第14話 冷酷皇子の執着と甘い罠
深夜、皇宮の奥深くに位置する第1皇子執務室。
壁一面を埋め尽くす書架と、帝国の軍事地図が広げられた黒檀の円卓。照明は最小限に絞られ、燭台の炎が微かに揺れていた。
円卓の端に置かれた報告書をめくりながら、セドリックは低く息を吐いた。
「貴族院の採決を持ち越しにしたか。……クラウディアを相手に、初手で互角に持ち込んだ手並みは見事と言うべきだな」
「互角などではありませんわ」
対面に座るエルヴィラは、差し出された温かいハーブティーにも手をつけず、冷ややかな視線を地図に落としていた。
「あの場を凌いだだけに過ぎません。ガルディニアの魔導炉がもたらす利益は本物です。欲に目の眩んだ門閥貴族どもは、国家の危機よりも目前の金貨を選びますわ。舞踏会までの間に、あの手この手で買収が進むはずです」
「ならば、力でねじ伏せるか? 皇室の軍権を動かし、クラウディアの背後関係を国家反逆の嫌疑で洗うこともできるぞ」
「それは悪手ですわ、殿下」
エルヴィラは即座に首を横に振った。
「確たる証拠なしにクラウディアお姉様を突けば、彼女が握る国境警備軍が動揺し、ガルディニアへ介入の大義名分を与えることになります。……あの方を討つなら、完璧に張られた蜘蛛の巣を、経済と法律の論理で外側から焼き払わねばなりません」
一切の感情を交えず、冷徹に盤面を読み切るエルヴィラ。
その横顔を見つめるセドリックの氷藍の双眸に、暗い光が宿った。
セドリックは静かに立ち上がり、音もなくエルヴィラの背後へと回り込んだ。
「殿下……?」
エルヴィラが振り返ろうとした瞬間、冷たい革手袋を嵌めた両手が、彼女の座る椅子の背もたれと肘掛けを塞いだ。
逃げ場を失った至近距離。セドリックの微かな吐息が、エルヴィラの耳朶をかすめる。
「他人の心配ばかりだな、エルヴィラ。……俺の手を取り、この深淵に足を踏み入れた貴様自身の立場を忘れたか?」
「忘れてなどおりませんわ。私は殿下の『契約妃』であり、公爵家を掌握するための手駒です」
「手駒、か」
セドリックの手が伸び、エルヴィラの艶やかな黒髪を一筋、指先で弄んだ。その瞳に浮かんでいるのは、冷徹な君主の顔ではなく、底知れぬ独占欲と執着の熱だった。
「最初は、己の復讐のために俺を利用しようとする小賢しい毒婦だと思っていた。……だが、貴様は俺の想像以上に貪欲で、鋭利で、美しい」
「……殿下らしくもないお戯言を」
「戯言ではない。クラウディアの首を獲り、公爵家を完全に支配した暁には、貴様をただの契約妃で終わらせる気はない」
セドリックの声音が一段低くなり、エルヴィラの顎を指先で持ち上げた。
紫紺の瞳と氷藍の瞳が、至近距離で絡み合う。
「俺の真の正妃として、この帝国の玉座の隣に座れ。貴様のその知略も、野心も、魂のすべてを俺に差し出すと誓え」
甘美でありながら、骨の髄まで支配しようとする冷酷な求婚。
だが、エルヴィラは動じるどころか、挑発するように唇の端を持ち上げた。
「玉座の隣、ですか。……悪くない響きですわね」
エルヴィラはセドリックの胸元にそっと手を添え、至近距離で見つめ返した。
「ですが殿下。私を飼い慣らすには、帝国半分の領土でも足りませんことよ? ……まずはクラウディアお姉様を打倒するための、確たる『力』をいただかなくては」
「ふ……どこまでも強欲な女だ」
セドリックは低く喉を鳴らして笑うと、懐から純銀の鍵を一本取り出し、エルヴィラの手のひらへ落とした。
「帝室直属情報機関『影鴉』の指揮権だ。貴様の好きに使え。帝都関税網の裏帳簿、ガルディニアの密輸船の航行記録……すべて洗い出してみせろ」
「ありがたく頂戴いたしますわ」
エルヴィラは銀の鍵を握りしめ、冷徹な笑みを深めた。
「次の標的は、クラウディアお姉様が密かに敷設している帝都関税のバイパスルートです。……あの方の完璧な盤面に、最初の亀裂を入れて差し上げます」




