第3話 生贄の夜会
豪奢なシャンデリアが放つ黄金の光が、仮面夜会の広間を眩く照らし出していた。
弦楽四重奏の優雅な旋律、グラスの触れ合う澄んだ音、そして虚飾に塗れた貴族たちの嬌声。そのどれもが、エルヴィラにとっては滑稽な喜劇の背景音に過ぎなかった。
銀の細工が施された半面をつけ、エルヴィラは壁際に佇んでいた。
身に纏うのは、母エレオノーラが「慈善の施し」として宛がった、何年も型落ちのくすんだ藍色の古着ドレス。だが、その仕立て直された布地はエルヴィラの無駄のない肢体を完璧に引き立て、かえって周囲の目を引いていた。
「あら、見窄らしい鳥が一羽、迷い込んできたかと思いましたわ」
背後から響いたのは、鈴を転がすような、それでいて猛毒を孕んだ声。
真紅の豪奢なドレスに身を包んだロザリアが、ジュリアンの腕に手を添えて優雅に歩み寄ってきた。二人の仮面には大粒の宝石が散りばめられ、これ見よがしに輝いている。
「エルヴィラ、そのドレス……ふふ、母上の古いお召し物を切り刻んだのね。物乞いのような真似をして、アデルヴァイトの恥晒しだと思わないのかしら?」
「お姉様のお召し物こそ、見事な真紅ですこと。まるで、他人の血を啜って咲いた毒花のようですわ」
「なっ……!」
ロザリアが顔を紅潮させて息を呑む。すかさずジュリアンが一歩前に出て、エルヴィラを冷たく睥睨した。
「相変わらず可愛げのない口を利く。ロザリア様の慈悲を仇で返すとは、やはり卑しい血筋は隠せないな。――安心しろエルヴィラ、君のような日陰者にも、ちゃんと『相応しい役割』が用意されている」
ジュリアンが嘲笑とともに視線を向けた先。
広間の上座近くで、肥満した体を揺らしながら脂ぎった笑みを浮かべる初老の男がいた。
――ボルドー侯爵。
これまでに三人の妻を迎え、その全員が謎の衰弱死を遂げていると噂される、社交界で最も忌み嫌われる好色漢。
「母上がボルドー侯爵と話をつけられたのよ」
ロザリアが扇子で口元を覆い、勝ち誇ったように囁く。
「公爵家の莫大な負債の一部を肩代わりしてもらう代わりに、あなたを四番目の妻として差し出すことにね。今夜の夜会は、そのお披露目よ。感謝なさい、あのような立派な殿方の元へ嫁げるのだから」
「生贄、というわけですね」
「ええ、そうよ! 公爵家の肥やしとして朽ち果てなさい!」
ロザリアは愉悦に震える声で告げると、ジュリアンとともに侯爵の方へと歩き出した。エルヴィラを直接侯爵の元へ引き渡し、公衆の面前で屈辱的な売買を成立させる算段なのだろう。
(浅ましい。けれど――最高の舞台立てだわ)
エルヴィラは小さく息を整え、踵を返した。
目指すのは、広間の喧騒から離れた、夜風が吹き抜ける大バルコニー。
ボルドー侯爵のような小悪党など、最初から眼中にない。
公爵家の不正、そしてボルドー侯爵が関与する帝国魔導鉱石の密輸ルート――そのすべての証拠はすでにエルヴィラの脳内に刻まれている。
必要なのは、その「猛毒の刃」を振るうに足る、絶対的な力を持つ処刑人。
バルコニーの扉を静かに押し開ける。
冷涼な夜気の中に、青黒い長外套を纏った長身の男が、手すりに寄りかかり一人佇んでいた。
月光を浴びて鈍く光る漆黒の仮面。その奥から覗く、凍てつくような氷藍の双眸。
――帝国第1皇子、セドリック・フォン・ガイストハイム。
「冷酷無慈悲の軍神」と恐れられ、貴族たちを震え上がらせる男。
エルヴィラは音もなく歩み寄り、完璧な淑女の礼をとった。
「夜風に当たるには、少々血生臭い夜でございますね、殿下」
セドリックがわずかに首を傾げ、冷ややかな視線をエルヴィラへ落とす。
「……誰の差し金だ。俺の前に立つ度胸のある鼠が、まだ帝都にいたとはな」
「鼠などではございません。――あなた様に、公爵家という名の巨大な獲物を捧げに参った『共犯者』でございます」
エルヴィラは仮面の奥の瞳を鋭く輝かせ、静かに微笑んだ。




