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14-2 思わず笑いがこぼれた

「ノワエ様! ディースが、ディースが!!」


 慌てて玄関に駆けつけると、血だらけのディースがひざをついていた。


 体から流れ落ちる血が床に海を作っている。

 その海面を見つめる目はうつろで、今にも閉じてしまいそうだ。

 息を吐くたび、空気が漏れるような音がして、口から血がこぼれ落ちる。


 その体に覆いかぶさるように抱きついたルルカが、震えながら必死にディースの名前を呼んでいた。



 ――私の従者を傷づけるなんて――



 胸の奥底からどす黒い怒りがせり上がり、私を塗りつぶしていく。

 私という存在が内側から崩れていく恐怖すら、今は心地いい。


 ――この罪深い行為を、償わせなければならない。


「ノワエ!!」


 ヴァルハルトの拳が視界に飛び込んだ瞬間、世界が大きく揺れた。


「回復を優先しろ!!」


 痛みと衝撃で視界がにじむ。

 だが、そのおかげで冷静さが戻る。


 ヴァルハルトの言う通り、今はディースを救うときだ。


 私は膝をつき、ディースの治療に意識を集中した。


 彼女の体は、見るだけでこちらが痛くなるほど、傷だらけだった。

 いたるところから血が噴き出しているが、特にひどいのは、腹部を貫かれて大きく開いた傷口だ。


 とにかく止血が最優先だ。魔力を込めて、傷口を一気に塞ぐ。


 少し眩しい光がディースを包み込み、傷口をふさいでいく。


「……おっと」


 急激な変化に体が耐えられなかったのか、それとも傷が癒えて安心したのか――

 力の抜けたディースの体を、私はそのまま受け止める。


「ノワエ様! ディースは大丈夫なの!?」

「ええ。ちゃんと傷は治したし、息もしてるから大丈夫よ」

「よかったぁ……」


 ルルカの目から涙がぽろぽろと零れ落ちる。


「ルルカは怪我してないの?」

「うん、怪我はないよ。捕まったけど、これのお陰で大丈夫だったの」


 ルルカが専用の防壁魔法を施した水晶を取り出す。

 何度も攻撃を受けたのだろう、水晶に込めていた魔力はほとんど残っていなかった。


「それに……途中からディースに攻撃が集中したから」


 自分の代わりに切り刻まれるディースを、ただ見ているしかなかったのだろう。

 その声には、やるせなさが滲んでいた。


「ならこれからはルルカの出番ね。ディースを部屋に連れて行くから、先導をお願い」

「うん、わかった」


 ディースを抱きかかえ、二階の部屋へ向かう。


 部屋は、いつものように静かに主を待っていた。

 整えられた机も、窓辺に置かれた小さな観葉植物も、何ひとつ乱れていない。

 でも、その整った静けさの奥に、かすかなざわめきが潜んでいる気がした。


 ディースをベッドに寝かせる。


 治癒は済んでいるのに、まだ痛みが体のどこかに残っているのだろうか。

 まぶたは震え、意識の底に沈んだまま戻ってくる気配はない。

 額には細かな汗がびっしりと浮かび、こめかみを伝いゆっくりと流れ落ちていく。


 不規則な呼吸が、どれほど無理をしたのかを物語っていた。


「ルルカ、思い出させて悪いけど、どんな状況だったか説明してくれる?」

「う、うん」


 ルルカは、震えた声で話し始めた。


 魔法防壁を抜けて五分ほど歩いたところで、ルルカが罠にかかって捕まったこと。

 ルルカを助けるために、ディースが無理をして敵に突っ込み、大けがを負ったこと。

 数でも押され、防戦一方のまま、どうにか魔法防壁の中へ逃げ帰ったこと。


 見たことを素直に伝えてくれたから、二人の身に何が起こったのか、ちゃんと理解できた。


「……あのディースが気配を感じねぇって、相当ヤバい手練れじゃん」

「そうね……」


 試しに探知魔法を展開する。

