↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時は復讐を忘れない  作者: 23
31/40

第三十一話 外の兄が学校にいる

外の颯真は、黒瀬家の引き戸へ戻らなかった。


八月十日、午後六時二十分。


現在の颯真は学校の職員玄関にいる。左腕の吊り具、外から受け取った最初の紙、書き写した三枚の位置記録。佐伯先生、高井、若い警察官が立ち会う。


湊は黒瀬家。


登校停止が終わるまで、学校へ来ない条件を守った。代わりに、佐伯先生の携帯電話が音声だけを繋いでいる。映像は使わない。職員玄関のガラスへ湊の顔まで重ねないためだった。


『本当に西棟じゃなくていいの』


湊の声が携帯から聞こえる。


「西棟は閉鎖中です」


佐伯先生が答える。


「それに、最初から危険な場所へ入る必要はありません」


颯真がガラス扉を見た。


「あいつが学校にいるって決まったわけじゃない」


『七月二十八日の紙を持ってた』


「学校の紙を持ってたから、学校にいるとは限らねえ」


『じゃあ、何で来たの』


「俺が決めた」


『理由は』


「お前に全部言う必要ない」


颯真は携帯へ背を向ける。


黒瀬家で待っても来なかった。外の自分が約束を破ったのか、来られなかったのか、消えたのか。どれも確かめられないまま家の玄関へ座り続けるのが嫌だった。


「外の颯真君が現れた場合、戸は開けません」


高井が確認事項を読む。


「紙の受け渡しもしない。六時五十分で中止。異変がなくても延長しません」


「分かってる」


「現在の時刻、立会人、持込物を確認します」


若い警察官が、颯真の紙を透明袋越しに撮影する。七月二十八日の原紙ではない。外の颯真から受け取った注意書きだけだ。


「湊君は、今どこにいますか」


高井が携帯へ訊く。


『黒瀬家の居間。父さんと母さんがいます。祖父ちゃんは病院へ検査に行ってます』


工具箱は同じ居間の隅。湊は箱から三メートル離れ、直哉が間へ座っている。


『兄ちゃんは職員玄関。佐伯先生と高井さんと、若い警察の人』


「名前は書かないでください」


『書いてない』


位置を声へ出すこと自体が危険かは分からない。それでも音声は録音せず、通話記録の時刻だけを残すことにしていた。


午後六時四十二分。


職員玄関のガラスに変化はない。


颯真は右手を戸へ近づけない。外の暗さを見ている。校庭にはまだ夕日が残り、部活動の声が遠く聞こえる。


一分。


二分。


『いない?』


湊が訊く。


「黙って待て」


三分目に、西棟の警報装置が鳴った。


火災報知器ではない。閉鎖区画の扉が動いた時に警備室へ届く電子音。


佐伯先生が顔を上げる。


「西棟二階です」


高井は若い警察官へ無線で警備室の確認を求める。監視映像には誰も映っていない。合板で塞いだ教室扉も、画面上は動いていない。


颯真が西棟へ歩き出す。


「待ってください」


「あいつがいる」


「確認できていません」


もう一度、電子音。


三回、間を置いて鳴る。


外の颯真が玄関を叩いた時と同じ間隔だった。


颯真は走ろうとした。左腕が揺れ、痛みに足が止まる。


『兄ちゃん』


携帯から湊の声。


「来るなって言うな」


『一人で行かないで』


「先生も警察もいる」


『じゃあ、一緒に行って』


颯真が高井を見る。


高井は西棟へ入る許可を警備責任者と校長へ確認する。消防による構造確認は終わっているが、二階の教室前は現場保存中。全員が入ることはできない。


「私と颯真君、佐伯先生まで。若い警察官は職員玄関を維持。湊君との通話もここへ残します」


「何で」


「二つの入口を同時に無人へしないためです」


颯真は不満でも従った。


午後六時四十六分。


三人で西棟へ入る。廊下の照明は半分だけ点いている。割れた教室扉の前へ警察テープ。合板は外れていない。


ただし、扉の縦長のガラスを塞いだ板と木枠の間に、白い光が見える。


颯真が立ち止まる。


「いる」


板の向こうから、人の影が動いた。


高井が位置と時刻を無線へ伝え、佐伯先生を廊下の角へ下げる。自分も扉へ触れない。


「声は」


「聞こえない」


颯真は板の隙間へ顔を寄せず、教室脇の小窓へ移る。校庭側の窓ではない。廊下と準備室を隔てる、四角いガラス。


そこに外の颯真がいた。


黒い制服。右頬のえくぼ。背後は教室ではなく、白い廊下。手には折り目だらけの位置記録が二枚ある。


「何でここにいる」


声は届かない。


外の颯真は、自分の背後を指した。


白い廊下の壁へ、学校の掲示物が半分だけ重なっている。『西棟』『八月』『立入禁止』。現実の学校から剥がれた物が、向こう側へ残ったように見える。


颯真は用意した紙を出す。


『黒瀬家に来なかった理由』


