第三十二話 離れる練習
「一晩、別々にしてください」
八月十一日の朝、白いシールの澪が言った。
御厨家の食卓に、青と白のノートが並んでいる。二人で選んだ色だった。
青の澪は包帯のある手を膝へ置く。
「私も賛成です」
黎一が湯呑みを置いた。
「十五日の予行か」
白の澪は首を振る。
「それだけではありません。一緒にいると、相手が言うまで自分の答えを待ってしまいます」
青の澪は先に言う。
「私は逆です。先に答えて、あとであの子が違うと腹が立ちます」
「腹が立つんですか」
「立ちます」
白の澪が少し驚いた。
「私もです」
二人とも、それを仲直りの材料にはしなかった。
青は御厨家に残る。
白は黒瀬家へ行く。
夕方六時四十二分と夜九時十三分に、各場所の大人が身体の異常だけを見る。二人同士の通話は確認後までしない。
高井が電話で条件を増やそうとしたが、白の澪が止めた。
「細かいことは、その場所にいる人と決めます」
『連絡が遅れる可能性があります』
「分かっています」
『分ければ安全という試験ではありませんね』
青の澪が即答する。
「違います。別々に暮らせるか試します」
白の澪はあとから付け足す。
「安全かどうかも見ます。でも、安全のためだけではありません」
昼過ぎ、白の澪は自分で鞄を持って黒瀬家へ入った。
佳乃が客間の棚を一段空けている。
「足りないものがあったら言ってね」
「今日の終わりまで、自分で探してもいいですか」
「もちろん」
夕飯を何にするか訊かれ、白の澪はしばらく悩んだ。
「茄子の味噌汁」
「湊、茄子が苦手なのよ」
「知っています。だから今日はそれにします」
佳乃は笑った。
白の澪も笑いかけて、やめた。
「湊さんに嫌がらせをしたいわけではありません」
「分かってる」
「分かった顔をするのが早いです」
佳乃は一度口を閉じた。
「じゃあ、理由は聞かない。茄子、切ってくれる?」
御厨家では、青の澪が沙夜子の部屋を片づけていた。
黎一が戸口から言う。
「そこは姉の部屋だ」
「知っています」
「物は動かすな」
青の澪は机の引き出しから乾いた消しゴムを出し、自分の鎮痛剤を入れた。
「今日は私が眠ります」
「だからって」
「沙夜子さんを消していません」
「そういう話じゃない」
「では、何の話ですか」
黎一は答えられない。
午後六時四十二分。
黒瀬家の味噌汁は焦げた。
「作り直そうか」
佳乃が鍋へ手を伸ばす。
白の澪が止める。
「食べます」
「焦げてるよ」
「私が焦がしたので」
一口食べて、顔をしかめた。
「苦いです」
佳乃も食べる。
「苦いね」
褒めなかった。
御厨家では、青の澪の黒い線が学校の方角へ伸びた。
本人がいるのは御厨家だった。
黎一が携帯で高井へ連絡する。
その途中で、青の澪が訊く。
「叔父さまは、今も沙夜子さんのために復讐していますか」
「している」
「何をしたら終わるんですか」
「分からない」
「それなら、終わらないものを私たちの生活に使わないでください」
黎一は返事をせず、電話だけを終えた。
夜九時十三分。
両方に大きな異変はなかった。
確認後、二人の澪は電話を繋いだ。
『味噌汁を焦がしました』
白の澪が先に報告する。
「私は沙夜子さんの机へ薬を入れました」
『怒られましたか』
「少し」
『戻りたいですか』
青の澪は即答しない。
「明日は会いたい。でも、今夜はここで寝ます」
『私もです』
「理由は?」
『黒瀬家の朝ご飯を、自分で選んでから帰りたいです』
「私は、引き出しの薬を自分で出したい」
二人は電話を切った。
青の澪が一階へ下りる。
黎一がいなかった。
革靴もない。
車庫も空。
食卓には携帯電話だけが残されている。
「叔父さま?」
返事はない。
青の澪は高井へ電話した。
黒瀬家へ連絡が行くまで十分以上かかった。
誰も全体の位置を持たないようにした結果、黎一が御厨家を離れても、別の場所では分からなかった。
分けたから助かったわけではない。
分けたせいで、遅れた。
青の澪がもう一度黎一の携帯を見る。
画面には、学校の西棟を写した古い写真が表示されていた。
黎一はそこへ向かっていた。
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