第19話
「申し出は大変有り難いですが、お断りさせてください」
「……なぜ」
団長とイズルさんの目が驚愕に見開かれ、わたしは申し訳なさに身がすくんだ。それでも伝えるべきことはきちんと伝えておきたくて、わたしはぎこちなく笑った。
「申し出は本当に有り難いですし、嬉しいです。心から感謝します。……でも、もういいんです。王宮楽団のことは」
「ジルテさんの、昔からの夢だったのだろう。君は真面目だからサーカスへの義理や我々の負担を気にしているのかもしれないが、そんなことを考える必要は一切ないんだよ」
「そうですね、昔からあそこに行くのが夢でした。推薦試験を受けられなかったときは、正直気が狂うかと思ったくらいには。けど、今は違うんです。今は、ここでたくさんのお客様に『楽しかった』って言ってもらうのが目標で、夢です。ですから、王宮楽団の件はお断りさせてください」
「……」
「色んな出会いがあって、色んなことがありました。今のわたしは、ここで歌いたいから歌っているんです。王宮楽団に行けなかったから、ではなく。自分の意思で、ここにいるんです」
だから、すみません。わたしは再び頭を下げた。叱責か罵声が飛んでくることも覚悟したけれど、そのどちらも浴びせかけられることはなかった。代わりに降ってきたのは、初めて耳にする団長の震え声だった。
「私は……君を見くびっていたようだ……」
「は、はあ……」
予想外の言葉に、わたしは間の抜けた声を漏らした。団長は眉間に手を当て、深くうなだれている。それから長く息を吐き、彼はなぜか自嘲するように笑った。
「そうか、君は……王宮に行く意思はないんだね」
「はい。すみません、せっかくの心遣いを無駄にしてしまって。推薦を申し出て下さった楽団員の方に、直接お会いしてお断りした方がいいでしょうか」
「それは大丈夫。僕から話しておきますよ」
「ありがとうございます」
「うん。まさか、断られるとは思わなかったです」
イズルさんが、なんとも言えない顔で笑った。
「そうか、ジルテさんはここが好きなんですね」
「はい。とても」
はっきりと頷く。わたしの顔をしばらく見つめてから、団長がちょっと疲れた様子では立ち上がった。
「私はこれで失礼するよ。仕事を片付けなければ。サクはどうする?」
「僕はもう少し、ジルテさんと話がしてみたいですね。もちろん彼女がよければですが」
「わたしは構いません。お昼から予定があるので、あまり長い時間はお相手できませんが」
「そうか。じゃあサク、帰り際には声をかけてくれ」
「わかったよ」
軽く手を振り去って行く団長をイズルさんと二人で見送る。美しい紳士の後ろ姿が完全に見えなくなったところで、正面に座っていた人が突然深いため息をついた。
「ど、どうかなさいましたか?」
「どうもこうもないよ……」
不機嫌と落胆を隠そうともしない声音。ついさっきまでにこやかだった人の突然の変貌に、わたしは思わず身を引いた。そんなわたしの態度に気がついたのか、彼はおざなりに「すまない」と呟いた。
「きみがなにかしたわけではないですよ。いや、『した』というか、そもそもきみがいること自体が問題であるというか……」
「……はあ」
今日初めて会った人物に、突然自分の存在自体を貶されるとこういう気持ちになるのか。新たな知見を得た。返事の声に少しの敵意が混じってしまったのは仕方がないと思う。いつでも大声で叫びながら逃げ出せるように準備をしながら、わたしは彼の様子をじっと窺った。
「そんなに警戒しないでください。別にきみをどうこうしようとは思っていないですから」
「そうですか」
「信用できませんって態度ですね。いや、当たり前か。今のは僕が悪かった。ひとまずこれで怪しい者じゃないことは信じてもらえないですか」
そう言って彼が差し出してきたのは名刺だった。裏側に王家の紋章が刷られている。団長と既知の仲でかつ本当に王宮勤めの役人さんなのだとしたら、今すぐわたしを秘密裏に始末したり拘束して連れて行ったりはしないだろう。たぶん。