外の颯真が答える。


『行けなかった』


『いつから学校』


『紙を見せた後』


『紙が学校の物だから?』


『分からない』


外の颯真は、完成した法則を返さない。


『残りを見せろ』


外の颯真が一枚目をガラスへ向ける。


颯真、玄関。


その下に、別の鉛筆で書き足されている。


八月十五日午後九時十三分以後、西棟。


現在の颯真の場所ではない。外の颯真自身が、湊を失った後に移った場所だった。


二枚目。


湊、玄関。


文字の上から何度も書き直されている。


湊、階段。


湊、二階。


湊、手の中。


最後の一行だけ、紙が破れそうな筆圧だった。


湊、いない。


現在の颯真が息を止める。


「最後まで掴んでたんじゃないのか」


外の颯真は声を聞けない。それでも問いを読んだように、右手を見せた。


掌に、爪で抉ったような傷が四本ある。


『湊を傷つけた?』


外の颯真が首を横へ振る。


自分の手を傷つけた。


『重さを忘れないため』


現在の颯真の右手が握られる。


自分ならやると思った。弟が消えた後、掴んでいた感覚まで失うのが怖くて、自分の掌へ痕を残す。


高井が六時四十九分を告げる。


「あと一分です」


「紙を写せない」


「前回の三枚と、今日の目視内容があります」


「湊の紙は一枚もない」


「一枚へ集めないと決めました」


「あいつの紙を持つって意味じゃねえ」


外の颯真が、二枚目をガラスの下へ滑らせる。こちらへ渡そうとしている。


板の隙間から、紙の端が現実側へ出た。


高井が止める。


「触らないでください」


「あいつが渡すって決めた」


「接触が切れる可能性があります」


「前はそれで止めた」


颯真は紙へ手を伸ばし、途中で止めた。


外の自分を見る。


『渡したら、お前は』


外の颯真が書く。


『学校に残る』


『根拠は』


『ここから出られない』


『それでも渡す?』


外の颯真は、紙をさらに押した。


湊の位置記録を手放す。自分が最後に弟を持っていた紙。家へ戻る接点かもしれない物。


現在の颯真は、高井を見た。


「受け取る」


「理由は」


「あいつが決めた。俺が欲しい。それから、一枚にまとめない。これ単体で預ける」


「受け取った直後に異変が起きた場合、手を離せますか」


「離す」


「湊君へ持ち帰ろうとしない?」


颯真の顎が動く。


「しない」


嘘をつきたくなる顔だった。それでも答えた。


高井は長い鑷子を使い、紙の端を掴む。颯真の手ではない。透明な保存袋を開き、紙を直接誰にも持たせず収める。


紙が完全に現実側へ入った。


外の颯真の輪郭が薄くなる。


「おい」


現在の颯真がガラスへ近づく。


外の颯真は消えない。壁が制服の向こうへ透けるが、立っている。


口元だけで言う。


持っていけ。


「湊に見せる」


外の颯真が首を振る。


「何で」


紙の最後を指す。


湊、いない。


「見せるかどうかも、あいつに決めさせる」


外の颯真は、今度は頷いた。


午後六時五十分。


高井が終了を告げる。


三人は扉から離れる。外の颯真は薄いまま、白い廊下に残った。


「消えてない」


颯真が言う。


「今は見えています」


高井は言い直さなかった。


西棟を出るまで、電子音は鳴らなかった。


職員玄関へ戻ると、佐伯先生の携帯から湊が呼ぶ。


『兄ちゃん』


「いる」


『外の兄ちゃんは』


「学校にいる」


『帰れないの』


「分からない」


『紙は』


颯真は保存袋を見る。


「一枚だけ受け取った。お前の場所が書いてある」


『見せて』


すぐに言った。


颯真は、外の自分が首を振ったことを思い出す。


「今は見せない」


『どうして』


「見たら、お前が自分の消え方を覚える」


『僕の紙でしょ』


「だから、高井さんと父さんと母さんがいる時に決める」


『兄ちゃんが決めてる』


「今はな」


湊が黙る。


颯真は、弟へ全部渡さない選択をした。守るためと言えば、宗一郎と同じになる。


「俺が見せたくない」


理由を自分のものとして言い直す。


「怖いからだ。お前が『いない』って書かれた紙を見るのが」


通話の向こうで、湊の息が聞こえた。


『分かった。今は待つ』


許したわけではない。


現在の颯真は、紙を高井へ預けた。


外の颯真は、西棟の白い廊下に残った。


黒瀬家の玄関だけを守ればよいという計画は、その夜、使えなくなった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


続きが気になった方は、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。