15-3 剣が振り下ろされた
薄暗くて悪趣味な廊下を、父さんと二人で歩く。
思い返してみると、父さんと二人きりで歩くなんて、これが初めてかもしれない。
そう考えるとちょっとだけ悲しくなる。一応親子なのに、一緒に歩いたことどころか、ほとんど話したこともないなんて。
父さんは地下へ続く扉を開け、何のためらいもなく階段を下りていく。
さきほどまでの禍々しい廊下とは違い、石造りの壁がむき出しで、足音だけが反響していた。
どこに向かうのか察した瞬間、体が内側からじわりと冷えていくのを感じる。
父さんが大きな鋼鉄製の扉に手を当てる。扉が淡い光を放ち、重い音を立てながらゆっくりと開く。
目の前に広がるのは闘技場だ。
地下ということを忘れそうになるほど広く、高い天井に取り付けられた明かりが白い光を落としている。
この闘技場は、壁も床も特殊な素材――衝撃を吸い込む石で作られていて、私の攻撃もほとんど遮断してしまう。
こんなところまで連れて来るなんて、よほど聞かれたくない話なのか、それとも……私が暴れてもいいように、ここを選んだのか。
一言も話さず、闘技場の中央あたりまで歩いていったところで、父さんは突然立ち止まる。
背中を向けたまま、ゆっくりと口を開いた。
「話とはアザゼルのことだ。あいつは現存する魔王族の中で最も強いが、私には遠く及ばない。このまま奴が大魔王になれば、せっかく広げた領土は奪われるだろう」
領土を奪われるだけで済めばいいけど……と思ったけど、口には出さない。
「私なりにアザゼルが弱い理由を考えていた。そして一つの結論に辿り着いた」
振り向いた父さんは、妙な自信に満ちていた。
「アザゼルが弱い理由は、お前たちがいるからではないか?」
「……は?」
あまりにも意味がわからなくて、素で返してしまう。
アザゼル兄さんが弱いのは、本人の才能や努力の問題であって、私たちは関係ない。
私の頭の上には、物理的な疑問符が浮かんでいるかもしれない。そんな馬鹿なことを考えてしまうくらい、突拍子もない話だ。
でも父さんは、私の困惑なんて気にも留めず、話を続ける。
「よく考えれば、私の兄弟はすべて死んでいる。だからこそ私は強いのだ」
「え~っと……。本来はアザゼル兄さんに集まるはずだった強さが、私たちに分散しているって言いたいの?」
「そういうことだ」
頭が痛い。
百歩譲ってその理論が正しいとして、私たちが死ぬことで「強さ的な何か」が解放されたとしても、その力は次に生まれる魔王族の子どもに行くはずだ。
アザゼル兄さんに集約される理由なんて、どこにもない。
「……で、どうするの?」
「お前たちには、ここで死んでもらう」
そうしたら誰が各地方を統治するのだろう。
アザゼル兄さんの政治手腕は高くない、というか低い方だ。仮に高かったとしても、広大な領土と野心家だらけの魔界全土を一人で統治するなんて無理だ。
「父さん、ちょっと待って、それはさすがにおかしいわよ」
「私もおかしいと思う。だが、アザゼルを強くし、統治をさらに広げる策は他にないのだ」
その、アザゼル兄さん一人で魔界を統治させる、って考えを改めろと言いたい。
まだ兄姉たちを説得して協力させる方が現実的だ。……いや、それも現実的ではないか。
父さんの案はどう考えても破綻している。けれど、どうやら本気らしい。
(さて、どうしたものか……)
頭をフル回転させて、何か打開策がないか考える。
現状、父さんは明らかに破綻した案に従って、私を殺す気だ。
父さんなりに他の策も考えたようだから、説得は無理そう。つまり、戦いは避けられない。
正面切って戦えば、私が勝つだろう。
でもそうなると、父さん――大魔王を倒した私が次の大魔王になる。
成り行きに身を任せると決めたとはいえ、その結末だけは、この期に及んでもできれば避けたい。
逃げるという手段も考えてみるが、この闘技場の出入り口は一つだけだ。
父さんも警戒しているだろうし、そこから逃げるのは至難の業だ。
空間を裂いて逃げる……というのも頭に浮かんだけど、父さんと戦いながら片手間で空間を裂くなんて芸当、到底できるはずがない。
(どうしたものかしら……?)