「ちょ、頂戴致します」
受け取った名刺には、彼の名前と『稀人保護観察官』という聞いたことのない種類の肩書きが書かれていた。
「失礼ですが『稀人保護監察官』とは?」
「星の子どもを始めとした特異体質を持つ人間の保護と観察、場合によっては生活の支援を行う役目です」
「なるほど……?」
「僕の場合はノアさんの監視です」
「憲兵呼びますよ」
眦をつり上げたわたしを見て、イズルさんは理解ができないといった表情で首を傾げた。
「彼が何年生きているか知らないのですか」
「……」
「彼は歴史の生き字引で、時間の番人で、終わりを持たない子どもです。そんな人を、国が放っておくはずがない。他の星の子どもだって、特別長く生きている者にはそれぞれ王宮から派遣された監視役がいるんですよ」
「ノア先輩はその事を……」
「当然知っています。定期的に会って面談もしていますよ。その役目を担っているのはわたしと別の人物ですが」
どういうことだ。怒濤の情報に頭が追いつかず、わたしはただただ瞬きを繰り返すだけだった。王家紋章──偽造すれば死罪は免れない──を使った名刺を持っていたし、なによりノア先輩の秘密を知っていたのだ。彼の言っていることは、恐らく真実なのだろう。監視役のことだって、冷静に考えればそうおかしな話ではない。誰だって、異質な者は怖いし監視して管理したくなるだろう。それが、国の秩序を司る組織ならば尚更。
「どうして、それをわたしに……」
「この雪が彼の精神に関係しているからです」
それはそうだろう、とわたしは小首を傾げた。何ヶ月もおかしな天気が続けば、誰だって多少の不安は覚えるはずだ。いつ止むともわからないのだから。そう言うと、イズルさんは腹立たしげに眉根をぎゅっと寄せた。
「そうじゃない。彼の心が、この雪を降らせている可能性が高いのです」
「……はい?」
「にわかには信じがたいでしょうが、七十年前にたしかに起きたのです。彼が雪を降らせる光景を。その時は、一晩程度でなんとか収まりましたが」
「そんな」
「彼はきみと引き離されることを恐れている。その恐怖が、この雪を呼んでいるのです」
イズルさんは苦しげに顔をしかめ、呻くようにそう言った。困惑でなにも言えないわたしを見て、彼は深いため息と共に顔を両手で覆う。指の間から、再び「すみません」とくぐもった呟きが漏れ出した。
「きみの方から明るいお別れでも提供すればあるいはと思っていましたが、きみに王宮へ行く気はないんでしょう」
「ええ」
わたしはちょっとムッとして答えた。一緒にいるもいないも、わたしとノア先輩が決めることだ。それを見知らぬ他人が勝手に取り仕切ろうとしていたことに、言い様のない不快感を覚える。
「そもそも『引き離されることを恐れている』ってなんなんですか。一体誰に、なんで引き離されるって言うんです」
「それをきみに知られたら終わりです」
ぞっとするほど低い声に、わたしは内心たじろぐ。意地でも表には出さなかったけれど、依然項垂れたままの彼にはただならぬ迫力があった。
「例えばですが……わたしがあなたの考えとやらに協力する為に『やっぱり王宮に行く』と言い出したらどうなるのですか」
「無駄でしょうね。彼は恐ろしいほどに聡い。きみが本心から王宮に行くわけじゃないと簡単に見破るでしょう。その裏に僕達がいることも。そうなれば、もう取り返しがつきません」
東屋に気まずい沈黙が漂う。イズルさんは憔悴して言葉がなかなか出てこない様子だったし、わたしはわからないことの多さと困惑で言うべき言葉を見つけられないままだった。屋根から雪の滑り落ちる音が遠くに聞こえてくる。何十分にも感じる数秒の後、イズルさんが絞り出すように口を開いた。
「彼と距離を置いて下さい」
「はい……?」
イズルさんは突然立ち上がり、わたしに向かって深々と頭を下げた。
「お願いです、ヨルドリヒカ・ジルテさん。彼から離れて下さい。長い長い人生の中、数多く得る『友人』の一人でいて下さい。彼を救うにはそれしかないのです」