 森の中に五人ほどの魔族が散らばっている。その気配は蟻のように小さい。

 動きがないところを見ると、それぞれ誰かに報告をしているのかもしれない。


「今から追いかけて、始末しておこうかしら?」

「やめとけやめとけ。素性どころか、お前の強さまでバレちまうじゃん」

「そうね。私の強さが父さんにバレたら……どう動くか想像もつかないわ」

「だな」


 ヴァルハルトが肩をすくめる。


 その時、かすれた声で私を呼ぶ声が聞こえた。


 振り向くと、ディースがゆっくりと上半身を起こし、ぼんやりと私を見ていた。


「ここにいるわよ。大丈夫?」


 手を握ると、弱いながらも、しっかりと握り返してくれた。


「……ノワエ様、申し訳ありません。共振剣も光の魔法も使った上に、敵も撒けず……無様に魔法防壁の中に逃げ込みました」

「なに言ってるのよ。二人が帰ってきてくれて何よりよ」


 そう言って、ディースをそっと寝かせる。


「もう少し回復したら、詳細を教えてちょうだい。急いでないから、絶対に無理しないでね」

「かしこまりました。お心遣い、ありがとうございます」


 ディースは素直に目を閉じる。


 その瞬間、枕元のクマのぬいぐるみが揺れて向きを変え、ディースを覗き込むような態勢になる。

 ふと、今はこのぬいぐるみが部屋の代表者なのかもしれない、と思った。


「じゃあルルカ、看病をお願いしていい?」

「うん、わかった」

「ルルカ……手間をかけます。小一時間もすれば元に戻ると思いますので」

「気にしないで。今度はルルカちゃんが頑張る番だから」


 それを聞いて、ディースは少し微笑んでから眠りについた。


 ルルカにあとを任せ、ヴァルハルトと応接室に戻る。


「ノワエ。さっきは殴っちまって、わりぃな」

「そんなことないわ。あんたが殴ってくれなかったら、私、飛び出していたわ」


 いつの間にか、私にとって二人は我を忘れてしまうほど大きな存在になっていたらしい。


「てか、あんた。あの状況でよく冷静でいられたわね。さすが閻魔ってところかしら」

「いや俺もさ、目の前の光景がわけわかんなくてよ。ほぼ放心してたわ。でも、お前を止めねーとヤベェって思って、気付いたら手ぇ出てた」


 ヴァルハルトも、ディースがあんな大怪我をして帰ってくるなんて思いもしなかったのだろう。

 いつものヘラヘラした顔の向こうに、かすかな驚きがにじんでいた。


「いや、こんなこと言うのもアレなんだけどよ……アイツ、よく生きてたな、マジで」

「同感よ。お腹にあんな大きな穴が空いたら、普通は即死よ」


 ディースの傷を思い出すだけで、私まで体が痛くなってくる。とくにお腹を貫通していたあの傷は、目に焼き付いて離れない。


「いや~……。ディースが天使だとバレて、事態がよりヤバくなっちまったよなぁ~、マジで」


 ヴァルハルトは椅子に深く腰掛けて足を組み、どうしたものかと天井を見上げる。


「そんな魔界唯一の天使と住んでるお前なんて、バカが考えても魔王族だろ」

「そうね。その上、この館の位置もバレたでしょうね。ま、私の魔法防壁そう簡単に突破されることはないでしょうけど……」

「猶予、ガチでなくなったかもな~こりゃ。協会の案に乗っかるかぁ~?」


 ヴァルハルトが、本当に嫌そうな顔でつぶやいた。


 長い沈黙が下りる。


(……今の私って、何ができるのかしら?)


 心の中で、自分にそう問いかける。


 常に監視されていて、自分で動くことも、誰かに頼ることもできない。

 力を使えば、今度は私の本当の強さまで知られてしまう。


 状況を整理すればするほど、逃げ道がどんどん塞がっていくのがわかった。


「さぁ~て。どうしたものかしら」


 投げやりにそう呟いて、私も天井を見上げる。

 もうどうにもならない気がしてきて、思わず笑いがこぼれた。


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