15-6 ありがとう。それと、ただいま。
闘技場の入り口で佇むディースと父さんの距離は、二十メートルもない。
(バカ!! 今こんなところに来たら……っ!!)
私が動くより早く、父さんがディースに肉薄する。
ディースは状況を一瞬で判断し、反射的に体をひねって父さんの一撃を回避した。
父さんが空ぶった隙をつき、今度は私が雷魔法を叩き込む。父さんは難なく回避したが、その隙にディースがこちらへ走ってくる。
その無防備な背中を狙い、父さんが炎魔法で追撃するが、私の魔法防壁がそれを許さない。
ディースは命からがら、私の元へ転がり込むようにやってきた。
「バカ!! なんで来たの!?」
「申し訳ありません。その……思いつめた顔をされていたので……」
ディースも、まさか私と父さんが戦っているとは思っていなかったのだろう。
私は一つ息をつき、ディースに向き直る。
「……怒鳴ってごめん」
「とんでもございません」
そう言って剣を抜き、父さんと対峙するディース。
「ノワエ様、私では大魔王様の相手は務まりません。なんとか自分の身は守りますので、気にせず戦ってください」
「ええ。わかったわ」
ここからどうやって戦うか。私も、ディースも、父さんも、おそらく同じことを考えているはずだ。
でも、事態は誰も想像しなかった方向へ転がった。
「ディース、早すぎるよ……」
ルルカが闘技場にやってきた。
そして、その目の前には父さんがいる。
父さんは、勝ちを確信したかのように笑みを浮かべた。
「あがっ……」
考える暇すらなかった。
父さんはルルカの首を締め上げながら、体を易々と宙に持ち上げる。
ディースはとっさに状況を判断して躱せたけれど、ルルカにはそんな動きはできない。
持たせている水晶のおかげで魔法防壁が発動し、即死は免れている。しかし遠目からでも、防壁が悲鳴を上げているのがわかる。もう一分ともたないだろう。
「ノワエ、貴様が素直に死ぬというのなら、この女の命は助けてやろう。これ以上抵抗するというのなら……」
首をつかんでいる手が、さらに強まる。
ルルカは体をピンと伸ばし、開いた瞳は虚空を見つめている。肌から血の気が引き、空気を求めるようなかすかな音が漏れている。
口元が僅かに動く。音にはならなかったが、たしかに私を呼ぶ声が届いた。
――ダメだ、我慢できない。
「……私はどっちも選ばないわ」
「なに?」
「もういいよ、父さん。なんとか和解しようと思ったけど、なんとか今までの生活が続けられればって思ったけど……もういい。私、大魔王やる」
言葉を紡ぐたびに、手が震える。足が震える。全身が感極まっていく。
頭は冷静になれと、まだ策はあると必死に叫んでいるのに、体は目の前の敵を殺せることに喜びを覚え、本能のまま動こうとしている。
体から湧き上がる力を抑えきれず、剣を持つ手が震え、足が自然と父さんへと向かう。
泡を吹くルルカを見た瞬間、私の中で何かが外れた。
「消えろ!!」
湧き上がる力をすべて解放し、父さんとの距離を一瞬で詰める。
抑えきれない力のまま、剣を叩きつけるように水平に振るう。
父さんが条件反射で張ったであろう魔法防壁を裂く硬い手応えと、その奥の柔らかい肉を断つ感覚が、はっきりと手に伝わる。
私は迷うことなく、そのまま振り抜いた。
「――――――っ」
決着はあっけなかった。
腰から真っ二つになった父さんは、その場に崩れ落ち、ゆっくりと灰へと変わっていく。
普通、魔族は死体が残るけれど、魔王族だけは違う。死ねば、跡形もなく灰になる。
消えていく父さんと目が合う。
一瞬身構えたが、その目はもう何も映していない。すぐに灰になった。
「ルルカ!!」
膝をつき、激しく咳き込むルルカに駆け寄り、覗き込む。苦しげに咳をしているが、目は確かに私を捉えていた。
「大丈夫?」
「げほっ、ごほっ……。うん、なんとか……」
また激しく咳き込んでから、ルルカはこちらを向く。
「ノワエ様、あんまり近づいたら……また、お洋服、汚れちゃうよ?」
「バカ……何言ってるのよ。それに、汚れてもルルカが洗ってくれるでしょ」
「……それも、そだね」
弱々しく微笑んだルルカが、ゆっくりと体を起こす。首に赤い跡は残っているが、他に外傷はなさそうだ。
「本当に、よかったわ」
そう言って、無意識にルルカを抱き寄せた。
震える体を少しでも安心させるために、彼女の熱を確かめるために、優しく、でも力強く抱きしめる。
ルルカはしばらくしてから、そっと抱き返してくれた。
「ありがとう、ノワエ様。少し落ち着いたよ」
