢心がありました。」
「え?」
「教授からのお気遣いで坂崎さんのお部屋を一人でで使わせて頂いておりましたが、それでは建築士を目指す者として他の皆さんと同じスタートラインにも立っていないのではと思いまして、今後は出来ればこちらでご一緒に学ばせて頂きたいです。」
「ほお……まあ君がそう思うのであれば僕は問題ないけれど…むしろ一人部屋であまり見てあげられないのは気にかかってはいたんだが、やはり大事なお嬢さんを預かる立場としては、後々、徹夜で仕上げる様な案件も出て来たら心配なんだけどな。」
「肝に銘じます。」
「本当に面白いお嬢さんだね君は…一般でトップの成績で入学した上に志しも高い…もしかしたら我が校二人目の女性一級建築士の誕生かもね。」
「二人目と言うことは、まだお一人しか女性の方は一級建築士になられていないと言うことですか?」「そこに食いつく?本当に面白いね、考えてごらん今ですら一対九十九だし、君、何年振りかの女子大生なんだよ」
「……歴史ある大学なのに女性は一人…」
「ほら、国公立もあるからさ」
「……」
慰めにならないと思ったのか教授は急に、
「あのさ、君お家ではお父上のこと何て呼んでるのかな?うちは遅くに出来た娘でね、今高校一年なんだけど、ちょっとでも叱ると僕のこと"くそ親父"って言うんだよ」
少し寂しげに言う。
「それは教授がお優しいからだと思いますが……」
「それで君はなんと?」
「大学生にもなって大変言いにくいのですが、お恥ずかしながら"パパ"と……」
「パパ!!」
教授が大きな声で叫ぶと学生達が一斉に顔を上げた。
「ごめんごめん」
と薫子に謝りながら他学生達に向かって
「君達悪かったね、続けて」
と教授は言った。
「母のことは小さい頃からお母さんと呼んでいますが、何故か父のことは以前から……」
「いいなぁ、三枝家は円満なんだな。礼儀正しいからどんなご両親に育てられたんだろうとは思ったけど、パパか〜ははは」
「すみません私ごとで、お時間頂きまして、大変失礼致しました。」
「琥原君に線引き教わるのかな?」
「あ、いえ技術を盗めと。」
「あの子らしい……まあでも琥原君はサラブレッドだからね。技術を盗めたら素晴らしいことになるな。とにかく今後の活躍も楽しみにしているよ。また部屋のことは使いたい時に坂崎君に言ってくれたら良いからね。」
「有難うございます!」
頭をきちんと下げて挨拶し終え
『琥原さんはサラブレッド?何そのものの例え?』と思いつつ線引きをしている他学生の邪魔にならない様に前扉から一旦出て後方の扉から中に入った。
「三枝さん聞いたよ、今、琥原君から。」
助手の坂崎が声をかけてきた。
「今まで本当にすみませんでした。」
「教授が残念がってなかった?」
「はい?」
「うちの娘が最近荒っぽくて、三枝さんみたいな子だったらな〜なんて言ってからさ。」
「かいかぶりですよ。」
「まあとりあえず皆んなと一緒だと僕達も見回れるし何かしら教えてもあげられるし、でもまた気が変わったらいつでも部屋は使っていいから言ってね。」
薫子が頭を下げて挨拶するや否や忙しそうに他の学生の様子を見に行ってしまった。
「遅い」
祐希はちょっと不満げだ。
「すみません」
「まずは製図台をセットしよう」
と窓際の製図台に誘導された。
「窓際いいんですか?」
自然光の入る窓際は製図向きで取り合いになるほどだ。
「いいに決まってるじゃん、俺はどこでも出来るから大丈夫!早速だけど高さを変えるのに、このペダル普通に踏んだんじゃ三枝さんの場合、力が足りないと思うんだよね」
「ではどうすれば?」
「ペダルに利き足乗せたままジャンプして踏みしめるって出来そう?」
「こうですか?」
製図台のペダルに右足を乗せて動かないままジャンプしてその足に体重をかける。
「下がった」
薫子は祐希の顔を見て嬉しそうに笑うと祐希も
「一回で出来たじゃん」
笑顔になる。
「椅子は高めにしておくと上の方が描きやすいよ」と続けて薫子を座らせる、このままで大丈夫そうだ。
「傾きは自分に合わせて」
薫子は自分で描きやすそうな傾きに調整した。
「あとは自分でとりあえず頑張ろうか」
こくこくと薫子は嬉しそうに頷くと持参したA1の製図用のトレーシングペーパーに鉛筆、T定規、三角定規を出した。
「終わったー!」
香山が吠えた。
もう既に半数近くは青焼きを提出を終え退室している。教授も席を外したり戻ったりを繰り返していたが、この時間くらいからは席を外さない。
草壁も木元も提出出来たらしい。
三人は祐希に気を遣ったのか
「お先に〜」
ニヤニヤしている顔を薫子に気づかれないように帰ってしまった。
そんな祐希は実は一コマ目で線引き完了しトレーシングペーパーの青焼きを提出しに行き、教授もそれを受け取ったが、
「やっぱり、もう一枚いいですか?」
とやり直しを自ら希望した。
それでも薫子より速く"線引き"完了。
『どうしても何本も引いてると途中でブレちゃうんだよなー』
他の人のシュッと線を引く音ばかり気になる。
「用紙変えなよ」
「え?」
「それで一回深呼吸して、手も休めよう」
「でもまた最初からなんて…」
自分でも分かる不具合に何回もやり直しをしていて、疲れもピークになっていた。
「気持ちの切り替えは必要だよ」
確かに祐希の言う通りかも…と再度用紙をポートフォリオ※から出す。
薄い紙なのにA1の重みがずっしり来る。
製図台のところまで戻ると祐希がブリックパックのオレンジジュースにご丁寧にストローを挿したものを差し出す。
「切り替え切り替え」
「あ、ありがと」
『素直に受け取った…相当来てるな…』
窓辺に2人でもたれかかりながらオレンジジュースをストローで吸う。
「何が納得行かないの?」
「筆圧です。」
「太さが均一にならない感じ?」
こくっと薫子が頷くと祐希が言う。
「初めは皆んな一緒だよ、回数重ねるから描けるようになるんだから、今は自分のベストを尽くせばよしだと思うんだけど」
「ベストが分からない……」
「シャー芯回してる?」
「え?んー上手く回せないんです。」
「やってるところ見てみる?」
「いいんですか?」
『なんで…そんなに優しくしてくれるのかな?もう皆さん、そろそろ終わりそうなのに…というか琥原さんは2回も仕上げてるのに…』
「さあ、やるよ」
祐希はトレーシングペーパーをまた一枚、自分の製図台にセットするといきなり線引きを始めた。
※ ポートフォリオ
A1トレーシングペーパーをそのまま、あるいは二つ折りにして入れる薄型の大きなバッグのこと。
「今日は本当に遅い時間まで有難うございました。」
祐希に薫子が言うと
「だって今は友達でしょ、助け合わなきゃ」
と、応える。
「今は?友達?」
薫子が今は?ってと思っていながら廊下に出ると
「将来的には建築士の資格取る時にはライバルだからねー!」
ドア横から木元が声をかけて来た…お先にって言って帰ったはずなのに香山も草壁もニコニコしている。
『ああ、私本当にこの人達が好きだ』と薫子は思った。




