百五十二話 薫子の気持ちと祐希の想い
「でも……びしょ濡れのままじゃ」
祐希を無視してタイル張りの玄関に、そのまましゃがみ込む薫子。
体育座りをすると膝の上にタオルを乗せ両腕で脚を抱え込んだ。
祐希は仕方なく着替えを抱きかかえたまま、ドア近く薫子の隣に少し間を開けて腰を下ろした。
しばらく沈黙が続くも、ようやく薫子が喋り出す。
「本当にごめんなさい。私が鎌倉で琥原くんが言ってくれた事を勘違いして勝手に怒って先に帰っちゃって……」
二人の歯車がズレたのはその時から。
薫子はその事に後悔をしていた。
「それは……俺の方に責任がある」
「ううん、琥原くんは悪くない。だっていつも本当のことしか言ってなかったもん。初めてこんな気持ちになって、初めて名前覚えて、初めて自分が間違ってたって言いたくない中高生時代の話してくれて、初めてキスして……初めて自分のこと分かって欲しいって思ってくれて鎌倉に連れて行ってくれたのに……私、本当は怖かった」
「俺の話を聞くのが?怖かった?」
「違うよ」
「え?」
「あんなに待った二ヶ月だったし……髪の毛乾かしてくれた後、キスしてくれて……嬉しかったのに」
「俺が怖かったんだね」
祐希は内心、落ち込んでいた。
『やはりまだ薫子には早かったのか……』
「あのね」
「うん」
「私ね。そう言うことって結婚してからじゃないと……って思ってたから」
「……そうか。そうだよね」
「本当は怖くなって逃げ出したの」
薫子は本当の気持ちを話しながらも、その時にもこの気持ちを祐希に打ち明けていたなら、きっとこんなすれ違いにはならなかったと今なら分かっていた。
「やっぱり怖ったんだね……ごめん」
祐希は呟くとそのまま話を続ける。
「俺は初めてのキスの後、欲張りになった」
「欲張り?」
「他の誰の目にも君を映したくなかった……だから出かけるのも電車に乗せたり、待ち合わせをするのが嫌だった……自分だけ見ていて欲しくてバイクで送り迎えをしたら少しでも早く、少しでも長く一緒に居られると思って……でも、それは口実」
「口実?」
「触れたくて、でも嫌われたくなくて、でも我慢出来なくて……半袖のシャツから出てる腕を見るだけでもドキドキして……近くに居られなくて、絶対会わない為にハワイに逃げたんだ」
「逃げた?」
「そうだよ。ただのヤキモチ焼きで、俺は君に触れたくて触れたくて仕方なかった。でも、それを距離を置くことでしか我慢出来なかった。ただの大馬鹿野郎だ」
「でも二ヶ月も会わないことを選んだのは、私の事を思いやってくれたからだったんだね」
「ハワイに行く前に支度を手伝ってくれるって言われた時なんて、もう自分自身を抑えるのに必死で……でも行ったら行ったで逢いたい気持ちは募るばかりで途中で投げ出したくもなって……それでも結果は思ったより稼げて、本当は中古で買うはずだったバイクも最新タイプの後尾座席が座りやすいのにしたり……それでも結局、自分勝手なことして傷つけちゃったんだよね。ごめん」
薫子は祐希がいつまでもカコちゃんと呼ばないでいる事に急に不安になる。
「私ね、裕子さんに直希さんの方が地位も名声も財産もあるのに、どうして琥原くんがいいの?って聞かれて……」
「そんな事聞かれたんだ」
「私が……一緒にいたいのは琥原くんです。今はまだどうなるか分からなくても、これから先も一緒に歩いて行きたいんですって答えたの」
「……そう……なんだ」
隣に座っているのに祐希と距離感を感じる薫子。
「琥原くんは私の事、もうカコちゃんって呼んでくれないの?」
「え?」
意識していた訳ではないが、そう呼びかけていいのかどうか躊躇していたのは事実だった。
「講義の後、直希さんの部屋に呼ばれて三年生の意見交換会に参加する様に誘われて、その後、琥原くんが直希さんのこと兄さんって呼んだのを聞いて……初めてご兄弟だって知ったの。その後、高見沢教授が私の事、心配して下さって……。高見沢教授は古くからの稲垣光希先生のお知り合いで、そこで琥原くんのお母様とのことを伺って……その上で直希さんに対しては警戒心を持つ様に言われていたのに、それを守れなかったし……直希さんが、私に対して心を手に入れようと思ってくれてなかったら……こんな浅はかな思慮の足りない女なんて嫌だよね」
祐希は何も言わず考え込んでいる。
薫子は立ち上がると祐希の前を横切ってドアノブに手をかけた。
「今日は助けてくれて有難う。帰るね」
ドアを開けようとした時、後ろから祐希が薫子を抱きしめた。




