第1話 森で拾った男が王様だった
魔女として暮らすうえで、一番大切なこと。
それは――人と関わらないことだ。
「……今日も平和」
朝の森は静かだった。
鳥の鳴き声。
木々の葉が風に揺れる音。
遠くから聞こえる小川のせせらぎ。
そして何より、人間の声がしない。
私は籠を片手に、森の中を歩いていた。
名前はリゼット。
この森の奥にある小さな家で、一人で暮らしている。
職業は魔女。
趣味は薬作り。
特技は――人と会わないこと。
「……薬草も十分採れたし、今日は早く帰ろう」
籠の中には、傷薬に使う薬草や、熱冷ましに使う葉が入っている。
必要な分だけ採ったら帰る。
それが私の毎日だ。
誰かに会う必要もない。
町へ行く必要もない。
薬が足りなくなったら、たまに町へ下りて売ればいい。
それだけで十分だった。
「平和って素晴らしい……」
そう呟いた直後だった。
「……うぅ……」
「…………」
今、何か聞こえた。
私は立ち止まる。
「……気のせい」
きっと気のせいだ。
森には動物もいる。
鹿かもしれない。
猪かもしれない。
もしかしたら、巨大な熊かもしれない。
だから私は何も聞かなかったことにして、歩き出した。
「……誰か……」
「…………」
今度ははっきり聞こえた。
人の声。
私は空を見上げる。
「……最悪」
こういうときは、関わらないのが一番だ。
私は魔女だ。
人間からすれば、森の魔女なんて怖い存在だろう。
近づかなければ、向こうも近づいてこない。
そう思っていた。
「頼む……誰か……」
「…………」
声が近い。
仕方ない。
私はため息をついて、声のする方へ向かった。
茂みを抜ける。
すると――。
「…………」
男が倒れていた。
年齢は三十歳前後だろうか。
黒い髪。
整った顔立ち。
かなり上等そうな服を着ている。
ただし、その服はあちこち破れていた。
そして。
血まみれだった。
「…………」
見なかったことにしよう。
私は踵を返した。
「待ってくれ!」
「嫌です」
反射的に答えてしまった。
「即答!?」
男が驚いた顔でこちらを見る。
「……聞こえていたのか」
「聞こえました」
「なら助けてくれ!」
「嫌です」
「なぜ!?」
「面倒そうなので」
「私は今、死にかけているんだぞ!?」
「そうですね」
「そうですね、じゃない!」
男が必死に叫ぶ。
元気じゃないか。
これなら大丈夫そうだ。
「では、私は帰ります」
「待ってくれ!」
男が地面を這って、私の足元までやって来る。
「頼む……傷を治してくれ」
「薬代は高いですよ」
「金なら払う!」
「いくら?」
「……え?」
「いくら払えます?」
男が固まった。
私は別に善人ではない。
薬を作るにも材料が必要だし、生活するにもお金は必要だ。
「……金貨十枚」
「…………」
私は男を見た。
「お金持ちですね」
「助けてくれるか?」
「はい」
「即答!?」
男の顔が引きつった。
私は籠から小さな瓶を取り出した。
「飲んでください」
「これは?」
「傷薬です」
「傷薬なのに飲むのか?」
「飲むタイプです」
「本当に?」
「嫌なら結構です」
「飲む!」
男は瓶を受け取ると、一気に中身を飲み干した。
次の瞬間――。
淡い緑色の光が男の身体を包んだ。
「……これは?」
男が自分の腹を見る。
深く切り裂かれていたはずの傷が、ゆっくりと塞がっていく。
数秒後には、血の跡しか残っていなかった。
「……すごいな」
「そうですか?」
「これほどの傷が、一瞬で……」
「普通ですよ」
「普通ではないと思うが……」
男はしばらく自分の身体を眺めていた。
そして、私を見る。
「君は……魔法使いなのか?」
「魔女です」
「魔女……」
男の表情が少しだけ強張った。
まあ、そうなるよね。
「怖いですか?」
「いや……」
「そうですか」
私は籠を持ち直す。
「では、金貨十枚ください」
「……分かった」
男は懐から袋を取り出した。
中には本当に金貨が十枚入っていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「こちらこそ助かった」
「それでは」
「待ってくれ」
「まだ何か?」
「その薬をもう少し売ってくれないか?」
「何本ですか?」
「十本ほど」
「一瓶、銀貨三枚です」
「全部買おう」
「ありがとうございます」
私は薬を十本渡した。
男はそれを大切そうに袋へしまう。
「……君の名前は?」
「リゼットです」
「そうか。私は――」
男が名乗ろうとした、そのとき。
森の奥から馬の走る音が聞こえてきた。
「陛下!」
「…………」
「陛下! ご無事ですか!」
複数の男たちが森の中へ駆け込んでくる。
全員が騎士のような格好をしていた。
そして私の目の前にいる男を見るなり、膝をついた。
「陛下!」
「遅かったな」
「申し訳ございません!」
私は目を瞬かせる。
「……陛下?」
私が尋ねると、男は気まずそうにこちらを見た。
「……そういえば、まだ名乗っていなかったな」
男は立ち上がり、服についた土を払う。
そして、堂々と名乗った。
「アルベルト・フォン・グランディア」
「…………」
「このグランディア王国の国王だ」
「…………」
沈黙。
私は男を見る。
男も私を見る。
周囲の騎士たちも私を見る。
「…………」
私はゆっくりと口を開いた。
「金貨、もう十枚ください」
「なぜ!?」
「王様なら払えますよね?」
「さっき十枚払っただろう!」
「命を助けた追加料金です」
「そんな制度は聞いたことがない!」
「今、作りました」
「君、本当に魔女なのか!?」
騎士たちが困惑する中、国王アルベルトは頭を抱えた。
――これが、私と王様の出会いだった。
そして私は、このときまだ知らなかった。
翌朝。
私の家の扉を叩く音がすることを。
「リゼット殿! いるか!」
「…………」
嫌な予感がする。
「薬を買いに来た!」
「…………」
私は布団を頭から被った。
どうか夢でありますように。
しかし。
「毎日来るからな!」
森の中に響き渡る国王の声を聞いて、私は確信した。
――私の平穏な生活は、昨日で終わった。




