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時は復讐を忘れない  作者: 23
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第三十九話 八月十五日の朝

八月十五日、午前六時。


湊は、自分の行き先を学校と書いた。


黒瀬家の食卓には、家族全員分の配置表がない。湊の前にあるのは、自分の条件だけを書いた一枚だった。


――学校へ行く。


――西棟へ入らない。


――外の颯真が助けを求めても、時計を開けない。


――一人を選べという命令には従わない。


最後の余白へ、湊は一行を足す。


――現在の兄が学校へ来たら、自分が離れる。


「本当に学校でいいのか」


直哉が訊いた。


「外の兄ちゃんが出るかもしれないから」


「それが、学校を避ける理由にはならないのか」


「なる」


湊は紙を二つ折りにした。


「でも、外の兄ちゃんのことを誰も見ない場所にはしたくない」


「助けに入らないのに?」


「見捨てるのと、今は入らないのを同じにしたくない」


直哉はそれ以上止めなかった。


佳乃が台所から封筒を持ってくる。中には、入学式の家族写真が一枚だけ入っていた。裏に現れた命令は警察が回収したため、これは同じ場面を佳乃の携帯電話で撮った別の写真だ。


「持っていく?」


湊は首を振った。


「学校には、追悼の原稿が残ってる。家族写真まで集めない」


「じゃあ、これは私が持つ」


「父さんと一緒に持たないで」


佳乃は少し傷ついた顔をした。


「お母さんたちを離したいの?」


「写真の保管場所を離したいだけ」


「同じことに聞こえる時もあるわ」


「それでも、今日は分けたい」


佳乃は封筒を自分の鞄へ入れた。直哉は別の写真を警察署へ届ける。


現在の颯真は、居間の隅で左腕の吊り具を締め直していた。


「学校には行かない」


湊へではなく、高井へ送る確認文を読み上げる。


「黒瀬家で工具箱を見る。蓋が動いたら、玄関から出る。押さえねえ。開けねえ。外の俺が出ても、湊に学校へ残れとは命令しねえ」


「最後の、昨日はなかった」


湊が言う。


「今決めた」


「俺が勝手に帰ってきたら」


「殴る」


「腕、治ってないよ」


「右手がある」


颯真は乱暴に言い、吊り具を外さなかった。


医師から止められた行動を、格好をつけるために破らない。それも、今の颯真が選んだことだった。


午前六時二十分。


病院では、青の澪が点滴の管を見ながら、学校へ行かないと決めた。


熱は三十七度四分。傷の腫れは少し引いたが、抗菌薬を止める理由にはならない。


「昨日までは、学校を選んでいました」


高井から派遣された女性警察官へ、青の澪が言う。


「変更していいと聞きました」


「変更できます」


「病院に残ります」


「黒瀬宗一郎さんも、同じ病院にいます」


「知っています」


宗一郎は別棟の個室にいる。渡り廊下は施錠され、医療職と警察官がつく。


「同じ建物に集まる危険を、どう考えますか」


「移動する危険より、治療を止める危険を選びません」


青の澪は自分で言い直した。


「治療を続ける方を選びます」


危険を選ばないのではない。二つの危険を比べ、自分の身体について決めた。


警察官はその言葉を一字ずつ記録した。


「宗一郎さんへ、あなたの場所を知らせますか」


「同じ病院にいることだけ。病室は知らせないでください」


「面会は」


「しません」


青の澪は窓の外を見る。


「でも、昨日渡したラベルを持っているかだけ、看護師さんに確認してほしいです」


宗一郎は、採血ラベルを病室の卓上へ置いていた。


――私を助けるなら、私が同意した治療を続けてください。


何度も開いて読んだため、折り目が白くなっている。


午前六時四十分。


白の澪は一時保護先の洗面所で、自分の髪を切った。


長さを揃えるためではない。


耳の下で一房だけ、職員に鋏を入れてもらう。青の澪と見分けるためではなく、昨日から切りたいと思っていた場所だった。


「今日でなくてもいいのよ」


職員が念を押す。


「今日だから切るわけではありません」


白の澪は鏡の中の自分を見る。


「十五日が終わったあとに切ると、残れたから変えたように見える気がします。今、切りたいです」


切った髪は証拠袋へ入れなかった。本人の希望で、紙に包んでごみ箱へ捨てた。


血や髪を残さなければ存在を証明できない方法にはしない。


