第二十六話 五回目で救いたい人
その日の夕方、沙夜子の声が黒瀬家でも流れた。
宗一郎は食卓の椅子へ座り、右手を医療用ベルトで腰へ固定している。直哉、佳乃、颯真、湊が向かいにいる。
録音が終わるまで、誰も止めなかった。
停止音が鳴る。
颯真が最初に口を開いた。
「五回目で、誰を戻すつもりだ」
宗一郎は答えない。
「澪か。外の俺か。湊か」
宗一郎の視線が、一瞬だけ湊へ向いた。
「僕?」
「違う」
返事が早かった。
湊の腹が冷える。
「外の兄ちゃんの場所では、僕が消えた」
「同じ履歴になるとは限らない」
「じゃあ、どうして今、俺を見たの」
宗一郎の右手がベルトの中で動く。
湊は椅子から立った。
「知ってたこと、まだある?」
直哉が止めない。
宗一郎はしばらく黙ったあと、口を開いた。
「四回目に内蓋を開いた時、颯真が生きている家だけを見たわけではない」
佳乃の顔が硬くなる。
「別の黒瀬家も重なった。颯真、直哉、佳乃、私がいた」
「湊は」
「いた。だが、家族が別々の場所にいると言った。颯真だけが腕を掴んでいた」
湊は外の颯真の言葉を思い出す。
「それ、知ってたのに黙った?」
「可能性だった」
「またそれ」
声が勝手に大きくなる。
「祖父ちゃん、可能性って言えば、俺たちに言わなくていいと思ってる」
「言えば、お前は自分を残そうとする」
「したよ!」
湊は包帯のある右掌を食卓へ置いた。
「外の兄ちゃんに聞いて、家族の場所を書いた。失敗したかもしれない。でも、俺がやった。祖父ちゃんが黙って代わりに決めるよりましだ」
「お前が消えたら、同じことを言えるのか」
湊は答えられない。
怖い。
母に茶碗の持ち主を忘れられるのも、兄の手から重さがなくなるのも怖い。
「今は言えない」
「なら私が――」
「だから、それをやめて!」
湊は食卓を叩いた。
「怖いって言ってる間に、勝手に答えにしないで」
颯真が湊の横へ立つ。
「俺は、湊が消えたら開けろって言うかもしれない」
佳乃が息を呑む。
「颯真」
「母さん、俺をいい兄にすんな」
颯真は宗一郎を見る。
「外の俺が家に入ってきたら、今だって邪魔だと思う。湊が消えるくらいなら澪が一人でもいいって、頭に出る時もある」
湊が兄を見る。
「兄ちゃん」
「でも、それを俺一人の命令にするな」
颯真は宗一郎へ顎を向ける。
「爺さんもだ」
宗一郎は目を逸らさなかった。
湊が訊く。
「祖父ちゃんは、誰か一人が消えそうなら開けるの?」
「ああ」
「澪でも?」
「ああ」
「外の兄ちゃんでも?」
「残せる履歴が見えれば」
「俺でも?」
宗一郎は頷いた。
「じゃあ、誰かを助けたいんじゃない」
宗一郎の眉が動く。
「祖父ちゃん、開けばまだ助けられるって思いたいんだ」
右手がベルトを引いた。
宗一郎は、自分の手を見る。
「そうかもしれない」
「すぐ分かったみたいに言わないで」
湊の声は震えていた。
「腹立つ」
「……腹が立つが、聞いた」
颯真が鼻で笑う。
「小学生に喋り方教わんなよ」
湊は兄を睨んだ。
「兄ちゃんも、すぐ殴るじゃん」
「今日は柱だけだ」
直哉が低く言う。
「笑える話じゃない」
空気が戻る。
直哉は宗一郎の前へ立った。
「父さん。工具箱から離れてください」
「嫌だ」
「病院へ戻るか、箱を別の場所へ移す。どちらかです」
「箱を動かすな」
「なら父さんが動く」
「八月十五日までここにいる」
「俺は同意しない」
父と息子が睨み合う。
高井は、その場にいたが結論を代わりに決めなかった。
四十八時間の医療入院だけが、宗一郎本人の同意で決まった。
迎えの車が来る。
宗一郎が立つ。
颯真は玄関へ行かなかった。
「見送らないの」
湊が訊く。
「行きたくねえ」
「祖父ちゃん、病院だよ」
「知ってる」
「仲直りしないの」
颯真が湊を見る。
「お前、すぐ終わらせようとすんな」
湊は黙った。
宗一郎が玄関から「颯真」と呼ぶ。
颯真は返事をしなかった。
車の扉が閉じる音がした。
その夜、工具箱は一度も鳴らなかった。
颯真は祖父へ連絡しなかった。
怒ったまま眠った。
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