はじめまして
翌朝。
ユイは目覚ましが鳴るより少し早く目を覚ました。
「……ん」
薄暗い天井を眺める。
まだ眠い。
けれど、いつもとは少しだけ違う。
布団の中でスマートフォンを探す。
画面をつける。
通知は特にない。
時刻は午前六時四十二分。
「……今日だ」
ぽつりと呟いた。
昨日、注文した。
人工生命体。
シフォン。
名前までつけた。
けれど、購入したという実感はあまりなかった。
ウェブサイトでキャラクターを作って、ボタンを押した。
それだけ。
そう思っていた。
けれど今日は違う。
今日、実際に来る。
「……どうしよう」
ユイは布団の中で丸くなった。
緊張している。
楽しみでもある。
でも、少し怖い。
「会話……ちゃんとできるのかな」
当たり前のことを考える。
商品説明には、自然な言語コミュニケーションが可能と書かれていた。
個体ごとに性格があり、自律的な判断も行う。
自分で作った性格設定が、実際にはどんなふうに表れるのか。
想像してみる。
活発で。
おしゃべりで。
少し甘えん坊で。
帰ってきたら喜んでくれる。
――そんな子。
「……楽しみ」
今度は、はっきり口にした。
大学に行く頃になっても、少しそわそわしていた。
講義中も、スマートフォンを何度も確認する。
友人に話しかけられても、
「え? あ、ごめん。何?」
と、少し上の空だった。
「ユイ、今日なんか変じゃない?」
「そう?」
「うん。なんかニヤニヤしてる」
「してないし」
「してるよ」
「してないって」
笑いながら否定する。
けれど自分でも分かっていた。
今日は、早く帰りたい。
いつもの大学生活が、妙に遠く感じた。
講義が終わる。
友人から、
「今日このあと、ご飯行く?」
と誘われた。
ユイは少し迷ってから、
「ごめん。今日ちょっと用事あるんだ」
と答えた。
「そっか。また今度ね」
「うん」
駅へ向かう。
電車に乗る。
いつもなら長く感じる帰り道が、今日は短かった。
自宅の最寄り駅に着く。
スマートフォンを見る。
配送通知。
午後四時三十二分。
現在、四時二十五分。
「もう来るじゃん」
ユイは思わず足を速めた。
マンションのエントランスに入ったところで、スマートフォンが鳴った。
配送業者からの通知。
『お荷物をお届けしました』
「……え」
ユイは一瞬、立ち止まった。
もう届いた。
エレベーターに飛び込む。
階数ボタンを押す。
数字が上がっていく。
三。
四。
五。
「……」
胸が、妙にうるさい。
六。
七。
到着。
ユイは廊下を走った。
自分の部屋の前。
そこに、大きな箱が置かれていた。
白い箱だった。
かなり大きい。
側面に、
SOWA TECHNO
のロゴ。
そして小さく、
PERSONAL LIFE PARTNER
と印字されている。
「……これ」
本当に届いた。
ユイはしばらく箱を眺めていた。
昨日まで画面の中にいたものが、今、自分の目の前にある。
十五万円。
これを自分は買った。
――人を。
……いや。
人間じゃない。
でも。
箱を開けるのが、なんとなく怖かった。
それでも鍵を開けた。
部屋に運び込む。
床に箱を置く。
説明書を取り出す。
起動準備。
電源。
接続。
本人認証。
基本設定。
最後に、
『個体の起動準備が完了しました』
と表示された。
「……」
ユイは息を呑んだ。
箱の中。
専用の保護材に包まれた少女が横たわっている。
薄いグレーの毛並み。
長いピンク色の髪。
二つにまとめられたツインテール。
そして。
大きな獣耳。
丸い顔。
閉じた瞼。
小さく上下する胸。
それは機械のようには見えなかった。
あまりにも、生き物だった。
「……シフォン」
名前を呼ぶ。
当然、反応はない。
まだ起動していない。
ユイは一度だけ深呼吸した。
そして、起動ボタンを押す。
短い電子音。
保護材の内部で、小さな耳が動いた。
「……え?」
もう一度。
耳が動く。
まぶたが震える。
ユイは固まった。
ゆっくりと。
桃色の瞳が開いた。
「…………」
二人の視線がぶつかった。
シフォンは、何も言わなかった。
ただ、ユイを見ている。
数秒。
本当に数秒の沈黙。
そして。
「……ユイ?」
声がした。