そう言ってから、ルルカはゆっくりと立ち上がる。先ほどまでの苦しげな表情は消えて、いつもの快活な笑顔が戻っていた。
「ノワエ様、軽率な行動をして、申し訳ありません」
何も言わず私たちを見守っていたディースが、深く頭を下げた。
「今回はさすがに肝を冷やしたけど……私のことが心配で駆けつけてくれたんでしょう?」
頭を下げたまま、ディースは何も言わない。
「顔を上げて」
ゆっくりと顔を上げたディースの目じりには、涙が溜まっていた。
「そもそも、私が連絡なんてしたから二人は来たのよね」
「……そういえばそうですね。ノワエ様のせいなのですから、私が謝る必要はありませんでしたね」
ディースが震える声で嫌味を言う。
でも、あの時二人に連絡していなかったら。
ディースが運よく攻撃を回避できなければ。
ルルカに渡した魔法防壁が耐えなければ。
なにか一つでも狂っていれば、誰かが欠けていた。
こうして三人とも生き残れて、本当に、良かった。
「さぁ~て。これからどうしようかしら……」
私はこの重苦しい空気を振り払うように、わざとらしく声を出しながら大きく伸びをする。
成り行きとはいえ、私は大魔王を倒した。
……いや、違う。私はあの時、確かに大魔王になることを選んだ。だから、魔界を総べるのは私の役目だ。
といっても、何も考えていないし、すぐに妙案が浮かぶわけでもない。
……結局、悩みが増えただけな気もする。
「……ノワエ様、なんかいい顔してる」
「そうかしら?」
「うん。なんか楽しそうっていうか……おもちゃを選んでる子供みたいに、わくわくしてる感じがする」
「わくわく、ねぇ……」
これから私は、魔界――いや、魔界だけじゃない、地獄や天界を巻き込んで、好きに動けるようになる。
その責任は大きいけど、考えれば考えるほど色々なやりたいことが浮かんできて、なんだか楽しくなってくる。
それに、私の傍にはディースとルルカがいる。
根拠はないけど、二人がいれば、きっと大魔王の仕事だって上手くいく。
だから、大丈夫。自信を持って進めばいい。
じわじわと右手の甲が熱くなる。そこには大魔王になった証が浮かび上がっていた。
大魔王を倒した者が大魔王になる。それがこの魔界のルールだ。
「魔界が、ノワエ様を大魔王として認めたようですね」
「そうみたいね。これで退路は完全になくなったわけか……」
不思議なもので、この紋章さえ見せれば、誰でも言うことを聞く気がしてくる。
「……ディース、ルルカ、これからが大変よ。二人には死ぬまで、今まで以上に働いてもらうわ」
「かしこまりました」
「うん……うん!」
大魔王になった以上、好き勝手やらせてもらう。
だって大魔王って、利己的で私欲をむさぼる魔族たちの王なんだし、私が好き勝手するのは当然の権利だ。
そうだ。せっかく兄姉たちもそろっているのだから、大魔王になったことを宣言しよう。どんな反応をするか……とくに姉さんの顔が楽しみだ。
「じゃあ食堂に戻りましょう。ルルカ、歩ける?」
「うん。大丈夫だよ」
ルルカはまだ少し震えているが、いつもと変わらない笑顔を作った。
その時、開きっぱなしの扉から風が吹き込み、床に散った灰をふわりと巻き上げる。まるで父さんが、跡形もなくなった体をどうにか動かそうとしているみたいに見えた。
私は、父さんのやり方は間違ってなかったと思う。
だって魔族の王だ。力で服従させて、力で統治して、力ですべてを解決するのは当然だ。
でも、それって負けたら終わりだ。
父さんは、わけのわからない状況のまま、あっけなくすべてが終わってしまった。
「……」
黙祷をささげてから歩き出すと、ディースが声をかけてきた。
「ノワエ様、食堂に行かれる前に着替えられた方が良いかと……」
見返した瞬間、胸ポケットにあしらわれていた小さなリボンが、ぽろっと地面に落ちる。
それだけじゃない。私の服は穴だらけで、血も乾いてこびりつき、元の美しさはすっかり失われていた。
「ルルカが作ってくれたお気に入りの一張羅だったんだけど……。ルルカ、また作ってくれる?」
「もちろんだよ! これからはお金の心配もなさそうだし」
「それもそうね。でも、無駄遣いは厳禁よ」
「うん。もちろん! じゃあノワエ様、予備を準備してあるから、早く行こう」
頷いて一歩踏み出したところで、私はふと足を止めた。
「あ、そうだ。その前に」
私は二人を並べて、正面に立つ。
何事かと目を丸くする二人に、いつも通りの笑顔を向けた。
「ディース、ルルカ。本当にありがとう。それと、ただいま」




