第29話 泥を啜る母娘・蠢く野心
帝都ルディナの西端。
かつて栄華を極めた者たちが寄り付くはずもない、うらぶれた裏通りの一角にある安宿の屋根裏部屋に、エレオノーラとロザリアの姿があった。
贅を尽くした絹のドレスは見る影もなく薄汚れ、かつての手入れされた肌は荒れ果てている。
手元に残されたわずかな小銭を数えながら、ロザリアが甲高い金切り声を上げた。
「お母様! こんなカビ臭い部屋、もう耐えられませんわ! なぜ私がこんな底辺の平民のような暮らしをしなければならないの!? あの忌々しいエルヴィラのせいですわ! あんな妾腹の泥棒猫が公爵家の富を独り占めするなんて、絶対に許せません!」
「黙りなさい、ロザリア」
エレオノーラは乾いた唇を噛み締め、昏い憎悪を宿した目で窓の外を睨みつけた。
「バルタザールが死んだという報せが入ったわ。あの無能な夫は、死に際にあの娘へすべてを譲る遺言を残したそうよ……。だが、これで終わるはずがないわ。公爵家の正統な血を引くのは、正妻である私とお前だけなのだから」
その時、粗末な木製の扉が前触れもなく低くノックされた。
二人が息を呑んで身構える中、扉が静かに開き、黒い外套を深く被った男が入室してきた。
男がフードを外すと、整えられた口髭と冷たい笑みが現れる。
貴族院の保守派重鎮、第2皇子派の筆頭格であるヴァーミリオン伯爵だった。
「ひどい所にお住まいですな、前公爵夫人」
「……ヴァーミリオン伯爵!?」
エレオノーラが目を見張る。
「何の用ですの? 落ちぶれた私たちを嘲笑いに来ましたのなら、お引き取りあそばせ!」
「滅相もない。救いの手を差し伸べに来たのですよ」
伯爵は部屋の粗末な椅子を一瞥し、座ることもせず懐から一通の親書を取り出した。豪奢な金糸で縫い取られた、第2皇子の紋章が押されている。
「セドリック殿下とあの小娘エルヴィラは、貴族院の権益を解体し、帝国の秩序を根底から破壊しようとしております。先の公爵が残したという遺言状も、あの小娘が病床の夫を脅迫して書かせた無効なもの……そう主張すれば、貴族院は全力で貴方方を支持いたします」
ロザリアの顔に、ぱっと歓喜の光が灯った。
「では……私が正当なアデルヴァイトの跡取りとして認められるのですか!?」
「ええ、ロザリア様。それどころか、第2皇子殿下は事態が収束した暁には、貴女を正妃として迎え入れる用意があると仰せです」
「まあ……! 皇子妃……!」
ロザリアが狂喜に身を震わせる。エレオノーラもまた、歪んだ笑みを浮かべて身を乗り出した。
「ロザリア!これではっきりしましたわ!公爵家の、いいえ、帝国の正統なる皇后に相応しい存在が!」
エレオノーラが、両目を潤ませてロザリアの白い手を握る。
「お母様!それは誰でしょう!?」
欲望の炎をたぎらせた双眼を母に向けるロザリア。
「それは、ロザリア・アルデヴァイト!あなたなのよ!!」
感極まった母親の声に、ロザリアは得意絶頂の笑みを浮かべて応えると、「ふふん!」と、扇子を広げて天に掲げた。
「それで、伯爵。私たちは何をすればよろしくて?」
「簡単なことです」
ヴァーミリオン伯爵は冷酷に目を細めた。
「小娘が手掛けている新型魔導窯の事業を、根底から破綻させます。原料となる鉱石の買い占め資金は、中立都市ポルト・ヴェッキオの豪商ギルドからすでに巨額の裏融資を取り付けました。貴方方には、公爵家の正統な血統の名の下に『エルヴィラの全契約は無効である』とする告発状へ署名していただきます」
伯爵は机の上に一枚の羊皮紙と羽根ペンを置いた。
「妾腹の娘を公爵邸から引きずり下ろし、セドリック殿下を失脚させる。……失った栄華を、自らの手で取り戻す時ですぞ」
「ええ、ええ! 喜んで署名いたしますわ!」
エレオノーラは迷うことなく羽根ペンを掴み、インクを走らせた。
「見ていなさい!エルヴィラ!このロザリアが本気を出せば、おまえごとき……いいえ!クラウディアお姉さまにも負けないのだということを!」
自分たちが門閥貴族と自由都市の都合のいい捨て駒として利用されていることにも気づかず、母娘の瞳には醜悪な野心と復讐の炎が燃え盛っていた。




