第12話
春の名残は消え去り、夏と呼ばれる時期になったのにも関わらず、その日は雪が降っていた。今日は、というか、ここ数日ずっと雪が降っていた。水分の多い雪は綺麗に降り積もったりはしないで、街の石畳を黒っぽく濡らしている。とんでもなく季節外れな雪だけど、街はそれほど混乱していなかった。春の頃からずっとおかしな天気が続いているのだ、いい加減慣れてくる。雪で滑る道と衣替えに四苦八苦しながらも、人々はいつも通りの生活を続けている。
「せっかくのお出かけなのに、生憎のお天気ですね」
「困るよね。足下滑るし、傘は邪魔だし」
「そうっすねー」
王都に行く約束をしてから、約二週間。わたしとノア先輩、それからセトアの三人は、約束通り王都に遊びに来ていた。
「あたし、本当に来てよかったんですか?」
「いいに決まってるじゃない。わたしはセトアとお出かけできて嬉しいですよ。……セトアは嫌だった?」
「そんなわけないじゃん。あたしだって、ヨルちゃんと出かけるのはすっごく嬉しいっすよ。でも、ね?」
苦笑いのセトアが、ノア先輩を横目で睨んだ。しゅんと背を丸めるノア先輩を見て、わたしは思わず笑ってしまう。擁護して差し上げたいけれど、セトアがここにいる経緯が経緯だから、助けることはできないのである。
最初の話では、王都に行くのはわたしとノア先輩の二人だった。そこにセトアが加わることになったのは、つい昨日のこと。三人で一緒に夕食を食べている最中に、突然先輩が言い出したことだった。
「王都なんだけどさ、セトアも一緒でいい?」
「はあ……」
予想だにしていなかった提案に、わたしは不明瞭な返事を返すことしかできなかった。もちろん、セトアが来ることに嫌な気持ちは少しもない。ただ、不思議だった。ノア先輩もセトアも、こんな直前になって事前の取り決めを(それが悪いことではなくても)覆すような性格ではない。隣に座るセトアを見上げて、わたしは首を傾げた。
「わたしはもちろん構いませんが、セトアはいいんですか?」
「うん。まあ、あたしも王都に行く用事はあるから」
口ではそう言いながらも、セトアはどこか釈然としない表情だった。どういうことなのだろう。
「セトア。事情は知らないけど、嫌なら嫌って言っていいんですよ。セトアとお出かけするのは楽しそうだけど、また今度でもいいんですからね?」
「それはどっちかというとあたしの台詞なんすけどね……」
セトアの青い目が、ノア先輩のことを半眼で睨む。怒っているというよりは、呆れている表情だった。大きなため息をついて、彼女はほんの少し眉を下げた。
「この人ね、二人だと緊張するんだって」
「ん、んー……?」
「師匠は、ヨルちゃんみたいな可愛い女の子と二人で出かけるのは緊張するから、あたしにも来てほしいんだって」
「おいセトア、そこまで言ってないだろ! 発言をねつ造するなよぅ!」
「え、師匠はヨルちゃんのことを可愛いと思ってないんすか?」
「そうは言ってないじゃん! 俺だけだと女の子の服のこととかはわからないから、セトアにも来てほしいんだよ」
「どーだか」
本当にこの師弟は仲がいいな。テンポのよいやりとりを眺めながら、わたしは場違いにも和んでしまった。職務上はノア先輩が上司に当たるようだけど、二人はそれをあまり意識していないようだ。年功序列の厳しい音楽学校にいた身からすると、珍しい距離感である。でも素敵だ。少し羨ましくなるくらいに。
どうやらセトアにやり込められてしまったらしいノア先輩が、機嫌の悪い猫のように唸る。その悔しそうな顔にいたずら心が湧き上がってしまって、わたしはわざと意地の悪い笑みを唇に乗せた。
「ノア先輩、女の子と二人で遊びに行くのは緊張するんですね」
「やめて……」
「大変お可愛らしくていいと思います」
「やめてぇ……」
ノア先輩は耳まで赤くして、テーブルに突っ伏してしまった。わたしとセトアと顔を見合わせ、同時に声を上げて笑った。
そういうわけで、今日の外出は三人なのだ。わたしはノア先輩もセトアも好きだから一緒に出かけられるのは嬉しい。セトアは表面上不満そうな顔をしているけれど、あれはノア先輩をからかいたいからわざと表情を作っているだけだ。先輩はちょっとばつが悪そうだけど(自業自得だしね)、それでも楽しそうに笑っている。
二人でも、三人でも、友達と出かけるのが楽しいことに変わりはない。と、わたしは思う。
「たしかに、わたしの洋服を買うならセトアがいてくれたほがいいのは事実ですけどね」
「婦人服に男女二人で入るのはちょっとね。難易度高いっすよね」