嫌な汗が背中を伝う。
妙案が、まったく浮かんでこない。
(……私がこのまま殺されれば、どうなる?)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
私がいなくなれば、姉さんやカーラは裏社会のことで頭を悩ませる必要がなくなる。
ヴァルハルトやコンサンシュだって、私に配慮する必要がなくなって、もっと大胆な案を進められるだろう。
ディースもルルカも……誰かが手を貸してくれれば、きっとどうにか生活できる。
悲しんでくれるとは思うけど、みんなそれを乗り越えられる。きっと大丈夫だ。
それに、こういう状況になったのは成り行き――つまり、運命が私の死を望んでいるのかもしれない。
ならば、それを受け入れてしまえばいいのではないか……。
そんな考えが、今の私には心地よかった。
ふっと力が抜けて、頭も心も真っ黒になって、何もかもがどうでもよくなっていく。
「覚悟はできたのか、ノワエ?」
「ええ。……できたわ」
「ノワエ、せっかくなら私に立ち向かってみてはどうだ? 勝てば大魔王の座を受け取れるぞ」
「遠慮しておくわ。死ぬなら、一瞬で死にたいし」
「そうか」
父さんはつまらなさそうに剣を取り出す。
その刃に映った私の顔は、とても見れたものじゃなかった。
(そういえば数日前も、こんな顔をしてたっけ)
ふと、あの夜を、ディースが傍にいてくれたことを思い出す。
「……」
あの夜だけじゃない。小さい頃から私を育ててくれたディースに何も言わずこの世を去るのは……それだけは、嫌だ。
「父さん、最後のお願い、聞いてくれる?」
「……なんだ?」
「ディースとルルカにお別れがしたい」
「……よかろう。ただ、わかっているとは思うが――他言したら、あいつらも殺すからな?」
「わかってるわよ」
私は父さんから少し離れ、水晶を使ってディースを呼び出す。ほとんど間を置かずにディースは応じてくれた。
「ノワエ様、どうなさいましたか」
映るのは、いつも通りの整った顔。
聞こえるのも、いつも通りの落ち着いた声。
そのいつも通りが、私の中で静かに響いて、目の奥がじんと熱くなる。
何か言わなきゃ。そう思って、言葉を探す。
「いや……その、いつもありがとうって」
「……何かありましたか?」
「何もないわよ。ただ……今日、食事中にメイドが消されちゃったから。あなたもいつかいなくなるのかなって。だから言えるうちに言っておこうって思ったの」
「……そうですか。ありがとうございます」
「ルルカは?」
「はいは~い。ここにいるよ」
ディースが一歩下がり、ルルカの顔が水晶いっぱいに映る。
いつも通りの、こちらまで明るくなるような元気な顔と声。
「ルルカも、いつもありがとうね」
「こっちこそありがとう! ノワエ様のお世話ができて、ルルカちゃん、ほんと~に幸せだよ」
「ふふっ。ありがとう。じゃあ、そろそろ戻るわ」
「じゃあね~」
ひらひらと手を振るルルカに笑顔を返し、通信を切ろうとしたそのとき――
「ノワエ様!」
ディースの鋭い声が響き、思わず手が止まった。
「……私は、ノワエ様とともに歩くことが、何よりの幸せです」
一気に熱いものがこみ上げてくる。でも、絶対にこぼすわけにはいかない。
こぼしてしまったら、きっと二人とも、私の身に何かあったと気付いてしまうから。
「ええ、ありがとう。ちゃんと、わかってるわ。じゃあまた後で」
今度こそ通信を切る。
力がふっと抜けて、堪えていた涙が零れ落ちた。
「ではノワエ、さらばだ。次はイレアナを送ってやろう。あの世で仲良くしろ」
背後で、父さんが大きく剣を振り上げる気配がした。
その剣から溢れ出る凶悪な魔力が、どんどんと膨れ上がっていくのを感じる。
いくら私の方が強いと言っても、無防備に受ければ真っ二つになる。
(結局、私が守りたいものって……何だったのかしら)
こんなときに何を考えているのか。自分でも呆れながら、そっと目を閉じる。
――直後、剣が振り下ろされた。




