第21話 二つの玉座の距離
建国記念舞踏会から三日が経過した。
クラウディアがガルディニア帝国皇太子との婚約を公表し、公爵家の全権を妹へ譲渡したという衝撃的な報せは、帝都の社交界と貴族院を大きく揺るがし続けていた。
アデルヴァイト公爵邸の最上階。
かつて父バルタザールが、そして数日前まではクラウディアが使っていた当主執務室に、いまエルヴィラが腰掛けていた。
机の上に広げられているのは、正式に委譲された領地印と、帝国全土に跨る公爵家の資産目録。
部屋の扉が静かに開き、黒い軍服を纏ったセドリックが従者を伴わずに姿を現した。
「引き継ぎは順調なようだな」
「ええ、殿下。……驚くほどに滞りなく」
エルヴィラは視線を上げず、書類へペンを滑らせながら応じた。
「お姉様が残していかれた帳簿には、不正や隠蔽の類が一切ありませんでした。ガルディニアとの通商路の残余、国境警備軍の兵員名簿、未払いの債務一覧に至るまで、寸分の狂いもなく整理されています」
「当然だろう。クラウディアにとって、この屋敷の財産など最初から小銭に過ぎん」
セドリックは机の前まで歩み寄り、革手袋を外した手で目録の端を指先で押さえた。
「奴の関心はすでに、ガルディニアの皇太子妃として動かす巨大な軍事力と、大陸全土を巻き込む再編へ移っている。……貴様がこの公爵領を立て直す猶予は、長くて半年だ」
「半年あれば十分ですわ」
エルヴィラはペンを置き、紫紺の瞳をセドリックへ向けた。
「領内の魔導窯の改良を国内の職人ギルド主導で進めさせ、ガルディニアの触媒に頼らない独自の精錬路を確立いたします。同時に、門閥貴族たちが握る流通の関所を再編し、公爵領から帝都へ直結する輸送網を皇室直轄の特区として組み込みます」
淡々と、だが澱みなく語られる国家規模の内政改革。
セドリックは低く息を漏らし、わずかに口元を緩めた。
「言うが易し、だな。貴族院の古狸どもが素直に既得権益を手放すと思うか?」
「手放させますわ。……殿下の手をお借りして」
エルヴィラが冷ややかに微笑む。
セドリックはその視線を受け止め、ゆっくりと身を乗り出した。
「俺の力を使うなら、対価を払えと言ったはずだが」
セドリックの冷たい指先がエルヴィラの顎に触れ、上を向かせる。至近距離で見つめ合う二人の瞳。青氷石のような冷徹さと、深淵のような紫紺が絡み合う。
「公爵家を手に入れたいま、貴様は帝国最大の利権を持つ当主代理だ。……俺の契約妃という立場を捨て、中立を装って我が身を守る道もあるぞ」
「あら、そのような退屈な保身をお望みですの?」
エルヴィラは視線を逸らさず、むしろ挑発するように囁いた。
「クラウディアお姉様が大陸の覇権を狙うならば、私はこの帝国を内側から完全に統治し、盤上のすべてを支配いたします。……殿下をこの国の真の皇帝に押し上げるまで、私の手綱を放すことは許しませんわ」
「……相変わらず、可愛げのない女だ」
セドリックは冷徹に言い捨てながらも、その瞳の奥に確かな熱を宿して手を離した。
「帝室の監査権と近衛の動員権、すべて貴様の好きに使え。ただし、結果を出せなければ――その首を獲るのはクラウディアではなく、俺だ」
「承知いたしました、我が主」
二人の間に交わされたのは、甘い愛の囁きではなく、冷酷な支配と共犯関係の再確認だった。
その日の午後。
帝都の北門から、白銀の獅子紋章を掲げた馬車列が、護衛の精鋭騎士たちを従えて静かに旅立っていった。
隣国ガルディニア帝国へと向かう、クラウディアの輿入れの車列。
馬車の窓から、クラウディアは小さくなっていく帝都の城壁を一瞥した。
対面に座るジークリットが、静かに声をかける。
「帝都を発ちました。……これより先は、ガルディニアの領地となります」
「ええ。小さな檻とは、これでお別れね」
クラウディアは手元の扇子を静かに畳み、冷淡な眼光を前方の荒野へと向けた。
「エルヴィラ、セドリック。せいぜい帝国の内側を固めておきなさい。……次に会う時は、二つの国家の命運を賭けた盤上よ」
帝都に残る内政の女王と、異国へ覇道を歩み出した軍事の女王。
二人の才女による第二の戦いの火蓋が、静かに切って落とされた。