白の澪が選んだ行き先は、御厨家だった。


「叔父さまには、まだ伝えないでください」


「御厨さんは、山ノ宮神社へ行く予定です」


「知っています。いない家へ行きたいんです」


沙夜子の部屋を使った青の澪とは違い、白の澪はまだ御厨家で自分だけの場所を作っていない。


「家へ入る許可はありますか」


「叔父さまから、いつでも帰ってよいと言われました」


「帰るんですか」


白の澪は考えた。


「今日は、行きます。帰るかどうかは、夜を越えてから決めます」


職員は「御厨家へ帰宅」と書きかけ、線を引いた。


――本人の希望により、御厨家へ移動。


そう記し直した。


午前七時。


黎一は山ノ宮神社の石段にいた。


持っているのは、沙夜子の焼け残った観測記録の写し一枚。原本は警察が保管している。


神社の井戸を塞ぐ工事はしなかった。


この場所が時計の入口だという証拠はなく、石で蓋をすれば安全になる根拠もない。代わりに、境内へ立入禁止の柵を置き、警察官と二人で見張る。


「姉さんのために来たんですか」


同行した警察官が訊いた。


「自分のためだ」


黎一は答えた。


「姉のためだと言えば、また何をしても許される」


「宗一郎さんが来たら」


「止める」


「危害を加えますか」


黎一は井戸を見た。


「殴りたい」


警察官の手が腰の装備へ近づく。


「だが、殴るためにここへ呼ばない。来た時は、あなたが先に止めろ」


午前八時十四分。


黒瀬家の工具箱が鳴った。


前日と同じ、予定にない時刻。


颯真、直哉、佳乃の三人が聞いた。


蓋は動いていない。


「離れるぞ」


直哉が言う。


三人は決めていた出口へ向かった。


颯真は玄関。直哉は勝手口。佳乃は庭へ面した窓。


誰も箱を押さえない。


三人が家の外へ出ると、工具箱の中で二度目の音がした。


颯真は振り返らない。


「見なくていいの?」


佳乃が庭から訊く。


「見たら戻る」


「開いたかもしれない」


「開いたなら、警察を呼ぶ。俺が閉めに行かねえ」


直哉が別の電話から高井へ連絡する。


警察官が到着するまで、三人はそれぞれの出口の外にいた。


午前八時二十六分。


防護具を着けた警察官が窓越しに確認した。


工具箱の蓋は閉じている。


箱の中の時計だけが動いていた。


昨日まで九時十三分で止まっていた長針が、逆向きに進んでいる。


八時二十六分の時点で、時計は八時ちょうどを指していた。


「夜九時十三分までの残り時間ではない」


高井が電話越しに言う。


「逆に進む速度も、一分に一分ではありません。意味はまだ分かりません」


「朝から開こうとしてるんじゃないのか」


颯真が訊く。


「時計に意思があるとは判断しません」


「じゃあ、誰が動かしてる」


「それも不明です」


工具箱は黒瀬家から移さない。


危険だからと運べば、移動先を新たな重なりへ変える可能性がある。家の周囲を立入禁止にし、直哉と佳乃は別々の避難先へ移ることになった。


颯真だけが残ると言った。


「条件では、三人とも離れることになっています」


高井が止める。


「離れた。今は選び直す」


「一人で箱を監視するのは認められません」


「じゃあ警察を一人置け。家族は残すな」


「理由は」


「湊が学校にいる。外の俺も学校にいる。祖父ちゃんは病院。澪たちは別々だ」


颯真は閉じた雨戸を見る。


「ここまで空にしたら、黒瀬家だけ誰も選ばなかった場所になる。俺はそれが嫌だ」


安全の根拠にはならない。


それでも高井は、警察官二人を残す条件で認めた。颯真の位置は、他の地点へ一斉送信しない。


午前九時十三分。


湊は学校の校門をくぐった。


青の澪は病院で点滴を受けている。


白の澪は御厨家の玄関を、自分の鍵で開けた。


黎一は神社の井戸から三歩離れた。


現在の颯真は、工具箱のある家の外に座った。


宗一郎は病室で採血ラベルを読んでいた。


誰も、ほかの全員の位置を知らない。


黒瀬家の時計は逆向きに進み、七時三十六分を指した。


学校の西棟で、校内放送が入る。


雑音のあと、子どもの声が一人分だけ聞こえた。


『湊は、どこにいる』


湊は答えなかった。


自分の位置を書いた紙を折り、ポケットの奥へ入れた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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