【パパはどこでどうなっている? 】 side ミラージェン
マコーレットの出産の少し後に、私の《婆や》が亡くなった。
私は、人生で初めて泣き叫んだ。
実の父が亡くなった後に、実の母はさっさと実家に戻って行った。
出ていく時には、私を振り返りもせずに婚家先に捨てていった。
以来1度も会ってはいない。
乳母でもあった婆やだけが、私の側に残ってくれた。
乳母とは言っても、実際に乳を与えてくれる‘昔の乳母’とは違い、産まれた時から世話をして育ててくれた《婆や》であった。
その分、実の親よりも高齢であったのに。
迂闊であったと、自分を責めても取り返しのつきようもない。
婆やの年齢や体調を注意する事を、もっともっと念頭に置かなければならなかったのに。
婆やが倒れてから、たった半日の看病しか出来なかった。
『私は、まだあなたに何ひとつもお返しが出来ていない。』
私が、絞り出すよう声をかけると、婆やは。
『お嬢様、ともに……あって……しあわ……』
と、震える小さな声を聞かせたそれが、最期であった。
4度の私の婚姻に、常に寄り添い。
私の代わりに慟哭をしてくれた。
この世にただ1人の人間であったのに。
私は彼女に、豊かな老後をと望みながら、
その別れが今であるとは、その時までは気付いてはいなかった。
***
『お嬢様に、辛い思いをさせなかった旦那様は、今の旦那様だけでしたね。』
『あら、最初のおじい様も、意地悪な方ではなかったでしょう?
無体な事もされなかったわ。』
『あちらでも、お嬢様が声を上げて笑っていらっしゃるのを、
拝見したことはございませんでしたねえ。』
そう、幼い私は、いつ敵に回るかもしれない他の家で、
気を張って過ごしていた。
それでも、私には逃げる事が出来ないのは、よく分かっていたので。
『それがどうでしょう。
この頃では。
大きなお声でお笑いになる。
大きなお声で、お叱りにもなる。
目に涙をためて、愛しい幼子を抱かれたり。
手振り身振りを大きく、ご自分のお考えを周りに伝えて。
大事なものを守ろうとなさる。』
『お嬢様のそのお姿を拝見出来て、
神様に感謝申し上げるばかりです。
長生きはするものですねぇ。』
婆やとそんな話をしたのは、つい最近の事。
『お嬢様が‘いける口’でいらっしゃるのは、
婆やだけが存じておりましたのに。
今の旦那様にはお見通しでしたねえ。』
『あの、丘の上の別荘での一時は、それはそれは楽しゅうございました。』
婆やがそのように喜ぶのなら、幾度でも連れて行ってゆっくり休ませてやりたかったものを。
私は、すぐに家の使用人はもちろん、司令の家令のスール、マコーレット夫婦、周りの全ての人間に、‘婆や’の死を外に漏らさぬように厳命した。
外の敵に隙を与えぬ配慮よりも、何より‘司令の耳’入れることがないように。
自分でも情のない事と思いもするが、逆にあの方は情のない方ではないので。
この時期に私の事で少しでも煩わせる事は決してしたくはない。
婆やは私と、家のもので静かに弔った。
お養父様には、わざわざ言わずもがなの事でありましょうし。
私の“喪失感”を、ターラン司令の面差しに似た幼子を抱くことで、随分と慰められ、救われる心地で過ごしておりました。
ターラン司令が、《倒れた》という報告を聞くまでは。
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司令が倒れた時に、その場にマコの夫レヴィオン·ビステル少将が仕事で立ち会っていたと言う。
私に入った一報は、養父の伝言を配下のものが伝えてきた。
『騒ぐな。動くな。』
それでは、司令の‘生死’さえも分からない。
家令のスールから情報を得てみようとしても、何も知らされた様子はない。
スールも軍服での勤めを離れて長くなり、情報源との繋がりも昔よりも薄い。
レヴィオンが、マケル邸を訪れてマコーレットと私に、司令が倒れられた時の様子を話す内容に背筋が凍った。
大々的な会議の後の事であるという。
レヴィオンが、倒れた司令に近づく前に医療班が‘気持ちが悪い’ほどの手際の良さで、司令を連れて去ったという。
倒れた司令にひとり近付いたガレット大佐が、
『息をしていない。』
と、呟きを漏らしたという。
取り乱すであろうと思ったマコーレットが、圧し殺した声で断言をした。
「まだパパは死んではいない。
もしもパパに何かがあったら、
私には絶対に分かるはずだから。」
レヴィオンが、産後の妻の不安定な状態を気遣う眼差しをマコに向けている。
私は、マコーレットの言葉で少し心を強くしていた。
ターラン司令の妹、アンムート様からの不思議な手紙を思い出していた。
司令と誰よりも血縁の濃いマコーレットが、
『パパが生きている』
と言うのなら。
信じて騒がず、動かずに待つ事の力にできる。
「マコ、私も養父と連絡がとれておりません。
宰相の養父が忙しく動き回るという時は、
物事に決着がついてはいないと思っております。」
「マコーレット、私以上にあなたが心を痛めていることは分かっておりますわ。
でも、ひとつだけ私があなたよりも分かっていることをお伝えしておきますね。ただ一度きり。
《あなたのお父様、私の夫は私達のものではありません。》
サリュー·ターランあの方は、……
この帝国のものであり、帝国の宝であるあの方を、
メルキオーア皇帝陛下が、疎かに扱うはずもなく。
皇帝陛下は私達が案じる以上の手を尽くして下さっているはずです。」
「ミラママ、私、ママが言っていること、
たぶん、分かっている。
