第11話 二人の女王と盤上の宣戦布告
公爵邸の最上階にある当主執務室。
かつて父バルタザールが使っていたその部屋は、いまや異様な緊張感に包まれていた。
革張りの長机を挟んで、エルヴィラとクラウディアが対峙している。
クラウディアの背後には、赤毛の参謀ジークリットが彫像のように直立し、手元に分厚い革表紙の書類束を抱えていた。
「母上とロザリアへの沙汰、見届けさせてもらったわ」
沈黙を破ったのはクラウディアだった。紅茶に口をつけることもなく、怜悧な灰色の瞳で妹を見据える。
「あのような愚者を屋敷の片隅に飼い殺す判断、悪くないわね。即座に処刑や追放をすれば、門閥貴族が無用に警戒して結束する。害のない無能として生かしておくほうが、都合の良い盾になる」
「お褒めに預かり光栄ですわ、お姉様。――ですが、ご挨拶のためにわざわざ執務室までお越しいただいたわけではありますまい?」
エルヴィラが淡々と切り返すと、クラウディアの口元に薄い笑みが浮かんだ。
「単刀直入で結構。ジークリット」
「はっ」
ジークリットが一歩前へ進み出て、音もなく書類を一通、エルヴィラの前に滑らせた。無駄のない動きと鋭い眼光。並の武官を遥かに凌ぐ気迫が滲み出ている。
「貴女が第1皇子と組んで掌握した公爵家の『財政権』――その穴を埋める提案書よ」
「穴、ですって?」
「ええ。貴女の作った新帳簿は見事よ。魔導鉱山の横流しルートを断ち、不要な支出を完全に止めた。けれど、それだけでは公爵家の資金繰りは半年で破綻するわ」
クラウディアは指先で机を軽く叩いた。
「横領を止めたところで、採掘効率そのものが落ちている現実は変わらない。国内の旧式設備では、鉱石の精錬純度は頭打ちよ。売上が先細る中、皇室への上納金だけを律儀に払えば、この家はただの痩せ細った抜け殻になる」
エルヴィラは書類に視線を落とした。
そこに記されていたのは、隣接する軍事大国『ガルディニア帝国』が独占する最新式の魔導精錬炉の導入計画書だった。
試算された利益は、現在の三倍。さらに、ガルディニア側との独占供給契約の条項まで完璧に整備されている。
(……この短期間で、これだけの外交利権をまとめ上げていたというの?)
エルヴィラは内心で舌を巻いた。
次女ロザリアのように小手先の不正を働くのではない。クラウディアの手法は、圧倒的な実績と構造改革を叩きつける「正攻法の暴力」だった。
「どうかしら、エルヴィラ。貴女の実務能力は認めるわ。私の下で、公爵家の内政官として腕を振るう気はない? 相応の地位と報酬は約束するけれど」
「お断りいたしますわ」
エルヴィラは書類を机の端へ押し戻し、冷徹に微笑んだ。
「素晴らしい利権構造ですこと。けれど、ガルディニアの設備に依存すれば、我が公爵家ひいては帝国全体の魔導産業の命綱を、隣国へ差し出すことになります。――目先の利益と引き換えに、国を丸ごと売り渡すおつもりですか?」
「国家など、富と権力を集めるための器に過ぎないわ」
クラウディアの声音が一段低くなり、その双眸に覇王の光が宿った。
「器が古びて腐り落ちるなら、より巨大で強固な器に作り替えるまで。……私はね、エルヴィラ。この公爵家を継ぐことなど最初から目指してはいないの」
「……何ですって?」
「公爵家も、この帝国すらも、私の歩む覇道の踏み台よ。世界を統べるに足る新たな秩序を打ち立てる――そのための駒として、貴女には期待しているのだけれど」
圧倒的な視座の高さ。
エルヴィラは息を呑むと同時に、胸の奥で冷たい闘志が燃え上がるのを感じた。
「壮大な夢物語ですわね、お姉様」
エルヴィラは立ち上がり、クラウディアの視線を真っ向から受け止めた。
「ですが、足元の盤面すら守れぬ者に、世界を統べることなど叶いません。――この公爵家も、帝国も、すべて私が正しく掌握してみせます」
「いい気概ね」
クラウディアもまた立ち上がり、白銀の外套を翻した。
「ならば盤上で示しなさい。……どちらがこの家の、そしてこの国の真の支配者に相応しいかを」
背後でジークリットが静かに頭を垂れ、主の後に続く。
去り際、ジークリットの琥珀色の瞳がわずかにエルヴィラを捉えた。敵を値踏みし、主の障害となり得るかを見極める、底知れぬ冷徹な光だった。
執務室に一人残されたエルヴィラは、机の上の書類を見つめ、静かに息を吐いた。
「……怪物ね。けれど、退屈な道化を相手にするより、ずっと楽しめそうだわ」
エルヴィラの紫紺の瞳が、獲物を狙う刃のように鋭く研ぎ澄まされた。




