第10話 白亜の覇王
次女ロザリアの断罪劇から二日後。
アデルヴァイト公爵邸の正面玄関前には、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
社交界を永久追放され、部屋に閉じこもって喚き散らすロザリア。
そして「公爵家の名折れよ!」と半狂乱でエルヴィラに掴みかかろうとしては、憲兵の銃剣に阻まれてヒステリーを起こす母エレオノーラ。
旧体制の権威は完全に失墜し、屋敷のすべての鍵と金庫はエルヴィラの掌中に収まったかに見えた。
だが、エルヴィラの背筋に走る冷たい悪寒は、一向に晴れることはなかった。
(……来るわ)
地平線の彼方、帝都の目抜き通りを揺るがすように、蹄の重低音が響き渡る。
姿を現したのは、黒塗りの重装馬車と、それを護衛する一糸乱れぬ黒甲冑の私設精鋭部隊。馬車に刻まれているのは、公爵家の家紋ではなく――隣接する軍事超大国『ガルディニア帝国』との国境警備を司る、白銀の獅子紋章。
馬車が公爵邸の車寄せに滑り込み、ピタリと止まった。
最初に降り立ったのは、燃えるような赤毛の青年だった。
寸分の隙もない黒の執事服を纏い、琥珀色の瞳に底知れぬ武威と知性を湛えた男――筆頭執事兼参謀、ジークリット・フォン・アルトハイム。
ジークリットは無言のまま恭しく頭を垂れ、白手袋の手で馬車の扉を静かに開け放った。
空気が、一変した。
まるで、広間全体が凍てつく絶対零度の氷河に沈んだかのような、圧倒的な覇気。
馬車から降り立ったのは、白銀の軍服風ドレスを纏った類稀なる美貌の女性。
アデルヴァイト公爵家長女――クラウディア・アデルヴァイト。
波打つプラチナブロンドの髪を風になびかせ、氷雪のごとき怜悧な眼光が、平伏する使用人たちを一瞥する。その歩みには一切の躊躇がなく、まるで己の領土を検分する覇王そのものだった。
「ク、クラウディア……! ああ、クラウディア、帰ってきたのね!」
エレオノーラがすがりつくように駆け寄る。
「聞いてちょうだい! あの忌々しい妾腹のエルヴィラが、ロザリアを陥れて公爵家を乗っ取ろうと――」
「お黙りなさい、母上」
クラウディアの鈴を転がすような、だが骨の髄まで凍らせる冷徹な一喝が響いた。
「な……クラウディア?」
「浅知恵を弄んで皇族に尻尾を掴まれ、公爵家の名に泥を塗った無能はどなたですか。……これ以上その醜悪な口を開くなら、母上であっても北の離れへ幽閉いたしますよ」
「ヒッ……!」
エレオノーラは息を呑み、実の娘の放つ絶対的な威圧感に気圧されて後ずさった。
クラウディアは母を一瞥しただけで切り捨てると、ゆっくりと視線をエルヴィラへ向けた。
背後に控えるジークリットが、静かにエルヴィラとセドリックの立ち位置、屋敷の警備配置を観察し、クラウディアの影として寸分の狂いもなく寄り添う。
「見事な手並みね、エルヴィラ」
クラウディアが歩み寄る。靴音が、処刑のカウントダウンのように響く。
「母の愚鈍な搾取を耐え忍び、愚妹の浅薄な虚栄心を煽って自滅させ、皇子の後ろ盾を取り付けてこの屋敷の首根っこを押さえる……。ええ、盤上の初手としては及第点よ」
「お褒めに預かり光栄ですわ、クラウディアお姉様。……無能なゴミを片付けるのは、少々骨が折れましたけれど」
エルヴィラもまた、一歩も引かずに紫紺の瞳で真っ向から視線を受け止めた。
視線と視線が交錯する。火花が散るような緊張感。
クラウディアは薄く、愉悦に満ちた不敵な笑みを浮かべた。
「けれど――妹の浅知恵を暴き、この腐りかけた公爵家の小さな庭を奪い取った程度で、勝った気になられては困るわ」
クラウディアはエルヴィラの耳元へ顔を寄せ、二人だけに聞こえる囁きを落とした。
「公爵家など、私の覇道における一つの踏み台に過ぎない。この帝国すらもね。……私が狙うのは、大陸すべての富と権力の再統合よ」
「……!」
「せいぜい爪を研いでおきなさい、我が愛しき妹。私の壮大なる盤面を揺るがす駒になれるのは、貴女だけなのだから」
クラウディアは白銀の外套を翻し、ジークリットを従えて大広間の上座へと堂々と進んでいく。
前哨戦は終わった。
公爵家、そして帝国全土を巻き込む、二人の才女による真の覇権争奪戦が、いま幕を開けた。




