第97話『蠢く影、失われる日常』
――数日が過ぎた。
戦火の残り香がようやく消えつつある砦跡で、俺たちはひとときの安らぎを得ていた。
しかし、心の奥底には、未だ癒えぬ痛みが巣くっていた。
それでも、生きるしかなかった。
生きて、歩くしかなかった。
◆
「ヨシオ、手伝ってくれてありがとう」
エリュが魔道具の修理作業をしていた。
砦の裏手、森の近くのテントで、器用に工具を使っている。
「珍しいな、こういう作業するの。研究職って、細かいことは助手任せだと思ってた」
「そうだったけど……仲間を失った今、誰かに任せきりにしてはいけないって、思い知らされたから」
エリュは静かに言った。
彼女の横顔に、かつての勝ち気な表情はなかった。
「……私、リオナとルシェが……怖かったの。戦えるのに、自分は何もできないって思ってた。だから、黙ってた。でも、あんな結末になるなら……」
俺はそっとエリュの手に触れた。
「責任なんて、全部背負わなくていい。お前はお前のやり方で、仲間を守ろうとしてる」
「……そう、かな」
「そうに決まってる。エリュの魔法がなかったら、リリィも俺も生きてない」
エリュは、微かに笑った。
「ありがとう……ヨシオ」
◆
その夜。
俺とリリィ、エリュ、ウケールの四人は焚き火を囲んでいた。
簡素な食事。笑い話。短い静けさ。
「なあ、ウケール」
「ん?」
「お前、剣を研ぐときって、何考えてる?」
「……ルシェの悪口」
「……は?」
「アイツ、“私のほうが剣が速い”とか、偉そうに言ってたからな」
皆がふっと笑った。
「ルシェって、本当に……憎めないヤツだったよね」
「そうだな……」
リリィがうつむき、俺の隣に寄り添ってきた。
「ねえ、ヨシオ」
「ん?」
「今夜は、もう少しだけ、傍にいてもいい……?」
「もちろん」
彼女はそっと俺の肩に頭を預ける。
手のひらが、そっと重なった。
◆
だが、その静寂は続かなかった。
エリュが、焚き火から少し離れた場所で、何かに気づいたように立ち上がる。
「……ヨシオ。何か来る」
「!?」
俺たちは一斉に構えた。
だが、そこにいたのは――
「……誰、だ?」
影の中から現れたのは、一人のフードの男。
だがその背後に――“浮いていた”。
黒く、紅い、眼。
いや、“眼だけ”が、空に浮かんでいた。
「久しいな、田中ヨシオ。お前の力は、まだ熟していない」
声は男からではなかった。
頭の中に直接響いてきた。
「こいつ……何者だ?」
「わからない……けど、ただの敵じゃない」
「リリィ、エリュ、後ろへ!」
俺が叫んだその瞬間、影は地面に溶けた。
そして次の瞬間――
「……っ!?」
エリュの体が、宙に浮かんでいた。
「う……く……ッ!」
彼女の首元に、黒い触手のようなものが巻きつく。
「エリュ!!」
俺は駆け出し、剣を抜いた。
だが、黒い影は彼女を連れたまま、闇のなかへと消え――
その場から、跡形もなく消え去った。
「う、うそ……エリュが……!?」
「くそっ!また守れなかったのか……!」
地面に、拳を打ちつけた俺の掌から、血がにじむ。
◆
静かな夜は、再び終わった。
わずかに手に入れた平穏は、ほんの夢幻のように消えてしまった。
だが、俺たちは誓ったはずだった。
「もう、誰も死なせない」と。
その誓いを守るために――
エリュを、必ず取り戻す。
それが、仲間を失った俺たちの新たな使命だった。
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