第17話 赤毛の参謀の忠言
深夜、公爵邸の離れに位置するクラウディアの私設執務室。
豪奢な調度は一切排され、壁一面には大陸全土の兵站図と外交相関図が整然と張り巡らされていた。
机の上の書類を検分していたクラウディアは、入室してきたジークリットに視線を向けた。
「北門の触媒鉱、全量を差し押さえられたそうね」
「はっ。エルヴィラ様は事前に帝国監査局の特例認可を取り付け、関税法の適用範囲を拡大解釈させておりました。不覚を取り、申し訳ございません」
ジークリットは膝をつき、深く頭を垂れた。
だが、クラウディアの表情に苛立ちの色はなかった。むしろ、冷徹な灰色の瞳に微かな愉悦が宿っている。
「立ちなさい、ジークリット。貴方の責任ではないわ。……法と権限を組み合わせ、こちらの急所を最短距離で突く。あの子の手腕は、私の想像を遥かに超えて研ぎ澄まされているわね」
ジークリットは立ち上がり、懐から新たな航行図を取り出して机上へ広げた。
「北門の陸路は塞がれましたが、すでに代替ルートの策定は完了しております。帝都南方、ガルディニアと結ぶ『白波海峡』の交易船団――公爵領の漁業権を利用した海上輸送への切り替えを献策いたします」
「却下よ」
クラウディアは即座に言い切った。
「一度手口を読まれた以上、海路も早晩セドリックの『影鴉』に嗅ぎつけられる。小手先の迂回を繰り返すのは愚者のすることよ。……触媒鉱の帝都搬入は、一旦すべて白紙に戻しなさい」
「白紙、でございますか? それでは、貴族院へ提示した魔導炉の建設計画が立ち行かなくなりますが」
「構わないわ。鉱山利権など、もとよりこの狭い帝国における小競り合いに過ぎない」
クラウディアは立ち上がり、執務室の窓辺へ歩み寄った。窓の外には、暗闇に沈む帝都の街並みが広がっている。
「私の本命は、ガルディニア皇太子との極秘協定――そして、来週の『建国記念舞踏会』よ。あの子が公爵家の家督と内政に囚われている間に、私は国家そのものの枠組みを塗り替える」
ジークリットは主の背中を見つめた。
その背丈は自分よりも遥かに小柄でありながら、背負う野望の重さは帝国全土を揺るがすほどに巨大だった。
「クラウディア様。……ガルディニアへの輿入れ、真に決行されるおつもりですか」
ジークリットの静かな問いに、クラウディアは振り返った。
「今さら何を問うの。ガルディニアの皇太子妃となり、内側からあの軍事大国の全権を掌握する。そして腐敗したこの現帝国を外側から併呑し、大陸を統一する……それが私の描く唯一の覇道よ」
「……左様でございますね」
「貴方も連れていくわ。私の側近として、異国の宮廷で血を流してもらうことになるけれど」
「我が命は、幼き日にクラウディア様に拾われたその時から、貴女の覇道に捧げております」
ジークリットは一切の迷いなく、静かに、だが鋼の如き意志を込めて告げた。
「たとえ奈落の底であれ、主の御旗が掲げられる場所へ、最後までお供いたします」
互いに交わされる言葉は、あくまで主君と臣下のもの。
だが、二人の間に流れる張り詰めた空気の中には、覇業のために一切の甘さを封じ込めた、絶対的な信頼と情が横たわっていた。
クラウディアは口元に微かな笑みを浮かべ、再び机上の地図へと視線を戻した。
「頼りにしているわ、ジークリット。……さあ、建国記念舞踏会の準備を整えなさい。妹が築いた防壁を、上空から一息に飛び越えてみせるわ」
「御意」
ジークリットの一礼とともに、公爵邸の夜は更けていった。
それぞれの野心を胸に秘めた姉妹の戦いは、帝国貴族のすべてが集う舞踏会という決戦の場へと向かっていた。