「…………うん」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
シフォンは少しだけ首を傾げる。
「ユイ、お姉ちゃん?」
「……そう」
「そっか」
シフォンは目を細めた。
そして。
にっこり笑った。
「はじめまして!」
その瞬間。
ユイの胸の奥で、何かが跳ねた。
「……はじめまして」
「えへへ」
シフォンは笑って起き上がる。
長い尻尾が、布団の中からぴょこんと出てきた。
それが嬉しそうに左右へ揺れている。
ユイは、思わず手を伸ばした。
「触って……いい?」
「もちろん!」
耳に触れる。
ふわ。
「……柔らか」
「くすぐったいよー」
「ご、ごめん」
手を引っ込める。
シフォンは笑った。
「お姉ちゃん、緊張してる?」
「……してる」
「私も!」
「シフォンも?」
「うん」
シフォンは少し照れたように笑った。
「だって、今日初めて会ったんだもん」
「……」
ユイはその言葉を聞いて、少しだけ目を丸くした。
初めて。
そうだ。
この子も「初めて会う」ということを理解している。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「私、シフォンって名前なんだよね?」
「うん」
「お姉ちゃんがつけてくれたの?」
「……そう」
「じゃあ、私の名前って、お姉ちゃんが決めてくれたんだ」
「うん」
「嬉しい」
シフォンが笑う。
「ありがとう、お姉ちゃん」
ユイは、何も言えなくなった。
それから。
シフォンは箱の外へ出た。
裸足で床を踏む。
尻尾がゆらゆら揺れている。
部屋の中を見回す。
「ここがお姉ちゃんのお家?」
「うん。一人暮らしだから、そんなに広くないけど」
「へえー!」
シフォンは窓へ向かう。
外を見る。
「高い!」
「七階だからね」
「お姉ちゃん、ここでずっと一人だったの?」
「……まあ」
「へえ」
シフォンは振り返る。
「じゃあ、今日から二人だね」
「……」
ユイは、その言葉に返事ができなかった。
二人。
その言葉が。
妙に嬉しかった。
夕飯の時間になる。
ユイが冷蔵庫を開ける。
「何食べようかな」
「お姉ちゃん、何好き?」
「え?」
「ご飯。好きなの」
「……うーん」
ユイは考える。
「特に決まってないかな」
「じゃあ、私がお姉ちゃんの好きなもの探す!」
「どうやって?」
「いっぱい食べれば分かる!」
「それ、私が太るやつじゃん」
「あはは!」
笑い声。
いつ以来だろう。
家の中でこんなふうに笑ったのは。
結局、その日はコンビニへ行った。
「お姉ちゃん、これなに?」
「から揚げ棒」
「からあげ!」
「食べてみる?」
「食べたい!」
シフォンが一口かじる。
「……!」
目が輝いた。
「おいしい!」
「そんなに?」
「うん!」
尻尾が激しく揺れる。
「これ好き!」
「じゃあ、覚えとく」
「ほんと?」
「うん」
「やった!」
シフォンは嬉しそうに笑った。
夜。
ユイは自分のベッドを見た。
いつもなら、一人で寝る。
でも。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「今日、一緒に寝てもいい?」
「……え?」
「ダメ?」
シフォンが少しだけ耳を伏せる。
ユイは慌てて首を振った。
「いや、ダメじゃないよ」
「ほんと?」
「うん」
「やった!」
シフォンがベッドへ飛び込む。
少し狭い。
でも。
不思議と嫌ではなかった。
電気を消す。
暗闇。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「今日は楽しかった」
「……私も」
「明日も一緒?」
「うん」
「そっか」
少し間を置いて。
「おやすみ、お姉ちゃん」
「おやすみ、シフォン」
静かになる。
ユイは目を閉じた。
隣から、小さな寝息が聞こえる。
いつもは何もない部屋だった。
静かで。
少し寂しかった。
それなのに今日は。
誰かがいる。
「……」
ユイは、薄暗い天井を見上げた。
昨日まで。
ここには自分しかいなかった。
でも今日から。
もう一人いる。
ユイは、少しだけ笑った。
そして。
初めて「ただいま」と「おかえり」が、同じ家の中に生まれた。