「だろ。……そういえば、ヨルが今着てる外套ってどうしたの?」
「レダさんが貸してくださいました」
「道理で大きさが合ってないわけだ」
長身のレダさんに対して、わたしは平均的な女性よりもやや小柄な体躯をしている。だから彼女の服を借りると、どうしても「着られている」感が否めない。袖は余っているし、裾なんて膝まである。みっともないのはわかっているけれど、わたしが服を借りられる相手なんて、セトアかレダさんしかいないのだ。そして、セトアはレダさんより更に身長が高い。
「てるてる坊主みたい……」
「それ以上言ったら怒ります」
「ごめんて。早めに買い物しちゃおっか」
「わたしが買うのは……外套と、靴と、服ですね」
「先に外套買っちゃったほうがいいよね。セトアはなに買うんだっけ?」
「新しい靴と布っすね。急ぎじゃないから、先にヨルちゃんの外套買いに行きましょう」
「そうだね。行こっか」
嬉しそうな顔をしたノア先輩が、軽い足取りで駆け出した。穏やかな風が吹き抜けていって、結わずに下ろしたわたしの髪を緩く掻き上げる。先輩は少し先でくるりと振り返り、元気よく右手を振った。
「二人ともー! はやくー!」
わたしとセトアは顔を見合わせ、一緒に走り出した。セトアが「もう、仕方ないなあ」みたいな顔をしていたものだから、わたしは内心噴き出してしまった。セトアは知らないけれど、ノア先輩は八百七十歳のお爺ちゃんなのだ。それなのに、何百歳も年下の女の子に姉のような顔をさせている。
わたし達が追いつくと、ノア先輩は「んふふ」と変な含み笑いをした。数ヶ月前、夜間に部屋から連れ出されたときのことを思い出す浮かれ加減だった。黒い傘が、先輩の歩みに合せてぴょこぴょこと陽気に揺れている。おまけに鼻歌まで歌い出した。
その明るい旋律に聞き覚えがあって、わたしは小首を傾げる。ノア先輩がどこかで歌っていたんだっけ……。いや、違う。
「ノア先輩、その歌」
「ん?」
「団長がよく歌っていらっしゃるのと同じ歌ですね」
それはわたしがステライールにやってきた日、団長室で聞いたのと同じ旋律だった。今にも踊りだしそうな程陽気な円舞曲。血の繋がりがないとノア先輩は言っていたけれど、やはり兄弟だから、同じ歌を聞いて育ってきたのだろうか。
「よくわかったね」
「ノア先輩と団長の歌う声が似ていたので思い出せました。兄弟でお気に入りの曲なんですね」
赤い髪が小さく頷いて、うれしそうにはにかむ。内緒話をする少女のような表情を浮かべると、先輩は少し声を潜めて言った。
「兄さんって、ステライールを作る前は別のサーカスで道化師をしてたんだ」
聞いたことのなかった情報に、わたしとセトアは首を傾げた。
「はじめて知りました」
「あたしも初耳っす」
ノア先輩が黒い傘をくるりと回した。吹き飛ばされた雪は空中で霧状に変化し、空気の中に溶けていく。彼はブーツのつま先を眺めながら、過去を懐かしむようにゆっくりと言葉を紡いだ。
団長──テナー・アステラは、十四歳から二十一歳まで隣国に拠点を置く移動サーカスで道化師をしていたのだという。わたしでも知っているような有名どころの名前がでてきて、思わず目を見張ってしまう。知りませんでしたと再び正直に白状すると、「芸名を使ってたから無理ないよ」と先輩は首を振った。
「時々帰ってくる度に、兄さんに芸を見せてって頼んだっけ。きっと疲れていただろうに、ねだると必ずやってくれたんだ……」
ノア先輩と団長のご両親は、この国の南部地区で靴屋を営んでいたそうだ。先輩は、新年祭の時期だけの団長の帰省が楽しみで仕方がなかったらしい。目を輝かせて団長を見つめる先輩の姿が目に浮かぶようだ。へとへとになるまで芸を見せ続けた団長の気持ちが、わたしにはわかる気がする。
わたしの弟も、わたしが帰省する度に「お姉ちゃん歌って」と裾を引いてくるのだ。あんな目をされては抗えない。人を喜ばせることが好きな彼なら尚更だろう。
「その時によく歌ってくれたのがこの歌でさ。すごく好きだから、時々歌っちゃうんだよね」
「なるほど。お二人の思い出の歌なんですね」
「うん」
俯きがちに、それでもはっきりとノア先輩は頷く。それから元気よく顔を上げ、ちょこちょことわたしとセトアの後ろに回り込んだ。
「ね、早く服屋さんに行こう。売り切れちゃうかもしれないよ」
「まだ午前中っすけど」
「いーのっ! ほらほら、早く早く」
「先輩、後ろから押さなくてもちゃんと歩きますから」
「へへへ」
「へへへじゃないっすよ」
華奢な手が背中をぐいぐいと押す。仕方がないなあと笑いながら、わたし達は濡れた石畳を歩いていった。




