第25話 下町の錬金術師と火を失った窯
帝都ルディナの東区。
豪奢な宮殿や貴族邸が立ち並ぶ中心街とは打って変わり、煤煙と金属の焦げる匂いが立ち込める下町の一角に、エルヴィラとセドリックの姿があった。
周囲には平服を纏った『影鴉』の精鋭が目立たぬよう警戒を敷いている。
二人が足を踏み入れたのは、石造りの頑丈な建物――帝都の錬金術師ギルドが管理する中央工房だった。
だが、中に入ったエルヴィラを迎えたのは、冷え切った静寂だった。
並び立つ十数基の大型魔導窯はどれも火を落とし、煤に汚れた作業着を着た職人たちが、力なく床に座り込んでいる。
「火が消えていますわね」
エルヴィラの静かな声に、工房の奥から煤まみれの初老の男がのそのそと歩み出てきた。
ギルド長を務める熟練の錬金技師、バルトだった。
「……公爵令嬢様と皇子殿下が、こんな吹き溜まりに何の御用で? 見ての通り、窯の火は三日前に消えちまったよ」
バルトは無礼を承知で、吐き捨てるように言った。
「ヴァーミリオン伯爵家の商会が、西から届く特殊触媒の卸値を一気に三倍へ吊り上げやがった。前金を払えねえ工房には触媒を一欠片も渡さねえとさ。……貴族様方が利権を貪り合っている間に、俺たち職人は首をくくるしかねえんだ」
セドリックが一歩前へ出ようとしたが、エルヴィラがそれを手で制した。
エルヴィラは冷え切った魔導窯の鉄扉へ歩み寄り、手袋を外した指先でその表面に触れた。
「ガルディニア製の高純度触媒に頼るから、流通を握る貴族の言い値で買い叩かれるのです」
「お貴族様には分からねえだろうがな!」
バルトが声を荒らげた。
「ガルディニアの触媒がなきゃ、この国の粗悪な魔導鉱石じゃ炉の温度が上がらねえんだ! 鉄も打てねえ、魔導具の核も焼成できねえ! 火がつかねえ窯は、ただの鉄クズなんだよ!」
「粗悪な鉱石、ではありませんわ」
エルヴィラは振り返り、紫紺の瞳でバルトを真っ直ぐに見据えた。
その声音には、下町の騒音を切り裂くような鋭利な響きがあった。
「ガイストハイムの鉱山から採れる粗石は、不純物こそ多いものの、内部に秘めた魔力密度はガルディニア産を上回ります。単に、これまでの窯の熱循環構造が旧式過ぎて、魔力を引き出しきれずに煤として捨てていただけです」
「な……んだと?」
バルトが眉をひそめた。
エルヴィラは懐から一束の図面を取り出し、作業台の上へ広げた。
「アデルヴァイト公爵家の全額出資により、この工房の窯をすべて『多段式熱循環炉』へと改修いたします。触媒による外部過熱ではなく、鉱石自体の魔力を炉内で自己循環・増幅させる構造です。……これを用いれば、我が領地の低純度粗石だけで、従来の倍の火力を生み出せますわ」
バルトは怪訝そうに図面を覗き込み――次の瞬間、目を見開いた。
「おい……この魔導回路の配置、それに熱の逃がし方……! 理論上は可能だが、こんな精密な設計、誰が……」
「私が引きました」
エルヴィラは淡然と告げた。
「資材と粗石は公爵家が直接供給します。中抜きの商会はすべて排除いたしました。……職人方には十分な日当と、完成した新型窯の特許使用料を保証します」
工房の職人たちがざわめき立ち、顔を見合わせる。
バルトは震える手で図面を撫で、エルヴィラを見つめ直した。
「本気なのか、お嬢さん……いや、エルヴィラ様。俺たちを見捨てねえってのは」
「見捨てるはずがありませんわ。帝国を支えるのは口先だけの貴族ではなく、火を灯すあなた方の手です」
エルヴィラが毅然と言い放つと、沈黙を守っていたセドリックが低く笑い、口を開いた。
「話は決まりだな。期日は十日後だ。……新型炉の第一号を点火させろ。失敗すれば、設計したエルヴィラもろとも俺の監査局が貴様らの工房を叩き潰すが――成功すれば、貴様らには帝室御用達の称号と生涯の富を与えてやる」
冷徹だが、確たる後ろ盾の言葉。
バルトは唇を噛み締め、深く頭を下げた。
「やってやりますよ……! 火の消えた工房なんざ、もう見飽き甲斐がねえ! 男たちの意地、見せてやります!」
工房を出た後、帝都の冷たい風がエルヴィラの髪を揺らした。
隣を歩くセドリックが、横顔を一瞥する。
「職人の扱いまで手慣れたものだな」
「帳簿を扱えば、現場で誰が血を流しているかが見えてきますもの」
エルヴィラは冷淡に応じつつ、空を見上げた。
新型窯の開発は始まった。だが、その裏で、既得権益を奪われた貴族たちの蠢きが始まっていることを、彼女はすでに察知していた。




