神戸
一刀たちが異文化の衝撃に立ち尽くしている間にも、神戸の喧騒は彼らを容赦なく飲み込んだ。
「どけ!邪魔だ!」
神戸の人々や異人たちは、立ち止まる一刀たちを避けるように、あるいは苛立ちを露わにして、彼らをあちらこちらへ押しやった。一刀たちは、慣れない環境に翻弄され、まるで潮に流される小舟のようだった。
耳に入ってくるのは、日本語、英語、ドイツ語、フランス語など、聞いたこともない多種多様な言葉の洪水だった。
意味のわからない言葉と、異人たちの強い香水やタバコの匂いに、一刀たちは頭がクラクラとしてきた。特に睡蓮は目眩がするようでクラクラしている。
そんな中、着物を着た一人の男が、鋭い目つきで一刀たちを品定めしながら、声をかけてきた。男は背が高く、神戸の商人のように見えたが、その視線は敵意を含んでいた。
「貿易かい? 見かけない顔だねえ」
男は、彼らの身なりと戸惑いの様子から、部外者だと判断したようだ。
「どこから来た。ここは、貿易の鑑札がなければ入れない場所だ」
男は、港湾の一角を指差した。そこには積み上げられた荷物や、外国船が停泊しており、明らかに重要な貿易区域であることを示していた。
「無いなら帰るんだ。ここをうろつかれては、我々も困るんでね」
「申し訳ない。人を探しているうちに迷いこんでしまって」
一刀は咄嗟に嘘をついた。商人風の男からの排除の圧力をかわそうとしていると、別の異人が、好奇心を込めた目つきで静に近づいてきた。
「モシモシ」
その異人は、たどたどしい日本語で、静に話しかけた。その男は派手な洋装に身を包み、興味津々といった様子だった。
静は、愛想笑いを浮かべ、身振り手振りを交えて、自分たちが何者であるか、なぜここにいるかを伝えようと試みた。
しかし、言葉の壁はあまりにも厚かった。静の懸命な説明は、異人には全く通じなかった。
異人は、静の可愛らしいがちぐはぐな身振りを見て、鼻で小さく笑うと、退屈したように肩をすくめ、そのまま去って行った。
この様子を見ていた睡蓮は、感心したように静に言った。
「さすが静だ。あの肝の座り方はすごい」
睡蓮は、相変わらずクラクラしている。
静が異人との接触に耐えきれないほどの動揺を抱えていることを知る由もない一刀たちは、「静は異人対応が得意」という誤った認識を持ってしまった。
それ以降、異人が話しかけてくるたびに、一刀や鞍馬、睡蓮は、反射的に静を前に押し出すようになった。
「静、頼む!」
「ああ、静さんが一番愛想がいいからな」
静は、内心で絶叫していた。
(冗談じゃない! 私、言葉なんて全然わからないのに! しかも、あいつらは、私の話も全然聞いてないじゃないの!)
しかし、使命感と、皆の期待を裏切れないという持ち前の性が、どうしても働いてしまう静であった。
静は、顔には笑顔、心の中では悲鳴を上げながら、身振り手振りと愛想笑いだけで、次々と異人たちの対応をこなしていった。彼女のストレスは、神戸に到着した瞬間から、最高潮に達していた。
次に静に話しかけてきたのは、見慣れない民族衣装を身につけた穏やかな顔立ちの異人だった。
静は、反射的に「異人対応モード」に入り、満面の笑顔を作る。一刀たちは、またしても静の素晴らしい適応力に感心していた。
「ごめんください。そちらの奥ゆかしい女性に、少しお尋ねしたいことがあるのだが」
静は、その異人が流暢な日本語を話したことに一瞬安堵したが、これまでの対応の癖と、極度の緊張により、脳内で回路がショートした。
彼女が口にした日本語は、まるで外国人観光客が話すような、独特のイントネーションになっていた。
「モシ……ワタシデ……ヨロシイデスカ? ワタシタチハ、ナニカ……オサガシデ、ココニキマシタ……ヨ」
静は、なぜか一つ一つの単語を区切って話し、語尾が妙に間延びしていた。
異人は、優しげな笑みを浮かべていたが、静の変な日本語を聞いて、きょとんとした表情になった。
「いや、なぜ? あなた、完全に日本の人に見えますが……。変なイントネーションの日本語ですね?」
一刀たちは、静の日本語が通じなかったわけではなく、日本語としておかしいとツッコミを入れられたことに気づき、面食らった。
静は、顔が真っ赤になり、とうとう愛想笑いすら維持できなくなった。彼女の心の中で、堪忍袋の緒が切れる音が響いた。
(もう、嫌だー!)
変なイントネーションを指摘され、顔を真っ赤にしていた静に、日本語を話す異人は、困ったように本題を切り出した。
「私、この先の異人館の一つに行きたいのです。道に迷ってしまいまして」
その瞬間、どこからともなく、一人の小さな女の子が現れた。まだ年端もいかないその少女は、利発そうな目をしていた。
「それなら、私がご案内致しましょう。母国語で構いませんよ」
その少女は、異人に流暢な外国語でテキパキと話しかけ始めた。異人は驚きと安堵の表情を浮かべ、すぐに少女に道案内を頼んだ。
そして、その小さな女の子は、大人である静が苦戦した異人を、あっさりと連れて行ってしまった。
一刀、松本、睡蓮の三人は、完璧な対応を見せた小さな女の子と、異人に日本語が変だと指摘された静を交互に見比べた。
彼らの瞳は、静に対して痛烈なツッコミと失望を込めたジト目になっていた。
「な、なによ! あんたたち!」
愛想笑いの通用しない世界に疲れ果て、仲間たちからジト目を向けられている一刀たちの様子を、異人を案内しながら遠ざかっていく小さな女の子は、冷めた目で見ていた。
(アイツらが、刀司……)
少女は、一刀たちが難儀に関わる者たちであることを瞬時に見抜いていた。
(ずいぶん、間抜けな面ね)
彼女は心の中でそう呟いた。
この謎の女の子の正体は、童流だった。