子供の時に思い当たる事があるの。」
「ええ、お見舞いも出来ない状況には悲しくも思います。
けれども、信じて待ちましょう。
陛下があの方に‘悪かれ’となさるはずは決してないのですから。」
マコーレットは、子供の時からとても‘カン’の良い娘。
私の言わずもがなを、どこまで察しているのかは分からないが。
隣にいるレヴィオンとは、違う意を汲み取るほどには察しが良い。
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私は自分の足で立ち上がる決意をした。
養父マケル宰相の公務を勤める皇帝陛下の御在所近くまで文字どおり走り寄った。
あの方の息子アロマの作ってくれた義足の使い勝手の良さにも、大きな力をもらっている。
アロマあの子が、誰よりも心酔している父を欺いてまで学んだ『人間生命理工科学』の叡知を尽くした試作品であるという。
アロマにあの方が、人間を作り出す分野の危なさを危惧して、息子を近付けたくないという心情がよく分かっていて言い出せないでいるのだという。
マコーレットの進路問題でも、『生命化学』を学ぶ事に強固に反対をしたという。
何やら、因縁めいた糸に導かれるようで、自分のマケル家の娘である足元が揺らいで見えている。
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「お養父様、私は今まで“良い娘”であったと存じます。」
一度として養父に背いた事のない私が、立ち入る事が許されぬ陛下の御在所近くの宰相執務室に押し掛けて来た。
自分の心が折れぬように、決意を奮い立たせて。
養父は、深いため息をつくと、諦めたように私を執務室の中に招き入れた。
「あの方のご無事だけでも、教えてはいただけませんでしょうか。」
「困った娘だ。
それでは私の方からお前にひとつ問いたい。」
「なんなりと。お養父様。」
「もしも、サリュー·ターランが元通りの様子ではなくなっても、
お前は彼を受け入れるつもりはあるのか?」
「と、おっしゃいますと?
お姿が変化でもなさいますか?」
「いや、外は変わらん。
ただ今までのようには働けぬ。
動く力が残らず。
或いは伏したままの余生を送らざるをえない。」
「陛下の求める姿ではなくなった時に。
お前は‘あの者’を受け入れる事が出来るのかと、問うておる。」
「お話は出来るようになられますのですか?
お目は見えて、愛しいものを見ることがお出来になられますか?」
「目も見えるだろうし、口も開くことは出来るであろうが。」
「では、どういう事でございますか。」
「陛下は、あの者を失う事を怖れて来た。
臓腑を入れ換えても生かしたいと思うほどに。」
「マケル家の秘伝の技で、あの方をお救いする事が出来ましょうか?」
養父は、力なく首をふった。
「時間が足らん。
このままでは、成人の体に子供の臓器を移植するしか手が打てぬ。」
あまりの事に、私は口を開く事がままならない。
「心の臓、肺、全ての臓器の機能が体を支えきれぬ。
少し動けば、息も続かず。
体に血を巡らすこと、浄化すること。
五臓六腑の機能が足りん。」
「そのような状態を続けても、いたずらに苦しむ時間を伸ばす事にしかならぬ。
それでも、陛下は、『サリューを生かせ』としかおっしゃらぬ。」
「しかし、実際に様子をご覧になった陛下が、あの者を遠ざけた時に。
お前は何が出来るというのか?
もともと、私が押し付けた形ばかりの夫婦であろうに。」
「ありがとうございます。
お養父様。
陛下が、あの方をご不要だとおっしゃるのでしたら。
喜んで私が頂戴いたします。」
「私は、あの方の‘魂’に魅了かれておりますから。
どんなお姿でも、たとえ病でご気性が変わられても。
あの方があの方である限り、喜んでお仕えいたします。」
「なぜ、お前にそこまで言わせたものか?
わからん。陛下といい、お前といい。」
「あの方は、私に‘家族’を下さいました。
孤独に死んで行くだけの私に、
愛する‘家族’のいる風景を下さった。
それだけで、私は命が消える時に笑って逝けるものと存じます。」
養父は、無言で私を見つめたままに、暫く口を開くことはなかった。
「もう、しばし待て。
祈った事のない神にでも祈ってみるもよし。
事態が好転する事が百にひとつでもあるように。」
「ミラージェン、お前は随分と情のこわい娘であったのだな。」
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マケル邸に帰宅すると、マコーレットが迎えてくれた。
私が、どこへ出掛けていたのか、察しがついていたのだろう。
マコの思い詰めた様子に、手の中の赤子が母親につられて泣き声を上げている。
屋敷のものに、茶の支度を言いつけた。
「マコちゃん、お察しの通りマケル宰相閣下にお会いして来ましたの。」
「はい。」
「司令閣下はもしかすると、元通りにお仕事をなさるほどには回復はなさらないかも知れないそうですわ。
私は、司令がゆっくりと家でお休み頂けるように、お待ちしたいと思いますわ。
マコちゃんは、どう思われて?」
「そんなこと、何でもないわ。
帝国の総括司令なんて、初めから私は知らないもの。
パパはパパ。
どんな姿になってもパパはパパだわ。
アロマだって、そういうに決まっている。」
「ええ、あなたならそう言うと思っておりました。」
「ありがとう、お母様。」
あら、この娘、今《お母様》と申しましたか?
男の方が、ご出世なさるよりも随分と嬉しい出世ですわね。




