外伝 月子と豊の物語 その③===加筆・修正あり
外伝をご覧下さり有難うございます!
今少しお話は続きますのでお楽しみ下さいね☆
優月菜
気がつくと月窓師範の門下生となってから半年が過ぎようとしていた。
元々、豊は文字自体は整っており、職務上、細筆の扱いも他の若者よりは秀でていたのかもしれない。
平仮名は一ヶ月でものにした。
残すは辞職願の文章に関わる漢字を習得すべしと師範からもお墨付きが出た。
一文字ずつ楷書で練習を重ねていたが……。
実は、そんなある日、今の直属の上司よりも信頼の置ける、上司とエレベーターでたまたま一緒になった時、
「僕はこれから先も君と仕事をしたい。今はガマンの時だよ、森内くん。きっと僕が何とかするから、もう少し頑張って欲しい」
と言われたことがあった。
何だか、よくは分からなかったが、豊は今、辞職願を毛筆で書き上げると言う目標があったので、とりあえず、その時には
「はい、その節には宜しくお願いします」
と答えた。
そして、門下生三ヶ月目のある日、その時は突然やって来た。
そのイヤミな上司と共に銀行局総務課長の不正行為が暴かれ、糾弾され解任退官となったのだ。それに加担していたと思われる官職達も一掃された。
そして、あの時エレベーターで、声をかけてくれた上司、佐野は総務課長になった。
となると、実は、もうこの習い事は意味がないはずなのに、何故、豊は今だに修練を積んでいるのか?
それも、その解任騒ぎが起きる数日前に遡る。
九時からの大人の門下生の方に混じり、練習をさせて貰えるようになった豊。
ある日、気づくと昼も過ぎ、和室に西陽の差し込む時間が訪れていた。
月窓の妻の春子が
「森内さんったら、声を掛けても全く耳に入らなかったのよ。お腹は空いてないの?」
言われてみれば、確かに昼抜きだ。
ただ、まだその時には嫌味な上司のお陰で、昼抜きで仕事をさせられることもあり、そんな苦ではなかったのだ。
この月窓の自宅では、大人の教室は和室を使っているが普段は食事を贅沢にも樹齢五百年ものの一枚板の座卓でとる。
その食事の用意が出来なかったことを、気にした豊は、
「申し訳ございません!お昼のお時間を使わせて頂いてしまったと言うことですよね?本当にすみません!」
と、謝る。
すると月窓が言った。
「そのくらい集中出来る時は伸びる時だ。やりたいだけやらせておこうと言ったのは俺だから、いいのさ」
「有難うございます!では、片付けましたら、すぐ失礼致しますので」
「飯の用意をさせてる。ちょいと早いが夕飯食ってけよ」
「え?」
「だから、飯食ってから帰れって」
「はい!有難うございます」
そしてその後、豊の人生最大のハプニングが起こることになろうとは思いも寄らなかった。
和室の障子がきちんと閉まっているところを豊は初めて見た。そして庭先が見える、その窓の外はもう雨戸が閉まっている。
「うまっ!こんな美味しいご飯初めて食べました!」
「たんと食ってけ、また明日から嫌味な上司の相手が待ってるんだからな」
「はい!」
今、豊は一人で三杯目のご飯をおかずと共にかっこんでいた。
すると、障子がバンっと真ん中から両開きにされたかと思ったら、テニスラケットを握りしめた女子高生と思われるショートカットのスラリとした女の子がいきなり豊かに向かって叫んだ。
「怪しいヤツ!何ものだ!」
「え?え!」
続け様に問われる。
「うちの父と母はどこにおる?お主は何ゆえ、我が家で飯を食ろうておる!?」
『女子高生なのに時代もの言葉?』
豊は冷静に
「月窓師範は町内会の寄り合いに、奥様は今はお漬物を取りにお台所に行かれてますが……僕は師範の門下生で森内豊と申します。その……お嬢様はどなたですか?」
「何?門下生とな!こんな時間までおる門下生はおらぬはず!」
障子の端から、春子が出て来て彼女のおでこをピシャリと叩くと
「今、宮本武蔵とか忠臣蔵にハマっててね、森内さんごめんなさい。うちの変な娘の月子です」
「本当の門下生なの?」
「覚えてるかしら?神田精養軒・花見せんべい・梅の夜・コロンバン……」
「おぉ、その話の御仁か!」
「もう、やめなさいって、その話し方」
『手土産で覚えられてたんだ僕……』
苦笑いした豊だった。
一緒に食卓を囲む。
「結局、これが最後だったのに決勝で負けてインターハイには行けずじまい。私のテニス生活に終止符が打たれた訳。で、家に戻って来たら、知らない靴がある上に、知らない人が一人でご飯食べてたから、何ヤツ!?ってなっちゃって、すみませんでした」
「あぁ、そうですよね。こちらこそ初めましてからなのに、失礼しました。それにしても準優勝も凄い事じゃないですか!おめでとうございます」
「森内さんって、いつもそんな感じ?」
「は?」
「私みたいな歳下の女子にも、そんなに丁寧なの?」
「え?それは……どうでしょう」
官職についている人間は誰に対しても税金泥棒と呼ばれない為に丁寧に接するべきと豊は思っていた。
「面白い人」
「そうですか?月子さんも武士になり切って充分面白い方だと思いますけど」
「さっきのね!時代劇好きだからさ、ついね」
「時代劇がお好きな女子高生とは……なかなかいらっしゃらないのかと」
「じゃ、森内さんは何が好きなの?」
座卓越しだが、真っ直ぐに目を見つめられて、豊は今まで感じたことのない胸の高鳴りを感じた。
『おいおい、相手は高校生だぞ!しっかりしろ!』
「読書が好きですね。今のお勧めなら"風立ちぬ"ですかね」
「風立ちぬ?」
「知りませんか?一度読んでみたらいいと思いますよ。さて、僕はこの辺で失礼します」
「あらまだ、いいんじゃない?もう主人も帰って来ると思うし」
春子がのんびりとした調子で、お茶を啜る。
「あ、いえいえ、後片付けをさせて頂くお時間も頂かないと」
「いいのよ、後片付けなんて。男子厨房に入らずよ」
「奥様、本当に師範にも奥様にもお世話になって感謝しているんです。僕がまだ勤め先を辞めずにいられるのも、こちらに来させて頂いているお陰ですから、そのくらいはさせて下さい」
「あらあら、じゃあ運ぶの、お手伝いしてもらおうかしらね」
「あ、いえいえ、もし信用して頂けるなら、奥様はお嬢様とご一緒にいらしてください。あらかた運んだら洗い物も済ませて置きますので」
「信用はしてるけど、拭き上げもしちゃうと早いから、ご一緒していいかしら?」
「あ!そうですか?それではご一緒に宜しくお願いします」
豊と春子は、後片付けを一緒に始めた。
月子はその姿二人の姿を見て
『厨房に入る事を厭わない男子か』
と考えてながら、取り残されて一人、ご飯を頬張りながら"風立ちぬ"を読んでみようと思った。




