第三十五話 一人分の戸籍
役所の職員は、二人の澪へ同じ住民票を見せた。
八月十三日、午後三時。
氏名。
生年月日。
住所。
続柄。
一人分しかない。
「市として、同じ住民登録を二つに複製することはできません」
年長の職員が言う。
黎一が机へ身を乗り出す。
「一人を偽物にするつもりか」
「その判断もできません」
職員は疲れた顔をしていた。
「法務局は戸籍上の扱いを検討中。児童相談所は生活記録を二件に分けています。学校は仮の学籍管理を求めています。健康保険側は同一番号で二人分の継続治療を登録できず、照会が止まっています」
高井が眉を寄せる。
「昨日は暫定番号で進める話でした」
「医療機関は可能です。市の基幹記録は別です」
「窓口ごとに言うことが違うんですね」
白の澪が訊く。
職員は否定しなかった。
「違います。だから今日、全部は決まりません」
二人の前に置かれた相談記録には、仮にAとBが印刷されている。
青の澪が先に言った。
「Aは使いません」
「識別が必要です」
「青にしてください」
白の澪はすぐには続かなかった。
「私は白を使います。でも、公的な名前に足さないでください」
「相談記録の中だけにします」
職員がA、Bへ線を引く。
隣の部署から電話が入り、年長職員が席を外した。
戻ると、顔がさらに疲れていた。
「学校側が、色による識別を正式学籍へ入れることには反対しています」
青の澪が言う。
「私も反対です」
「ただ、学校は二人を同じ出席番号で処理できません」
白の澪が訊く。
「では、明日学校へ行ったら?」
「どちらも正式な通常出席としては扱えません。相談室登校か、出席扱い保留になります」
「私たちが何かしたから?」
「違います」
職員はすぐ言い、言い直した。
「違う、と私が言っても不利益はあります。申し訳ありません」
悪い人はいなかった。
それでも二人は、学校へ普通に戻れない。
部屋の隅で颯真が笑った。
「仲間じゃん」
全員が見る。
颯真の前にも、別の封筒があった。
学校からの通知。
死亡扱いを前提に停止された学籍について、再開処理を保留。
「俺も普通に復学できねえって」
佳乃が封筒を握る。
「死亡届の方は?」
直哉が答える。
「役所では受理済みの記録が残ってる。今、生きてる本人がいるから訂正申立てをしてる。でも戸籍、学校、保険で処理の順番が違う」
颯真は椅子へ深く座った。
「生きてんのに、紙の上じゃ死んでる時間があるんだな」
青の澪が颯真を見る。
「嫌ですか」
「めちゃくちゃ嫌」
「私は、紙の上では一人しかいない方が嫌です」
「そっちの方が面倒そう」
「比べないでください」
「悪い」
颯真は本当に少し気まずそうにした。
職員は二人の澪へ、現在の居所と希望する居所を書くよう求めた。
青の澪は今の御厨家から離れたいと書いた。
黎一が横から覗こうとし、紙を隠される。
「見ないでください」
「家族だ」
「だからです」
白の澪も、黒瀬家ではない一時保護先を希望した。
佳乃が息を呑んだ。
「ここが嫌だった?」
白の澪は先に佳乃を見る。
「嫌ではありません」
「じゃあ」
「ここにいると、湊さんのために残った人に見えるのが嫌です」
湊は胸を刺されたような顔をした。
「俺が邪魔?」
白の澪は少し考える。
「邪魔ではありません。でも、私がいる理由を湊さんにしたくないです」
青の澪はもう署名を終えていた。
「私は叔父さまと離れます」
黎一の顔が強張る。
「十五日までだ」
「それも叔父さまが決めるんですか」
黎一は黙った。
夕方、二人は別の車で一時保護先へ移った。
同じ住民票を持つ二人が、違う住所で生活を始める。
どちらの住所も、まだ正式な住民登録にはならない。
颯真も別の封筒を持って帰る。
門の前で湊が訊いた。
「兄ちゃん、学校行けないの?」
「今のままだとな」
「俺と同じ登校停止?」
「お前は悪さしたからだろ。俺は死んでるから」
「死んでないじゃん」
「役所に言え」
颯真は笑ったが、すぐに顔を背けた。
学校の友達からメッセージが何件も来ている。
追悼動画が拡散したせいだった。
『本当に本人?』
『いつ戻る?』
『ニュース来てる』
颯真は一つも返さなかった。
生きて帰っただけでは、元の生活へは戻れなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になった方は、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




